シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

49 歪んだ魔女1

「そうね。人殺し!」
 鋭い声が上がった。
 クリスティーナだった。
 つかつかと、ベットに歩み寄り、プリムラに寄り添うフローレンスを抱き上げた。
「いやあっ!」
 悲鳴を上げたのは、プリムラだった。
「っあ、!」
 フローレンスが身を捩った。
 プリムラが必死の形相で起き上がり、フローレンスの足をつかんで、引っ張っていた。
「連れて行かないで!」
「やめて、プリムラ! 痛い!」
 プリムラは引くばかりだった。
「痛い!」
「クリスティーナよせ! フローレンスが可哀想だ! 降ろしてやれ!」
 王子が叫ぶ。
「クリスティーナ、プリムラからフローレンスを取り上げるんじゃない。フローレンスを可愛く思うなら、降ろしてやれ。プリムラは離さないぞ。フローレンスの傷が悪化してしまう」
 医師がたしなめた。
 クリスティーナは歯がみしながらプリムラを睨み、フローレンスを降ろした。
 プリムラは消えた空気が戻ってきたような形相で、フローレンスを抱き締めた。
「フローレンスは渡さない!」
 右手で足を掴み、左手でフローレンスの背をかき寄せている。
「痛い!プリムラ、痛い!」
「誰にも渡さないわ! お願いここにいて! ここにいて!」
「プリムラ!」
 フローレンスの悲鳴がかった叫びを、プリムラは聞かない。
「やめなさい」
 医師が苦笑いしながら、フローレンスの足をつかむ手を、指の一本一本からはずしていく。
「ほら、プリムラ。痛がっているのだから、やめなければ可哀想だよ。フローレンスはどこにもやらないから、安心なさい」
「どこにも行かないで! お願い!」
 プリムラは医師の言葉にも気づかず、両手でフローレンスを抱き締め、胸に顔をうずめた。
 まるで、子供のようなプリムラの態度に、フローレンスは戸惑った。
 別人のようだ。
 ……、「私なしでは生きられないようにしてやる」と私に対して言ったのに、逆に自分が体現している。
「プリムラ?」
 フローレンスは、どうしようもなく、プリムラの背をさすった。
「どうやら、あなたはお母さんのようなものなのかもしれない。プリムラの」
 医師が、フローレンスに語りかけた。
 フローレンスは顔を上げた。
「え?」
 医師はうなずく。
「お母さんだよ。あなたは、閉じ込められていた城で、家事や彼女たちの世話に追われていたのだろう? 召使いを雇えない市井の家では、それは母親の仕事になっている。愛情のない素封家の家庭では、子ども達は、自分の世話をしてくれる召使いに母性を求めることがある。それなんじゃないかな、きっと」
 そばに立っていたクリスティーナが、出がらしのお茶のような顔でうなった。
「この魔女、歪んでる……」
「は?」
 王子が首を傾げた。
「歪んでるんです」
 クリスティーナがうなる。
 ああ、と、王子はつぶやいた。
「たとえばお前みたいにか?」
「蛙にされたいんですか?」
「う!」
 王子は跳び退った。
 クリスティーナは、ふん、と鼻を鳴らした。せっかくの美貌が台なしの仕草を、よくこの魔法使いはする。
「『できるものならやってもらおうか?』とか、骨のある言葉をお返しくださいな? ああ情けない。一国の王子ともあろうお方が」
 あからさまに嘲笑するクリスティーナに、王子は目を座らせた。
「もしも私がそう言ったら、本当に蛙にするのだろう?」
「ええ喜んで」
 クリスティーナはあっさり応じた。王子は魔法使いから目をそらし、大きくため息をついた。
「じゃれあいは、もういいだろうか?」
 どこかしら刺のある言葉が、クリスティーナに向けられた。
 医師だった。
「羨ましいですか?」
 魔法使いは意地悪く微笑む。
「私は嫌みを言っているのであって、羨ましいなどと一言もいってないがね、クリスティーナ」
 医師は、背後に炎を背負った氷の微笑みで反論した。
 魔法使いは毒の入った氷点下の笑い顔で応じる。
「そうですか。でしたらどうぞご用件をおっしゃってくださいな?」
 二人の、冷たいのか熱いのかわからない、諍いかどうかもよくわからないやり取りを聞きながら、王子はつぶやいた。「私を巻き込まないでくれ」と。しかし、いがみ合う二人に聞こえるはずもなかった。
