シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

小編 薔薇の名前 魔女の命

「ローズ、こっちに来い」
 父は私をローズと呼ぶ。
 私の名は桜草。母に名前を取り上げられた。
「ローズ、」
 寝窪んだ病の床から、私を呼ぶ父の低い声が、薄暗い階段に響く。

 垢に塗れた体。変色し、汗や皮脂を吸い込んでくたくたになったシーツ。べっとりと脇に押しのけられた毛布。捨てられた男がここにいた。
「ローズ、こっちに来い。父さんと遊ぼう」
 ベットに赤黒い身を横たえたまま、男は、泥酔したように呂律の回らない声を上げた。
 娘は階段を上がっていき、不機嫌な表情で男を見た。
「なに?」

 私は、父の枕元に立つ。

 男は、くたびれているが、まだ欲望の残るギラギラしたすえた笑みを浮かべて、金髪の娘を見た。
「お前は美しいな。父さんに似て」
「そう。ありがとう」
 娘は、邪魔な草花を切って捨てるような調子で言った。
 男は、好色な笑みを浮かべている。瞳は、娘の口ぶりと冷たい表情と、幼い割にはすらりとした体に釘付けられていた。
「お前が年頃の女で、俺が元気だったら、お前の体にふるいつくだろうな」
「もしそうだったら、私はあんたから金をせびるだけせびりとって、そんなふうに捨ててやるわ」
 男は、身震いして笑った。
「さすが、俺の娘だ。ローズ、衣装入れの中にある宝石箱を取って来い」

「これはな、父さんが昔、魔女に造らせた物なんだ」
「何度も聞いたわ」
 男は、赤いビロード張りの、両手ほどの大きさの宝石箱を左手に抱えて、右手には娘を抱き寄せながらささやいた。
 宝石箱のふたは開かれ、中には、あふれんばかりの大量の真珠が輝いていた。
「あいつめ、可哀想に、こともあろうに俺なんかに惚れやがったんだよ。あいつにとってはそれが、運の尽きだったんだろうなあ。可哀想になあ」
 哀れみがましい言葉とは裏腹に、狡猾な嗤いが口元に浮かんでいた。
 娘はぞんざいに睨みつけた。
「その話、嫌になるほど聞いたわよ」
 男は、娘の話を薄笑いでやりすごして、やめられない酒のようにしゃべりつづける。
「いい女だったのに、魔女でよう。日陰者だろ?良くても、一生座敷牢、悪くすりゃ、生まれてすぐ壷に詰められて生き埋めか川流しだ。表に出られる魔女なんてよう、滅多にいやしねえ」
「そこであんたが、慰めの言葉と、自慢の顔でかがりついたんでしょ?細々と薬草を売って蓄えていた有り金を全部巻き上げて、その上、その真珠を命と引き換えに造らせて、そして逃げた」
 娘は、鬱陶しそうにため息を吐いた。
「もううんざり。同じ話ばかり何度も何度も。あんたの生い先は短いんだから、黙って寝てればいいのよ」
「へへへ」
 男は、酒場で女に下世話な話をするように、不機嫌な娘に嗤い掛けた。
「まあそう言うなよ。この真珠のお陰でよう。父さんは色んな女を知って、後腐れ無く別れられたんだからよう」
「そして、結果がそれね。いい気味だわ」
「でもよう」
 男は、真珠の入った宝石箱をベットの脇に置いた。そして、病とは思えないほど強く、娘を抱き寄せた。
「お前が生まれたじゃないか。愛しいローズ」
「離して、あたしはローズじゃない」
 垢塗れの体にべったりと抱き寄せられ、娘は暴れた。異様な匂いがした。心も体も汚れそうな匂いが。
「お前の名前はローズなんだ。俺がローズってつけたんだよ。ああ、なんて美しい女だ。俺そっくりだ」
 男は、暴れて嫌がる娘をベットに引きずり込んだ。
「いやあっ!」

「これで何人も何人も何人も女を葬ってきたんだ」
 嗤いながら男は、宝石箱の中に手を入れ、真珠をつまみ上げ、宝石箱の中にぼとぼと落とす。男の目は、過去に飛び、彼に苦しめられて泣き叫ぶ女達を見ている。
 そして、男は宝石箱のふたを閉じる。
 隣にうずくまる真っ青な顔の娘を見てほほえんだ。
「そして、愛しいお前に逢えた」
「あんたなんか死ねばいいのよ!」
 娘は、腹を押さえながら起き上がった。
 男は濡れた手を娘の白い肩にまとわりつかせる。
「愛しいローズ」
「さわらないで、このヒモ」

 母が帰ってきた。
 3人の若い男を連れて。
 父の部屋に入るなり、私を見てこう言った。
「何を油売ってるんだい!可愛いローズちゃんの部屋に行って、子守をしておいで!」
 母の背後では、3人の若い男たちが、薄笑いを浮かべて、父と私を見る。
「ご苦労なことね。毎日毎日飽きもせず同じ嫌がらせを」
 私は、口中でそうつぶやき、部屋を出た。扉の際で、母の連れの男の一人が、口笛を吹いて軽薄に笑いかけた。
「えらい別嬪じゃないか」
 途端、母の眉が痙攣した。
「ちょっと!そんな年端もいかない子に目移りする気!?私を馬鹿にしてるの!?」

