シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

小編 「魔法使いの夜のお仕事」

「クリスティーナ、薬剤が切れた。作ってくれないか?」
 顔を上気させて、端正な容貌の研修医が魔法使いの部屋の扉を叩く。
「クリスティーナ」
「今日はもう閉店よ」
 扉を勢いよく開けた魔法使いは、顔より先に返事を出した。
「薬剤師に頼みなさいな」
 孔雀色の長い衣を羽織った、一目見るだけで気が遠くなるほどの美貌の魔法使いは、しっしっと、手を振った。
 研修医は、猫を追い払うような相手の所作にむっとする。
「失礼ではないか! 仮にも私は王族だぞ!」
「元王族でしょう? この不良息子。どこの世界に家業をほうり出して医者になる王族がいるでしょうね? 笑っちゃうわ」
 見目よい研修医は、片頬で笑って、優雅に髪をかきあげた。
「フッ……、天性の才能は、生かさなければ虚しいからな」
 クリスティーナは鼻で笑ってやる。
「フッ、だったら、王族王族と言わない方がよろしくてよ?」
 孔雀色の服を翻して、魔法使いは部屋の中に戻る。
 振り返ってあざ笑った。
「今晩は坊ちゃんの遊び相手をしている暇はないのよ。こんな時間に調剤させられる薬剤師さんによろしく」
「ど、どこかに行くのか?」
 研修医は、クリスティーナの後を追って部屋に入る。
「しつこい子ねえ」
 うるさそうな顔をして一睨みしたクリスティーナは、冷たく嗤った。
「魔女が夜に出て行くといったら、……わかるでしょう? 坊ちゃん?」
 研修医は気色ばむ。
「坊ちゃんと言うな! 私の方が年上だ!」
 次いで、顔が真っ赤になった。
「クリスティーナ……、それは、どういうことだ、」
 クリスティーナは、艶然と嗤う。
「では、ごきげんよう。部屋の扉は閉めて行ってくださいな? 王子様」
 子供にするように研修医の頭をなでて、魔法使いは消えた。

「子守よ子守」
 クリスティーナは月夜の空に向かってつぶやく。兄の城に来ていた。城で一番高い塔の屋根に座って、天頂を過ぎた13夜の月を見つめる。
 クリスティーナは、月に吹きかけるようにため息をつく。
「兄さん。フローレンスが可哀想よ。あの根性悪ババア、兄さんの遺言がなければ、くびり殺してやるのに」
 クリスティーナは、水面に飛び込むように、塔から飛び降りる。月の光に溶けるように、落下の途中で姿が消えた。
 魔法使いは、城の地階に来ていた。暗い小さな部屋に、魔法使いは現れる。
「ああ。こんなところで眠って、」
 干し草を敷き詰めてシーツを被せたベットのそばに、小さな少女が倒れていた。灰色の石の床に、ことりとうつぶせになって、横顔を向けている。閉じた目から、涙の流れた跡が床に続いている。
 クリスティーナは少女を抱き上げた。
「ごめんね」
 ベットの上にそっと横たえて、髪をすいてやる。少女は死んだように眠って、身じろぎ一つしない。ベットというより藁布団といった方がふさわしいそれに自らも横たわって、添い寝する。
「ゴワゴワしてるわ。あのババア」
 クリスティーナは、眉をひそめて、恨めしそうにつぶやく。
「フローレンス、今日は一体、どんな一日だった?」
 そっとつぶやいて、小さな女の子を自分の懐に引き寄せる。ベットよりも格段に柔らかいものに触れて、女の子はぴったりとくっついてくる。
「とうさま、」
 寝言がもれた。
 魔法使いは哀れみ深く息をつく。
「とうさま、ね。あなたのお父様は、遠いお空にいっちゃったわねえ……」
 フローレンスに腕枕をし、抱き寄せて優しく髪をなでてやる。
「私は、あなたの目の前には出て来られないけれど、こうして見守っているからね。あんまりいじめがひどければ、ぶっとばしに来てあげるから」
 クリスティーナは、暗い壁を見た。
「先は長いけれど、あなたは独りじゃないわ。私がいる。そしてあなたの心の中には、お父様お母様がいらっしゃる。フローレンス、私たちが、ついてるわ」
 フローレンスは、クリスティーナにとりついて、一層深くこっくりと眠っている。
 クリスティーナも目を閉じた。小さなフローレンスに寄り添って。

 やがて、東の空が白むころ、魔法使いの姿は、朝もやが連れ去るようにして、フローレンスの側から消えた。
 目覚めたフローレンスは、珍しい香りに首を傾げることから、朝が始まった。
「いい匂いがする。けれど、この香りはどうしてするの?」
 ゆっくり起き上がり、暗い部屋を見回すが、何もない。着ている衣服に鼻を近づけると、香りが染み付いていた。
「?」
 こんな香りのするものは、この城には何一つない。
 強いて言えば、厨房にある乾燥ハーブやスパイス類がそれに近い。
 そして体から、昨日一日分の寂しさが消えていた。継母からつらく当たられた昨日の辛さが消えていた。
 まるで、父様が来てくれたみたいだ。一緒に寝てくれたみたいだ。
 この香りの意味を、フローレンスはそう思うことにした。
 フローレンスはベットから降りて、今日一日の準備を始める。
 父様との約束。父様が言ったこと。
 一日が辛くても、一日の終わりには、塔の上で、父様のからくりに会える。

「ク、ク、ク、クリスティーナ!」
 青くなった研修医が、突然王宮に出現した魔法使いを迎えた。
 魔法使いは、なぜ私の部屋にこの坊ちゃんが待ち構えているのだ煩わしい、という思いをこれでもかと顔に出して尋ねた。
「どうしてこのようなところにいるのです? まさか私の部屋で一晩過ごした訳ではないでしょうね?」
「馬鹿を言うな!」
 どうやら一睡もしていない様子の、目が充血して真っ赤な研修医は大きく首を振った。
「ここはお前の部屋でなく、れっきとした診療室だ! 間違えたのはお前だ! しかも診療台の上に現れたな!」
 クリスティーナは、研修医にまくし立てられて、瞬きを2回したのち、優雅に辺りを見回した。白一色の壁、銀色の器具。
「あら……。ごめんあそばせ? 自室のベッドと間違えたようですわ?」
 クリスティーナはにっこりほほ笑んだ。
「あ! 待てクリスティーナ!」
 早速、自分の部屋へ転移し始める魔法使いの薄れた姿に、研修医が声を上げた。
 魔法使いは消えかけた状態で応じた。
「なにか?」
「お前、昨日は、どこへ……、行っていたんだ?」
 なにやら泣き出しそうな表情をした青年の問いかけに、クリスティーナはゆっくりと首を傾げた。
「さあ……? ひみつです。」
 消えた。
「ク、クリスティーナ!」
 部屋には、悲壮な顔の研修医だけが残った。

 研修医をからかったお陰で、すっかり眠気も吹き飛んで上機嫌のクリスティーナは、部屋の窓から、眩しい朝日を眺めた。
「私は見ているからね。フローレンス。父様ほどではないかもしれないけれど。そして、ちょっと待ち長いかもしれないけれど、必ず迎えに行くから」



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