魔法使いの部屋の床上で、死んだように意識を失っている金髪の美女を前に、魔法使いは難しい顔になっていた。
「早く起きないかしら」
王子を部屋の外に追い出して数分経った。女は目を覚まさない。
クリスティーナは、これが兄の再婚相手の娘だということを知っている。とはいえ、顔を知っているだけで、他に知っていることといえば、姪のフローレンスをいじめているということだけだった。
しかし今、クリスティーナはこの女に対して気味の悪い予想を持っていた。
斧が突き刺さっていた背中の傷口は、深すぎるほど深かった。斧は背骨まで折って食い込んでいた。そして、数度にわたって斧をたたき込まれたようで、組織がぐずぐずになっていた。
なのに、クリスティーナが助けた時、まだ生きていた。
「起きなさい」
クリスティーナは命じた。
「いい加減に起きなさい」
クリスティーナは、右手を振り上げて、プリムラの左頬を平手でぶった。パアン!と音が響いた。
果たして、銀色の瞳が開いた。
「ここはどこなの?」
大きくはないが、はっきりした声が、クリスティーナに問いかけた。今の今まで重傷を負って意識を失っていたのにもかかわらず。
クリスティーナは、舌打ちした。やっぱりだ。魔法使いの悪い予感は、当たった。
「ここは王宮よ。私はクリスティーナ。私のこと、知ってるかしら?」
プリムラは起き上がった。真っ赤に染まったドレスがはだけると、赤い肌が現れた。
「知ってるわ? 王宮の魔法使いが、一体何の用なの? 私の邪魔をしないでちょうだい」
クリスティーナの白い額に、青筋が浮いたのは、その言葉と同時だった。
「このクソガキャああああ!」
クリスティーナは、プリムラの左頬をつねり上げた。悪さをした子供を叱るときにするように。
「それはこっちの台詞だよっ! よくも訳の分からない真似をしたわね! お陰で、こんな夜中に働かなくてはならなくなったじゃないのっ!」
「何をするの!」
プリムラはクリスティーナの手を振り払おうとしたが、めまいを起こしたらしく、くらりと傾いだ。
「何をしてるんだ!クリスティーナ!」
騒ぎが耳に入った王子は、扉を明けて部屋に舞い戻って来た。
そしてクリスティーナの所業を見てさらに叫ぶ。
「お前の方が虐待してるじゃないかっ! この魔女!」
クリスティーナは血塗れの美女の頬を離さずに、ピシャリと返す。
「おだまりなさい王子! 私はこの義理の姪に躾をしてやってるところですわ!」
王子は、聞き捨てならない言葉に顔色を変えた。
「義理の……? おい、クリスティーナ!お前には家族はないはずだろう?」
クリスティーナは心底うるさそうに眉をひそめた。
「そんなこと、今お話しすることではありません! どうやらあんたがフローレンスの足をあんなふうにしたのね? えらい恥かいたじゃないのっ! 医者に笑われたのよ! 『ハッハッハ! なんですか? 治癒魔法の失敗ですかな? これは愉快』って言われたのよ! あんたのせいで! 国一の魔法使いが、こともあろうにあの坊ちゃん先生に笑われたのよ!」
王子は、血まみれの美女をいびっている魔女に駆け寄り、左頬をつねり上げている手をつかみ上げた。
「どう見ても虐待だろうがっ!」
ぎらりと王子を見たクリスティーナは、嗤った。
「まあ? ホホホホ。わかりやすく教えて上げましょうか王子。フローレンスの足をあんなにして、城の断崖から身投げを図ったのはこの女です」
「なんだと」
動きが固まった王子に、クリスティーナは嗤う。
「この女、魔女ですわ?」
王子は凍りついた。
しかし、プリムラは少なくとも表面上は動じず、二人を睥睨して嗤った。
「そうよ?」
「このガキ! 生意気な口をきくなっ!」
反射でにらみ返すクリスティーナと、けだるげな血まみれの美女に、王子はうんざり呟いた。
「嫌だ……。まるでクリスティーナが二人いるようだ」
「ところで出て行ってくださいな。まだ入室を許可した覚えはありません」
クリスティーナは、横目で王子を見てイライラしながらつぶやく。王子は目を座らせてクリスティーナを見返す。
「また何かするつもりではないだろうな?」
魔法使いの目が、笑った。
「うら若い女性の柔肌が拝みたいのでしたら話は別ですわよ? どうぞ本人に直接交渉なさってくださいな?」
「な、」
王子は、血まみれの美女を見た。
服から何から真っ赤だったのでわからなかったが、着けているドレスの上体は、さんざに破られていた。
「失礼した、」
王子はつぶやいた。回れ右をして部屋を出るため歩きだす。引けば開く扉を、2度押してガタガタさせてから出て行った。
「オホホホホホホ!」
クリスティーナは腹を抱えて笑った。
「動揺してらしたわ! おかしいこと! これで、さっきの腹立ちの2割方が解消できたわ! ホーホッホッホッホ!」
「シンデレラはどこなの?」
切り込むように、笑い転げるクリスティーナに問いが突き付けられた。
クリスティーナは眉を顰めた。
「シンデレラですって? フローレンスとお呼び。何なの? あの子に何の用事?」
「生きてるの?」
「私が答えたい質問ではないわね」
クリスティーナは眉を上げて、プリムラに嗤いかけた。
「私の姪をよくも今までこき使ってくれたわねえ? あなたたち母子、ただでは済まないわよ」
プリムラが首を傾げて嗤った。
「姪ですって? あなた、シンデレラの叔母だったの? まあいいわ。今更、ただでは済まないと言っても、もう遅いわよ。城を見てきてご覧なさい」
「遅い?」
クリスティーナは、プリムラの顔をじっと見てつぶやいた。
「何をしたの? 何を企んでいるの?」
プリムラは嗤う。
「企み? 企みなら、もう終わったわ」
クリスティーナは、怪訝な面持ちで眉をひそめた。
「どういうこと……」
次の問いを発する前に、扉が叩かれた。
|