 二人の、次元が知れない応酬は続く。
「この坊ちゃん医者」
「ふ……、私は王族だよ? ぼっちゃんなどと……ははは。もう少し言葉を勉強したらどうだい? 魔法使い」
「心根がおぼっちゃま、だと申し上げているのですわ? お子様でもよろしくてよ?」
「ははは。これは片腹痛い。傾国の美女と称される魔女でありながら、現王からマムシのように嫌われている変わり種のくせに」
「ホホホ。ぼっちゃまにはわからないでしょうけれど、そうでないと、王宮ではやっていけませんのよ? 一国の主をたらし込んで国を転覆させても、何の得にもなりませんもの。それは魔法使いとして当然の配慮ですわ? ですから私は王宮の魔法使いとして名を上げているのです。それとも」
 ニヤリ、と、クリスティーナは嗤った。
 王子はその顔を見て「ああ、また何か根性の曲がったことを考えついたようだ。どうして、この魔法使いはここまでねじれてるのだろうか」と思い、うんざりしてため息をついた。
 医師は、魔法使いの嗤いの意味を、長年にわたり遊ばれ続けている王子ほどには理解できなかった。
「それとも、なんだというのだ?」
 王族の身分を一応返上し、自分の能力を頼りにここまでやってきた医師は、自尊心と冷たさと、また、子供っぽいある感情を混じらせた、表面上は嘲るような微笑みで応じた。
 クリスティーナは、嗤った。
「やめろよ」
 王子が、一応止めるが、王子の予想通り魔法使いは無視した。心底から楽しそうな含み笑いというか忍び笑いを浮かべて、医師の方にずかずか近づいた。
「! なんだクリスティーナ、うわ!」
 魔法使いは、医師の両肩に手を掛けて有無を言わさず力づくで引き寄せ、禁忌の花が一斉に咲き誇らんばかりの妖艶な笑みを浮かべて、本当に間近でささやいた。
「それとも、あなたを溺れさせてやろうかしら? 今の地位も何もかも、忘れさせて身を持ち崩して差し上げましてよ? わたくし以外に興味を持たせなくして差し上げますわ」
 今までに絶対ないほどの距離でささやかれてとまどい、医師は目線を彷徨わせた。クリスティーナは妖しく美しい夜香花の香りのように微笑んで、医師の顔を両手で包んで、泳ぐ視線を自分の美貌に固定させた。
「いかが?」
 吐息のようにささやくと、医師の顔から耳から、出血せんばかりにあざやかな朱に染まった。
「あ……」
「やめろこの根性悪!」
 背後から王子が、魔法使いの後頭部を、ばしっとはたいた。
 それにより、今まで慄然とするような妖艶な美女だったクリスティーナは、ちっと舌打ちをして顔をしかめて振り返った。
「まあ麗しい兄弟愛ですこと。私の邪魔をしないでくださいな。あと少しで、この憎たらしい坊ちゃんを籠絡して私の足元にひれ伏させ、崇め奉らせてやれたのに」
 王子はめまいを覚えながら言い返した。
「ちょっと気に食わないだけで、他人の人生狂わせるようなことをするな!」
 医師が、はっと我に返った。さっとクリスティーナから離れる。
「ク、ク、クリスティーナ! お前、こともあろうにこの私をっ!」
 首から上を紅潮させたままどなる医師に、魔法使いはニタリと嗤う。
「こともあろうにこの私を? 骨抜きにして、私の僕にして、『麗しのクリスティーナ様』と呼ばせて、死ぬまでこき使ってやろうかと思っておりましたの。それが何か?」
 この私をからかったな! と言うつもりだった医師は、クリスティーナのそれ以上の言葉に、頭の中が真っ白になり、開いた口がふさがらなくなった。
「こ、この、魔女……、」
 クリスティーナはにっこり笑った。
「ええ魔女ですとも。それにしてもよろしかったですわね? お優しい弟君があなたを、不肖の兄であるあなたの未来を思いやって、窮地からお救いくださいましたのよ?」
 そこで言葉を切り、クリスティーナは表情を底暗く変えた。
「……、あともう少しだったのに。チッ!」
「チッだとおっ!」
 医師がいきり立った。
 王子はそろそろ渋い顔になり、二人に言った。
「なあ。じゃれ合いはもういいだろうか。話がとてつもなく横に逸れているのだが」



←もどる次へ→



作品紹介へ inserted by FC2 system