 娘の着衣の乱れ具合にも、夫の寝台の汚れ具合にも頓着せずに、女は男を連れて、夫の部屋にやってきた。
 女の心には、溶岩のような復讐心が、8年前から冷める事なくふつふつと沸き立っていた。
 ベッドに横たわる夫に、女は、氷の蔑笑と、刃の言葉を降らせた。
「可哀想にねえ?こんな家の中に転がってたんじゃ、寄って来るはずの女自体がいないものねえ?病にやつれて、見る影もないようだし?そのみっともなくむくんだ体はなに?私に笑ってもらうために、そんな体をしているの?」
 夫は妻に、ツバを吐き掛けた。
「黙れ売女」
 妻は白く艶やかな頬に掛けられた唾液を、艶然と笑いながら手でぬぐった。
「おだまり、この役立たずのヒモ!」
 三人の若い男たちが、ニヤニヤ笑いながら、妻の周りにたかりはじめる。
 妻は、奴隷を従えて自分の地位を誇る地主のように、夫を見下げ、笑い出した。
「さあ、今日もよおく見ているといいわ!」

 私は、ローズを連れて部屋を出る。二つの妹は、毬のように太った体をむくむく動かして、ぐずりながら私の手をつかんで、ぐいぐい引いた。
「ううう、ううう」
「何?また飴?いいわよ。好きなだけなめれば?」
 母親の乳の味をほとんど知らずに育った妹は、渇くように菓子類を求める。私はいつもポケットに飴を入れ、欲しがれば欲しがるだけ与える。
 飴の包みをはがし、妹の口にほうり込んでやると、もごもごと口を動かし、眠るように目を細めてしゃぶりはじめた。飴を口に入れている間は、妹は歩くのをやめて、ぼうっと立ち尽くす。
「不細工な子ね」
 私は、ローズの、蒸しパンのようなぶっくりした容貌にため息をつく。
「一体、どこの誰に似たのかしら」
 父にも母にも似てない子。
 私は、階下から届いて来たかん高い女の声を、耳の外へやりすごす。
 上がる嬌声。
 私は、ずっとそれを見てきた。
 父の前で復讐する、母を。

 父は私を溺れるように愛している。母は、私が生まれて以来、父と私を憎むようになった。
 八年前。生まれた私を見て、父は母を蔑みの目で見てこう言った。
「この子はローズだ。俺に似て、なんて美しい。薔薇のようだ。お前になんか似なくてよかった」
 当時、酒場で、父の顔を知らない者はいなかった。酒場酒場の女たちをつぎつぎにたらし込み、身を崩させ、金を吸い尽くすヒモだった。そんな父にだまされた女の一人が、母だった。
 母は、酒の席だけではそれほどの客もとれない女だった。気も利かず、ただ小綺麗な顔だけが売りの、男にしなだれかかる女だった。そんな女を、会話の相手として欲する客は多くはいない。もっと下卑た目的があった。母は、仕事以外の時間のほとんどを、求められるままに、若い体を売ることに費やして生計を立てていた。
 男と見れば媚を売っていた母に、食いついたのが父だった。容貌と口先だけは良かった父は、母を、周りも見えないほどに溺れさせた。そして金を巻き上げ、あげくに、私を身ごもらせた。
 妊婦になった途端、父は母を、酒場からやめさせた。家に閉じ込め、召し使いのように扱った。そのころの母は21歳。まだ充分、酒場で若さをひけらかせる年だったが、腹の中には私がいた。大きくなっていく腹を抱えながら、母は父の世話をした。父は、夜ごと家を留守にした。放蕩者の自由を奪う、自分の子供を宿すという不始末をしでかした女に家の守りをさせ、父自身は新しく若い女を食い漁っていた。
 ところが間もなく、母が臨月を迎えようというころ、父は体調を崩した。今までの放蕩が過ぎた結果だった。母はこれ幸いに、父の家を出て行こうとした。しかし、もはや母に残されたものは何もなかった。蓄えていた金は父が使い果たし、若い体にはもう殺せない大きさの私が宿っていた。母は、父のそばに居続けるしかなかった。
 そして、私が生まれ、父は母に、言葉を吐いた。
「この子はローズだ。俺に似て、なんて美しい。薔薇のようだ。お前になんか似なくてよかった」
 母の復讐が、始まった。

 今夜も嬌声が狭い家に響く。
 子供用のベッドで涎を垂らして寝こける妹のそばに、私は腰を下ろしている。部屋に明かりはついていない。雲間からときに現れる月影が、気まぐれに窓からさしこむだけ。
 床の上には綿ゴミが転がっている。掃除が行き届かず、埃は積もるばかり。天井の角々には蜘蛛が巣を張っている。まるで幽霊の住む家。
 ただ、妹の寝具と玩具だけが家の色から浮いていた。それは、フリルとレースに縁取られている。明るい黄色だったり、甘い桃色だったり。奇妙なほど明るく優しく豊かだった。
 母の、復讐の道具。
 私から名前を奪い、この子につけた。
 私は、下腹の痛みに、顔をしかめた。
 足下の床を、数匹のネズミが駆けてゆく。
 睨みつけるとバタバタと床を転がった。
「生まれてすぐに、壷に込められて殺されなかっただけ、まあましね」
 私が早熟なのも、気味が悪いほど目端が利くのも、冷たいほど冷静なのも、答えは一つしか無かった。
 魔女を使い殺した男は、自分の子に溺れた。この家は、魔女を殺せない家。財産も愛もない。復讐と欲望と私が頼り。

 もうすぐ、父の命も終わり。そしたら、私たちは、きっと家を出て行く。



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