もしもフロラに何かあって、どうしても動けなくなったときは、助けを呼びなさい。声に出して「助けて」って叫べばいい。そうすれば、絶対に誰かが助けに来てくれる。
「助けて!」
体の後ろに突き当たる冷たい強風。自分の重さに支えがなくなる恐怖。体を縛る手。赤く温い液体。シンデレラは絶叫した。
プリムラはシンデレラを抱いて堕ちる。
「綺麗なシンデレラ、」
「『命にかかわることは何もされてません』だと? 嘘つけこの根性悪! なんだこれは!」
「知りませんわ! さっきのさっきまで普通でしたのよ!」
「さっきっていつのことだ!」
「舞踏会の直前までです。それ以降はわかりません。王子に話がつけられて、安心しきったのですわねえ。私」
「このエセ魔法使い!」
「ああら?そんなことおっしゃられるなら、正真正銘の魔法使いだという証拠に貴方様をニワトリにでも変えて差し上げますわ?」
魔法使いの部屋で、突然の口喧嘩が勃発した。
「いいから助けろ! 人でなし!」
王子の叫びに、魔女は微笑んだ。
「ニワトリの件はご了承いただけたということですわね。わかりました」
「待て!」
魔法使いクリスティーナは、真っ青になる王子を無視して、床に膝をついた。
「どれがどっちの血やら、さっぱりだわ」
二人の女が、意識を手放して大理石の床に横たわっていた。二人の周りには血液がばらまかれていた。
背に斧が突き立った美女は、もう一人を抱き込んで、現在も流れる大量の血液で真っ赤に染まっている。
美女の腕の中にいる乙女は両足を血に染めて、どうやら白だったドレスは全体が真っ赤に濡れている。
「さてと」
クリスティーナは、女の背中にささっている斧を引き抜いた。流れるだけだった血液が、吹き出した。
「クリスティーナ! 殺す気か!」
王子が叫ぶ。
「はいはい。外野はおだまりなさい。私のやることに口出しは止してくださいな」
クリスティーナは適当に受け流しながら、女の首の後ろから腰に右手を滑らせた。
速やかに出血が止まった。
クリスティーナは、背後に立つ王子を振り返る。
「この通り、私は医者ではありませんの。おわかり?王子」
「すまなかったな。お前をつい普通の人間だと思ってしまったよ許してくれ」
王子が棒読みで応じた。
クリスティーナは、二人を取り外しにかかった。
「心中かしらねえ?」
首をかしげながらの安穏たるつぶやきに、王子が渋い声を出す。
「何言ってるんだお前」
「お子様は黙っててくださいまし。っく、執念深い女ね。離しなさい、この手を。これじゃ治療ができないじゃないのっ」
渾身の力で、クリスティーナは、女がもう片方を抱き込んだ手を引きはがす。
「おのれ、離さんかっ……!」
武道の組み手解体のような凄まじい形相で、クリスティーナはそれを成し遂げた。二人は離されて仰向けにされ、双方の顔があらわになる。
片方は、舞踏会でも知られた美女。
もう片方は、今日の舞踏会で王子の隣にいた姫だった。
「フロラ、」
王子が、声を漏らした。
魔法使いは、ニヤリと笑いながら、嫌みたらしく目を細めて王子を見た。
「よく覚えておいでですのねえ?最後に会ったのはもう十年も前でしょう?ホッホッホッホ!」
「お前が宣伝しまくるからだろうが!それに、私はこの十年間、からくりを捜し続けたのだぞ! 娘の名前くらい覚えている!」
「オッホッホッホ! あっさり『そうだな』とだけおっしゃればそれで済みましたのに! てんこもりの言い訳なんかなさって! 可愛らしいお方!」
「一々つっかかるな!」
「あら、何よこれ!」
王子を無視して魔法使いは声を上げた。フローレンスの足の包帯を解いて見ていた。
足の裏に、規則的な深い切り傷が、びっしりと彫り込まれていた。足を持ち上げ、ためつすがめつ眺めて、クリスティーナは徐々に不機嫌になる。
「嫌だわ。しかも何か訳のわからない魔法まで掛かっているではないの! これでは治せない! 一体、誰なの! こんな嫌らしいことしたのは!」
背後に立つ王子が、眉を顰めた。
「お前みたいな人間がいるものだな」
「おだまりなさい。今は冗談で言ってるのではないのです」
クリスティーナは振り返りもせずに言った。そして振り返った。
「医者を呼んでください。フローレンスのために」
王子は、瞬きした。
「そちらの女性はいいのか?」
魔法使いはうなずいた。
「これはいいのです。いいから呼んでください」
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