シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

54 心の傷

「お帰りなさい」
 時計室の扉を開けた途端、クリスティーナが待ち構えていた。
「!」
 フローレンスはびくりと震えた。継母を思い出した。
 幼少のころ、父に抱えられて塔から降りてくるたびに、微笑みを顔に張り付けた継母がじりじりした様子で待ち構えていたのが頭に残っているらしい。昨日、クリスティーナに抱えられて塔を下ったきもそうだった。召使いが立っていただけなのに。どうやら、同じ条件が整うと、相手が何であれ反射的にひどく驚くようだった。
「どうした? フロラ」
 王子が首を傾げてフローレンスを見下ろした。クリスティーナも瞬きしながら姪を見つめて言った。
「王子がおののくのならわかるけど。フロラには何もしないわ。安心して」
 王子の目が細まる。
「どういうことだ」
 クリスティーナは王子の気持ちを無視して笑った。
「そういうことです」
「ごめんなさい」
 フロラはつぶやいた。
「小さいころの記憶が残っていて。こんなふうに抱えられて扉を開けた先に人が待っているのは、とてもこわいのです」
 叔母も王子も、氷雨に降られたような顔をした。
「そうか……。そう、なのか……。怖い思いを……」
 王子は同情に満ちた沈鬱な顔をした。
「ああっごめんね! フロラ! 怖がらせるつもりなんてないのよ! ごめんなさいね!」
 クリスティーナはおろおろと謝った。珍しい。
「いいえ!」
 二人の対応に驚いたフローレンスは急いで首を振った。そんなに思ってもらえるとは考えもしなかった。さらにいい加えた。
「いいえ。その内に慣れますきっと。だから、気になさらないで」
 しかし二人は時々刻々と深くなる悲壮な哀れみに満ちた表情で、フローレンスをじっと見つめている。
「そうか……」
「ごめんね。何かあったら、どんなことでもいい、私に教えてちょうだい。あなたに悪いようにはしないから、決して」
「あの、」
 フローレンスはかえって戸惑った。そんなにまで気にしなくても私は大丈夫です、と言おうとしたが、言葉を追い越して涙があふれた。後から後からあふれた。
 泣き出したフローレンスを見て、王子は取り乱した。
「だ、大丈夫だよ、フロラ! クリスティーナ、お前、謝れ」
 普段なら王子にねじれた返答をするクリスティーナは、慌てふためいて王子の命令に従う。
「ごめんねフローレンス! 泣かないで! もうしないわ、もうしないから!」
「違います、二人の優しさにびっくりして、それで、……どうか気になさらないで、泣いているのは、怖かったからではないのです。違います、」
 フローレンスは自分の流している涙と、二人のあわてぶりの両方に驚いて、首を振った。
「いいえ」
 クリスティーナは横に首を振りながら、半泣きになって言った。クリスティーナが泣く所など、王子は初めて見た。
「いいえ。これからは私が守るからね。あなたを泣かせるものですか。周り一面を不幸にしてでも、あなたを不幸せになんか、しないわ」
「……それは、どうか?」
 引きつった顔でつぶやく王子も視界に入っていない様子で、クリスティーナはフロラに向かって、固くうなずいた。
「私があなたの家族よ……」
 クリスティーナは王子に抱えられたフロラをぎゅうっと抱き締めた。
「もう、一人じゃないわ。私がいるわ。あなたの前にいるからね」
 泣き濡れた声が、フローレンスの耳に届いた。
「フロラ……」
 父を亡くした後、ずっとついててくれた、夜、誰にも知られずについていてくれた、薬草の香りがした。
「クリスティーナさん……、」
 フローレンスは、そこに本当に魔法使いが実在しているということを体全体で確かめるように、しっかりと抱き締めかえした。



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