シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

38 プリムラ

 ロビンは城中を捜し回って不調に終わり、長女の部屋に戻った。
 果たしてそこには、十数年前とは比べ物にならないほどの凄絶な色香をまとった美女がいた。
 目指す獲物にようやくたどり着いたもどかしさ、そして、さきほど召使いたちから受けた屈辱への憤りを上乗せして、男は、長女を脅かすべく恫喝した。
「帰って来てたのか!魔女め!」
 寝台に乗っていた長女は振り向いてロビンを見た。
 嘲笑に笑む銀色の瞳が、弓矢で射るように男に向けられた。
 長女は、舞うような優雅さで、ふわりと寝台を降りる。
「マリーとの逢瀬は終わったの?」
 嘲る微笑みを向けられて、ロビンの背筋は粟立った。鼓動が不気味に高鳴った。
「なんて女だ」
 ロビンの顔は、抑えきれない欲望に歪んだ。蜃気楼の楽園を追う砂漠の遭難者のように、プリムラの方へ駆け寄る。
 そこに、4人の召使いが立ち塞がった。
「プリムラ様に近寄らないで」
「戻って、マリーを愛してた方が相応よ?フフフ」
「私たちにおびえていたくせに」
「見苦しい」
 口々にのぼる侮蔑の言葉に、ロビンの表情が怒気に閃いた。
「化け物が人間に何を言うか!」
 拳を握り、召使たちにふるう。
「下がりなさい。もういいわ」
 プリムラがつぶやいた。召使たちの姿は、瞬時に消えた。ロビンは拳の向け先が消えて、たたらを踏む。
 寝台の上に起き上がったシンデレラは、その光景に、目を見開いた。
「あ……」
 召使いはいなくなり、4匹のネズミがいた。掃除をするシンデレラの後をついて回っていた、小さな友達が。
「チュウ!」
 一声鳴いて、ネズミたちはプリムラから離れて駆けて行った。
「ネズミ、ネズミだったのか……」
 ロビンは、四方に駆け去ったネズミを揺れる瞳で見て、呆然とつぶやいた。さっきは、ではネズミを抱こうとしていたのだ。……さぞ、滑稽だっただろう。
 羞恥や憤りの感情で顔色がまだらに変化したロビンは、ぎらりとプリムラを見た。
「この魔女が!」
 プリムラはおかしそうに笑った。
「ホホホホホ!ネズミに化かされていたようね?抱けばよかったのに。ネズミと人間の子ができたかもしれないのに!ホホホホ!」
「黙れ!」
 ロビンは、腹を折って笑うプリムラに飛びかかった。プリムラは抵抗することもなくロビンにむしゃぶりつかれた。黒真珠の光沢を放つドレスに包まれた、しなやかで豊かな体が、欲情した男の腕に絡み付かれる。
「魔女め!お前なんかな、一言申し添えて役所に引き立てて行けば、すぐに火刑にされるんだ!」
「そうされたくなかったら、あなたの慰み者になれというの?ホホホホホ!」
 プリムラは高らかに嗤う。
 頬を引きつらせたロビンが、プリムラのドレスの襟を引き裂く。
 プリムラは抵抗も何もしなかった。張り倒されるように寝台の下端に倒され、ロビンが飛び乗る。
 シンデレラは、窓に面した枕元の方へ身を遠ざけた。目の前で、プリムラの白い肌があらわにされていく。貪るような男にされるがままになっている。
 その一方的な搾取とも言える光景に、シンデレラは声を漏らした。
「プリムラ、」
 ロビンの食い物にされているプリムラは、ゆっくりと顔を仰のかせて、息を詰めているシンデレラを見て、嗤った。
「言ったでしょ?何もないって」
 シンデレラは言葉を返せなかった。
 プリムラは、凍えた吐息のようにつぶやいた。
「私は魔女。外に知られたら、もう生きて行けないも同じなの。この年まで生きられたのも、気味が悪いほどの幸運なのよ。母が腹黒かったお陰かしらね。魔女としての私は、母にとって必要不可欠な道具なの。私がいないと、生活がなりたたないもの。召使いはネズミに戻り、馬車はカボチャとトカゲに還るわ。外面の豊かな生活を守るために、母は私がなんであるか、誰にも教えなかった。そのことは感謝しているわ」
