シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

52 開かれる時計室

 王子は、病院から連絡通路を通って王宮に戻り、大広間に向かう廊下の壁につけられた、錆び付いた鉄の扉の前にたどりついた。
 沢山の召使いたちが忙しそうに廊下を行き交っている。その多くが、両足に包帯を巻いた見目麗しい患者を抱えた王子を見て、大きく目を見開きながら通り過ぎて行く。フローレンスが、ドレスではなく病院の患者用の衣を着ているので、皆、何事かという目で見ていった。
 王子は、しまった、とつぶやいた。
「そうか、もう朝だったんだ。気が回らなかったな。一番往来が激しい時だ。……悪かったねフローレンス。ずいぶん衆目を集めさせている」
 フローレンスは首を横に振って王子を見上げた。
「王子にご迷惑が掛かりませんか?」
 王子は苦笑して首を傾げた。
「今、私の周りでは縁談の話がもちきりでね、これで騒ぎが起こるかもしれないが。でもそれは私にとっては小さなことだ。私は、時計室の扉が開くかどうかが重要なことなのだ。フロラ、開けてみてくれないか?」
 フローレンスはうなずいた。首に掛けた、鍵のついた細い鎖を外した。錆び付いて赤茶けた扉の鍵穴に差し込んで、回した。
 ガチャ、と、音が響いた。
「やった!」
 王子は叫んだ。
 行き来する召使いたちが、ぎょっとして王子を見て行く。
「開いた! 開いたぞ!」
 王子は快哉を上げた。
「ありがとうフロラ! ありがとう!」
「そんな、王子」
 フローレンスを抱えて、王子は子どものように喜んだ。
 フローレンスは戸惑った。
「お礼を言われることは、何もしてません。王子」
 王子は大きく首を振った。
「あなたになくても、私にはあるのだ。あ、私には扉を開ける手がない」
 両手はフローレンスの為に使われていた。
 フローレンスは笑って、扉の取っ手を引いた。
 扉は、さびついた外見にもかかわらず、音もなくなめらかに開いた。
 カールラシェル教授が去って十年後に、扉は開かれた。十年前、教授を見送って部屋に留まった空気が、開かれた扉から溢れてきた。かび臭さもほこり臭さもない、機械油の香りを漂わせて。
 フローレンスを抱き上げている王子の腕が震えた。王子の鼓動が速まるのが、フローレンスに伝わってきた。
 王子は、時計室に足を踏み入れた。
 沢山の歯車が、音もなく回っていた。床は灰色の石材。天井はなく、ただ歯車の連なりが、空に続く森のこずえのようにあった。床からは金属製の簡易な小さい階段が上に伸びていて、歯車たちの中を通る路をつくっていた。
「ああ、」
 フローレンスは、見上げてつぶやいた。
「同じ。城と同じ、父様のからくり」
 王子は息を呑んで部屋を見回し、そして、声を上げた。
「書類の山がある」
「え?」
 フローレンスは、王子の顔を見た。王子は部屋の左隅の床を見つめていた。
 王子はそちらに歩いて行った。
「これは、一体なんだろうか」
 床に膝をついた。
「王子、大変でしょう? 結構ですから私を降ろしてください」
 フローレンスの申し出に、王子はうなずいた。
「ごめんね。床の上で申し訳ないが」
 フローレンスを降ろした。
 二人は、うずたかく積まれた書類の山に手を出した。
「離婚、届? それから……ああ、これは相続関係の書類だ」
 王子がつぶやいて、首を傾げた。
「どうしてこんなところに?」
 隣ではフローレンスが広い大きな巻紙を広げていた。
「設計図だわ。これは……原本だわ。どうしてここに?」
 お互いに発した言葉に、お互いが反応した。双方が握っている書類を見つめて、図ったように、交換した。
 二人は、息をつめ、吸い込まれるようにそれらに目を奪われた。
 書類の山は、カールラシェル教授が残していったものだった。
 離婚届と遺産相続に必要な書類があった。教授が遺した財産は、フローレンスに受け継がれた知識だけではなかった。特許料の振り込まれる口座が、いくつもあった。フローレンスを、物心両面にわたって継母から引き離すためのものが、揃えられていた。
 そして、フローレンスへの手紙があった。
 王宮のからくりの設計図の原本が、揃えられていた。そして、王子への書き置きがあった。
 
 フロラへ
 大きくなっただろうか? 愛しいフロラ。汚い字でごめんね。とても、急いでいるものだから。いいかい。これを全部、役所に持って行きなさい。わからなければ、魔法使いのクリスティーナに頼みなさい。クリスティーナはね、お前の叔母さんなのだよ。多少は荒っぽいかもしれないが、いい叔母さんだから安心なさい。父様は、もうすぐいなくなるけど、クリスティーナがいる。お前はたった一人で残るわけじゃない。これを読むころには、もう知っているだろうか。
 どうだい、王宮のからくりは。城のと同じだろう? けれどね、一カ所だけ、歯車が違うところがある。フロラは多分、十年、からくりを調整してきたからわかるだろうけれど。それを交換しなさい。きちんとした歯車は、そのそばに置いてあるから。交換しないと王宮が崩れてしまうから。お願いしておくよ。父様が、フロラの中にきちんと残せる財産は、父様の知識だけだった。だから、フロラに伝えた。それを役立ていくかどうかは、大きくなったあなた自身で決めなさい。
 きっと、これを読んでいるころには、父様は、フロラのそばからいなくなっているね。ごめんね。もっと早くこうなるとわかっていたら、もっとましなことができたのだけど。
 つらい目にあっただろうか? けがなんかしなかったかい? きちんとご飯は食べられた? フロラを置いていきたくない。せめて大きくなるまで、そばにいられたら良かったのに。
 あと少しだけは、生きていられる。だから、フロラと一緒にいられるつもりだった一生分、父様はフロラを愛していくから。フロラのそばにいられなくなっても、父様はフロラを思っているから。母様と一緒に、フロラを見ているから。
 もう行かなければ。小さいフロラが待ってる。いいかい。幸せになって。父様も母様も、見ているから。私にできる、あなたの幸せの素を、置いていくから。幸せになって、フロラ。

 王子へ
 あなたへの感謝と敬意を表し、謹んで王宮の設計図をお渡しいたします。私の挑戦を受けていただきありがとう。
 からくりの調整のことは、フローレンスに頼んでください。彼女にはわかるはずです。
 私の命もまもなく終わります。本来なら、私の部下に引き継ぐべき仕事でしたが。私の娘フローレンスの身が危ないのです。彼女を外の世界に結び付ける命綱が欲しかった。ですから、技術はすべて娘に遺していきます。
 王子、十年目の調整が終わったら、王宮のからくりは毎日の調整が必要となります。フローレンスにまかせるか、それとも、フローレンスからしかるべき人間に技術を受け継がせるかなさってください。できれば、彼女の意志を尊重していただけませんか。
 最後になりましたが、王子、いまだ、私の研究分野に興味がおありでしょうか? 興味が続いていらっしゃられたら、とてもうれしいことです。小さなあなたの好奇心に満ちた目を拝見するのは、私の楽しみでした。
 さあ、これで私からの挑戦はおしまいです。長い間、お付き合いくださってありがとう。深く感謝申し上げます。

「父様……」
 手紙を読み終わったフローレンスは、そうつぶやいて手紙を置き、両手で顔を覆った。
「終わった」
 王子は息をついて、上を、歯車のこずえを見上げて、長く息をついた。
 歯車は、音もなくゆるやかに回り続ける。



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