シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

58 内緒話

「ここにいてね、フローレンス」
 クリスティーナは寝台の隣に椅子を持ち出して座っていた。院長が部屋から出たのを確認すると、立ち上がった。
「ちょっと仕事をするから。兄さんの城に行くのは、お昼すぎになるわ。その前に仕事が一つできるから、終わらせたいの」
「はい」
 王子が、作業場からこちらへやってきた。
「私が呼び付けなければ、気の済むまで厨房で料理していたのだろうな。あの院長。ああ、良いことをした」
 クリスティーナは、クジャク色の長衣を腕まくりしながら言った。
「『料理長』はお帰りですか?」
 王子は軽く笑う。
「ああ。院長になりに行った」
「それはようございました。王子、私は仕事をしますので、どうぞ二人で話の続きをなさってください」
 クリスティーナは椅子を勧めて部屋を後にした。
 フローレンスは、クリスティーナが行った作業場の方を見つめた。クリスティーナは部屋の壁一面に造り付けられた引き出しから、乾燥した植物を取り出している。
「薬剤を作るのだよ」
 王子の言葉に、フローレンスは瞬いた。
「薬剤……、薬ですか?」
「そうだよ。医療用の薬。魔法使いは薬学の知識も持っているからできるんだ。まあほとんどは薬剤師がつくるけど。医師が魔法使いに頼む場合もあるんだよ。うちの兄はよく頼んでいるようだ」
「魔法使いがつくれば、良く効くのですか?」
 王子は首を振った。
「同じだよ。魔法が掛かっているわけではないから。皆、その辺りを誤解するけどね。魔法使いは、やたらに魔法を使えるわけではない。制限されてもいるし、自制もしている。ああ見えてもね」
「そうですか……」
 聞き入る様子のフローレンスに、王子は、感心した様子で笑いかけた。
「魔女や魔法使いの話に、興味がある?」
 フローレンスは、王子を見上げてうなずいた。
「ええ。クリスティーナさんも、プリムラも魔女ですし」
「そういえば身近な人が魔女だね。そうだ。魔女と魔法使いの違いを教えるよ。……クリスティーナを見てごらん、フロラ」
 少し、声をひそめて、王子はフロラに語りかけた。
「とても、きれいだろう?本人の前で言ったら大変だから、言わないけど」
 フロラは、王子を見上げた。
 彼の、クリスティーナを見る表情には、星空を見上げるような憧憬があった。ああ、と、フロラは気づいて、ほほ笑みを浮かべた。この方は、クリスティーナさんのことを。そして、フロラはクリスティーナを見た。
 光の具合で白金にも白銀にも輝く髪。瞳は銀色。立ち込めた深い霧のような白い肌。眼下に影を作るほど長いまつげ。意志の強さを表し壮麗な外観を形作る目や鼻梁。紅を刷いたわけでもないのに、真っ赤な唇。化粧を一切せず、あでやかな美貌を成立させていた。
「これは、私の推測だけどね。やろうと思えば、彼女は国を落とすことができるんだ。王を籠絡することもできるだろうし。純粋に魔法だけでも国一つ手に入れられるだろう。その後に良い統治ができるかどうかは別にして。とにかく、魔女として力を奮えば、大抵のことは、道理をねじ曲げてでもできるんだよ。特に彼女は、大きな魔法が使える大魔法使いだから」
「大魔法使い……」
 フローレンスは息を呑んだ。再会した時から、クリスティーナは、王子をからかってばかりのお姉さんという感じがして、彼女の魔女としての資質については、なぜだか、気にしなかった。どうしてだろうか。
「どうしてでしょう。意外に思います」
 フローレンスが王子を見上げると、王子は落ち着いたほほ笑みを浮かべて、見つめ返した。
「気味の悪さがないだろう? クリスティーナは、だから魔法使いなんだ。魔女なら何でもしてしまうが、魔法使いは決してしない。二つの違いはね。魔女としての本性に操られてしまうか、逆にその本性を操れるほどに強固な理性を打ち立てられるか。自分をしっかり持てるかどうか、ということ」
 フローレンスは、王子の言葉に無意識にうなずいて、クリスティーナを見つめた。
 料理に奮闘するお姉さんよろしく、薬草を乳鉢で一生懸命ゴリゴリすりつぶしている。
 見ていて安心感があった。
 この人は何もしない、と思えた。
「以前ね、」
 王子はつぶやいた。
「王宮の塔の一つに、時計台があるのだけど。その屋根の上に座って、月を見上げているクリスティーナを、見たことがあるんだ。一人で月を見ているクリスティーナを」
「何か妙なこと話してませんか?王子」
 クリスティーナが乳鉢を見ていた顔を上げて、いきなりこちらに声を投げた。
「してないよ!」
 王子が渋い顔になって大きな声で返す。
 クリスティーナはフフフと嗤った。
「私に都合の悪い話をしたら、その倍以上あなたにとって都合の悪い話をフロラにして差し上げますからそのおつもりで」
「してないと言ってるだろうが!こちらがしてなくても、クリスティーナは何か言うつもりだろう?」
「残念。もうしました」
「何っ!?」
 ガタン! と音を立てて、王子は椅子から立ち上がった。
「何を言ったのだ、クリスティーナ」
 顔色を変えた王子は、速足で作業場へ行った。
 クスクス嗤いながら、クリスティーナはそれを待ち受ける。机のそばまで来た王子を、クリスティーナが手招きした。
 そして小声で言う。
「冗談です。まだ、言ってませんわ」
 目を座らせた王子は、小声で返した。
「お前の冗談は、嘘なのか冗談なのか本当なのかさっぱりわからない」
「そうですか? じゃあ、正直に言ってしまおうかしら。昨日の舞踏会でフロラのことを『私が一目惚れして将来を誓った姫だと』と公言していたって」
「! そんなことは言ってないだろう。私はただ、」
「ただ何ですの? 昨日の設定は確か『王子が見初めた姫』でしたわよねえ?舞踏会の間中、隣に座らせたままで。しかも楽しそうに踊っちゃって。あれを見たら誰だって、その先には薄情な別れがあった、なんて思いませんわよ?」
「もういいっ!」
 王子は、大声を上げた。
「いいか! 絶対に言うなよ! フロラに迷惑が掛かるだろう? 勝手に私が将来を約束しただのしないだの! 彼女には彼女の人生があるんだから!」
「オホホホホホ!」
 クリスティーナが笑い転げた。
「何がおかしい!」
 クリスティーナは机をばんばん叩いて笑っている。王子は声を粗げた。
「だってご自分で今、おっしゃったのですもの! ホーッホッホッホッホ!ああ、おなかが痛いわ! 秘密なんじゃなかったんですの? ホホホホ!」
「あ……」
 王子は、凍った。

