一週間後の王宮の舞踏会。王子は、真っ白なドレスをまとった美姫を伴っていた。
「助かったよフロラ」
「いいえ」
静かに微笑んで首を振るフロラを、王子は眩しそうに見つめた。
かつてクリスティーナが化けたフロラとは、印象が違った。
フローレンスは、涼やかな知性の光をまとった、天使のように優美な姫だった。
まわり中のすべての者が、王子と、彼に寄り添う可憐な姫に注目していた。
「まあ、なんて素敵な姫君でしょう」
「一体、どこの国の王女様でしょうね。百合の花のような方ね」
うら若い乙女たちは、一様に残念そうな視線を送った。
「悲しいけれど、きれいな方ね。王子様……。心に決めた姫君がいらしたのね」
「わたくしがどんなに誘っても断られると思ったら。そういうことでしたのね。ああ」
恰幅のいい老紳士が、隣に立つ少女に、そっとつぶやく。
「小さい可愛い娘や。ごらん、あんな気品のある姫に育ってくれ。いろんなものを見て、勉強して」
「はい。お父様」
そして、音楽が始まる。
「いくよ。フロラ」
「はい」
王子は、優雅にフロラを導いた。
「今日はありがとう」
深夜十一時を回った。
時計の調整を行うフロラのために、王子は舞踏会を中座した。
「王子のお陰で、楽しく踊ることができました。空を飛んでいるみたいで、とても不思議な感じでした」
時計室に着き、フロラは上気して微笑んだ。
「そう?」
ステップが難しいところでは、王子はフロラを少し持ち上げて踊った。ドレスの長い裾に隠れて、フロラの足が地についていないことに気づく者はいなかった。本当に流れるように舞う二人に、多くの人が目を見開いていた。
王子は言葉を続ける。
「よかったら、また舞踏会があるときには、私を助けてもらえるだろうか?」
フロラは、うなずいた。
「ええ。私でよろしければ」
そして、恥ずかしそうに微笑んだ。
「でも、わたくしには、もっと練習が必要ですけれど」
話しながら、フローレンスは歯車を調整していた。
真っ白なドレスには染み一つつけず、金属のこすれる音さえ聞こえなかった。
王子は、フロラの手際の良さに魅入りながら、微笑んだ。
「ダンスは私が教えるから。私はフロラに、時計室の調整の仕方を教えて欲しい」
やがて、十二時になった。
大広間の大時計が、午前十二時を知らせる曲を奏で始めた。
馴染んだ旋律を耳にして、フローレンスはふわりと笑った。
「子守歌が。こどもはお休みの時間ですね」
え? とつぶやいて、王子は問う。
「ねえフロラ。この曲が何か知っているの? ずっと、気になっていたのだけど。誰も知らなくて」
フローレンスは、数度またたいた。
「何って、普通の子守歌ですわ?」
「子守歌?」
「ご存知ありませんか?」
王子は、首を振った。
「ああ。初めて聞いた。多分、誰も知らないと思う。教育係に尋ねても乳母に聞いても、わからなかったから」
「まあ……」
では、これは父が作った子守歌なのだ。
誰もが知っている子守歌だと思っていたのに。
父の時計が奏でる、娘のための子守歌。
父様は、ここに、生きている。
舞踏会に浮かれる白い王宮に、子守歌が鳴り響く。
「どんな唄なの? 教えて、フロラ」
「ええ。王子」
時計室で、フローレンスは唄う。父の子守歌を。
「こどもが神に招かれて、夢の世界へむかうころ……」
完
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