父の前に、天女が降臨して、病を癒した。
私の前に、魔女が墜落して、傷を癒した。
やわらかな薄暮の空には、癒しの安らかさがあった。
けれど、労働を終えて家路を急ぐ人々の多くは、うつむいて疲労を被ったまま、足早に歩いていく。
そんな中、男女が石橋の上で逢っていた。
橋の中間で、歩道が半円形に突き出ていた。そこは、人が三人くらい立てる広さで、河や、少し下流の河沿いに建つ王宮を、展望する場になっていた。
二人はそこにいる。
心細く目を揺らす女の衣服は、暗くくすんだ灰色だった。その陰気臭い服の色は、色白の明るい肌には、眉をひそめるほど似合わない。桃色かかった甘やかな茶色の髪にも合わず、見た誰もが、きっと歯がゆさを覚える。
なにより、彼女の表情には明るさがなかった。伏せた目から、重い憂いが、夕の静まりゆく空気を、さらに暗く侵食しようとしていた。
男の衣服は、まぶしい白色。金髪にも青緑の瞳にも、張り詰めた雰囲気にも合っていた。責めるように女を睨みつけ、意を決して言い放った。
「もう逢わない」
「そんな、」
動揺した女は、持って来た銀貨の入った、灰色にすすけた小袋を取り落とした。
小さな落下音が響いた。
「どうして?」
必死で集めたくすんだ銀貨が、袋から逃げ出し、風格ある大きな石の橋に、あてどもなく転がっていく。
「あたしは、こうして、一目逢えればそれだけでいいの。それ以上は、何も望んでない。……それでも、だめなの?」
男は、宵闇に忍び寄られたかのように、肩をこわばらせた。
「お前は、誰かに愛されたいだけ、それだけなんだろう? 私じゃなくてもいいじゃないか」
「それだけ、ですって?」
女の目は、ふせられた。両のこぶしが、強く握られた。
「それでも、そんなことでも、私には、過ぎた望みよ?」
「ささやかなことだとでも言いたいのか?」
怯える男の背後に、頑丈な身体つきをした若い男が立っていた。偶然、同じところにいて、ただ、河を眺めている様子だったが。
「いや。もういい。お前の気持ちなんて、確認したところで……、」
男は、若い男を振り返ると、「頼んだぞ」、と、つぶやいた。
また、男は、女を見た。
「お別れだ。二度と逢いたくない」
「!」
そんな、と、女からひび割れた小さな悲鳴がもれた。
「あなたに逢う、それが、罪なの?」
初めて会う若い男が、小さく「任しといてくれよ、坊ちゃん、」と男に言って、女に近づいた。
「姉ちゃん。俺と一緒に役所に行こうぜ?」
「あたしが望めるものなんて、何もないの?」
だいそれたことは、何も望んでない。橋の上で逢えれば、それだけで。
それだけで、よかったのに。
「あたしには、それすら望めないの?」
すぐそこに立つ男への言葉だったのに、初めてあった若者にしか届かなかった。男は、一歩一歩、距離をおいていく。
「普通の罪人なら、情状酌量ってのがあるけどな。魔女は、それだけで罪だからなあ」
「私は、」
魔女は、後ずさりした。
絶望が、魔女を、真珠に変える。
見ていた? 私のようには、ならないで。
船は、引き寄せられ、そして、奪われる。
……それは、誰にも、知られずに。
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