「違うんだ。ごめん。気にしないでくれ、フロラ。今、クリスティーナが言ったことは、……いや、私が言ったのか」
 王子は真っ赤な顔で、クリスティーナに笑い送られてフローレンスの方に戻って来た。
 うつむいて言い訳する王子は、理詰めで追い詰められて答弁に詰まった政治家のようだった。
「あのね。こうなんだ。昨日、王宮で舞踏会があってね。私はもう、あちこちの舞踏会に連日出席していて。そういうのはうんざりしてて。どこの姫とも踊る気はなかったから、クリスティーナに化けてもらってたんだ。あなたに」
 紅潮し、動揺した顔を、フローレンスの方に向けられずに、王子は話す。
「私に?」
 きょとんとしているフローレンスの確認の問いに、相手の表情すらまともに見られない王子は小さくうなずいた。
「うん、ごめんね。『この姫でしたら、誰も素性を知りませんから、私が化けても大丈夫です』と断言してくれたから。もう決まった相手がいるなら、王子の名で舞踏会を開催しろだの、めんどうなことは言われないだろうと思ったのだ。ごめん。それだけだから、あなたは気にしないで。あなたは大学に行きたいんだろう?」
「はい。私は構いませんから、気になさらないで」
 心からほほ笑んで答えているらしいフローレンスの気配が伝わり、王子としてはグッサリと胸に刃物が刺さった気持ちだった。しかしまあ、とりあえず、フローレンスに悪い印象は持たれていないようだった。
「そう言ってもらえて、助かった」
 ゆっくりとフロラを見て、王子は赤い顔のままで笑った。そして、ちらりと作業場の方を見ると、クリスティーナがニヤニヤ笑いながら、こっちを見ていた。
 ピシ、と自分の頭の血管が音を立てるのを王子は聞いた。
「いいから仕事しろっ!」
「まあこわい。オホホホホ!」
 クリスティーナは笑いながら、再び乳棒と乳鉢で薬草をこすり始めた。
 王子は肩で息をしながら、含み笑いを浮かべているクリスティーナを目の敵の様に睨んでつぶやいた。
「ああ……。あいつと話すと疲れる」
 そしてフロラに向き直った。
「何の話の途中だったかな。……そうだ。クリスティーナの話だったね。もう話すのは止そうかな。今のでうんざりした」
 はあ、と息をついて、王子は椅子に腰掛けてぐったりとうつむいた。
 フローレンスは、返事をせずに、その様子を静かに見ている。
 やがて、もう一度息をついて、王子は顔を上げた。少し照れたように苦笑していた。
「あれでやめるのも、なんだからね。続きを聞いてもらえる?」
「はい。ぜひ」
 王子は微笑んだ。
「月を見ていたのだ。満月を少し過ぎて、欠け始めた月を。夜中だったな。月は、少しだけ西に傾いていた。ちょっと普段では見ないような、真面目な顔で、じっと月を見上げていた」
 夜風がしずかに、金と銀に輝く髪をなびかせている。白い横顔に、月の、黄色とも青ともいえる白い光が降っていた。
「あの時の顔は、なんと言えばいいのかな。過去や未来や、記憶や、悲しみや喜びや、そういったものを月に託して、ただ静かに荒立たない気持ちで見つめている顔だった」
 さっきのあれとは大違いなんだよ。と、少し冗談めかした小声で、王子は言い加えた。
「多分それは、クリスティーナの芯の部分だと思ったんだ。私は」
 王子は少しうつむいて、自分の内面から、自分の見た風景に添う言葉を捜し出し、真心をもって組み立てている。
 フローレンスは、静かにゆっくりとうなずいた。
「それが、魔女と魔法使いの違いですね?」
「うん」
 王子は、顔を上げて微笑んで応じ、次いで表情を改めた。
「私は、クリスティーナの中にそれを見た。普通の人間なら、ただ弱さで済まされるけれど、魔女に生まれたらそうはいかないようだ。厳しい生涯だよ。自分を律せるかどうか、魔法使いになれるかどうかが、生死を分ける。その中で、魔法使いになれた彼女を、私は尊敬しているよ」
 フローレンスは、静かに微笑んだ。
「意志を流されたら、終わりですものね。魔女たちにはそれが明らかに出ますけれど、人もそうですね。私に、もし、父の言葉がなければ、私は父の死の悲しみに流されて、継母に使われるだけの道具にされていたことでしょう」



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