「魔女でも生きられるわ」
 漏らされた返答に、プリムラは呆れた笑みとともに首を傾げた。胸の上にたかるロビンの頭が上を見ないように、抱き寄せて胸にうずめる。
「ほんの一握りよ。王宮に召し抱えられたり、市井で店を持ったり。数えるほどもいないのよ」
「そんなこと、」
 そんなことはないと言おうとしたが、しかし、その後に続く言葉を、シンデレラは見つけ出せなかった。魔女とわかった時点で、たいていは、いわれの無い罪を着せられて、一方的に殺される。特異な力を持ち、人間離れした美貌の女たちの、それが末路だった。
「そんなこと?あなたが慰めの言葉をくれるの?」
 プリムラはくすりと笑った。
「あなたに慰められるほどじゃないわ。それに、言葉の慰めならいらないわ。希望なんてないもの。最初から」
 ロビンはプリムラに耽っている。プリムラの身体は人形のようにされるがままになって、顔を上げてシンデレラを見つめる。
「きれいなシンデレラ。私とは違うのよ、あなたは。だから私はあなたを閉じ込めておきたいの。何も無い私の代わりに」
 プリムラはつぶやいた。
 そして、微笑んだ。
 シンデレラはプリムラの方へ這い進んだ。包帯から染み出した血液が、寝台のあちこちに滲みている。
 プリムラの顔に、シンデレラの白金の髪が、陽光を反射する小雨のように輝きながら、さらさらと落ち掛かった。
 プリムラはロビンの頭を下方に押しやった。欲望に狂う男は、雑食性の動物のように、見境なくプリムラの身体に食いつく。
「なあに?慰めてくれるの?」
 プリムラは冷めた微笑みを浮かべた。
 シンデレラはプリムラの額をなで、金色の髪をすいた。
 プリムラは右手を上げて、シンデレラの頭を引き寄せる。
 シンデレラは抵抗しなかった。
 桜色の唇と深紅の唇が触れた。
 甘いともいえる口づけを重ねて、プリムラはささやいた。
「私と一緒に死んでくれない?」
 シンデレラは首を振る。
「駄目よ。私には約束があるの。父との約束が」
 シンデレラの右頬に細い右手を這わせながら、プリムラはささやく。
「でも私と同じ、先に何もない約束じゃないの。ただ、城を守るだけ。それでも生きるの?」
 シンデレラは、プリムラを見返した。
「いつか必ず迎えが来る、と、父は言ったわ。だから私は、待つの」
「おめでたいのね」
 プリムラは再びシンデレラの頭を引き寄せた。
 唇が触れ合う寸前で、プリムラは目を細めて眉をわずかに寄せ、くっと顎を上げた。
 ロビンがプリムラを抱いていた。
 シンデレラはたじろぐように身を引く。
「逃げないで」
 プリムラがシンデレラの腕を取った。
「ここにいて」
「……」
 動かない表情の中に、シンデレラはプリムラの別の表情、逆の表情を見た。
 枕元に行こうとした姿勢を、元に戻す。
 プリムラの頬を両手で包んで、シンデレラは顔を寄せた。プリムラの目が細まり、長い睫が銀の瞳にかかる。近づいたシンデレラの吐息が、ふわりとプリムラの唇にかかった。溶けるように口づけあう。シンデレラの頭を引き寄せるプリムラの手の力が強くなる。かすかに漏れていくシンデレラの吐息の中に、かすかな声が混じる。
「あ……」
 プリムラの頬を包んでいたシンデレラの手が崩れる。シンデレラの上体が揺らぐ。
 プリムラの右手がシンデレラの頭を離れ、五本の指がシンデレラの額を、降り掛かる花枝に触れるように押し上げた。唇がわずかに離れ、プリムラはシンデレラにささやく。
「私の物にならない?」
 シンデレラは首を振った。
「いいえ。私には父との約束があるの」
 プリムラは、シンデレラの額に指を当てたまま見つめ、そしてつぶやいた。
「希望ね」
 シンデレラは、プリムラの頬をそっとなでる。
「そうよ」
 二人、そのまま見つめ合った。



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