シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

10 墜落現場

 医師に会うなり、魔法使いは、王宮でのやりとりを嬉々として話した。
「父を、あまりいじめないでもらえないか?」
 当然、王の息子たる医師は、苦言を呈した。
「あら。私は、安穏とした王の生活に、刺激を与えたまでのことよ? あまりにも平和過ぎると、人間は、駄目になって自堕落になってしまうもの」
 けろりと返すクリスティーナに、医師は、顔をしかめた。
「どういう屁理屈だ。君と会った後は、王は、必ず不眠症になるのだぞ? 今日も、また、睡眠導入剤を処方しないといけない」
 魔法使いは、しみじみとうなずいた。
「眠れないほど喜んでいただけるだなんて、光栄だわ」
「どうしてそうなるのだ」
 はあ、と息を吐いた医師は、そこに入ってきた看護士の「先生、今日はもうお帰りになって大丈夫ですよ」との言葉に、「わかった」と応じて、椅子から立ち上がった。
 その看護士の言葉は続き、「それから、先生。院長が、『食材調達旅行のおみやげ』をみんなの自宅に送ったそうです」と、院長からの伝言が書かれた小さな紙を渡した。
 医師は、どうやらお品書きらしいその小片を見ると、えっ、という顔をした。
「林檎を……20個も? 独り暮らしには多すぎる」
 目の前にいる魔法使いに、「林檎、いるか?」と聞いた。
 クリスティーナは、意外にも首を振った。
「……うちは、林檎を食べないのよね」
「どうして? 好きだったはずではないか?」
 医師は不思議そうな顔をした。
「昔は、『おいしい』、と、言ってたのに」
 魔法使いは、苦笑した。
「よく覚えているのねえ」
 医師も、苦笑した。
「あんなこと、忘れようがないからな。そうか、今は、嫌いなのか。じゃあ、ファウナ達にでも渡すかな」
 紙片をポケットにしまうと、医師は、椅子から立ち上がった。
「とにかく、君が、ファウナ達の窮状を、王に話してくれて助かったよ。あれでは、つぶれてしまうからね」
「とんでもない」
 クリスティーナは、心底残念そうに、首を振った。
「私は、王子達が楽しんでいるから邪魔をして欲しくなかっただけなのに。目的が遂げられなくって、とっても悲しいわ」
 それを聞いた医師は、げんなりと息をついた。
「それこそ、よかったよ」
 医師は、診察室を出て行きつつ、振り返った。
「では、『結果的に助けてもらったお礼』に、食事でもご馳走しようか?」

 彼女は魔女だったのだから、善意ある天邪鬼ではないことは、よくわかっている。つまり、やはり魔法使いなのだということだ。
 白衣から、私服に着替えて、医師は、これから彼女と食事ができることに、しかし、心躍らせていた。
 彼女に恋をしている私は、自分で言うのもなんだが、物好きだと思う。
 しかし、医師を志した自分にとっては、彼女との出会いは、恋に落ちて当然なものだったのだ。と、自分では思う。あくまで、自分では、だが。
 林檎の件を思い出した医師は、それを呼び水に、過去を振り返った。
 まだ、王宮に来たばかりのクリスティーナと、医の勉強を始めたばかりの自分との、誰も知らない出会いを。

 出会ったのは、自分が19の頃。クリスティーナが15の頃だった。大学からの帰り道に、彼女の姿を初めて見た。
 自分は、医師になるべく、王族たる地位を捨てて王宮を飛び出し、そして大学で医学を学んでいた。
 講義や実験と実習に明け暮れ、帰りはいつも深夜過ぎ。
 きついが、楽しかった。夢に向かって走るのは、辛くはない。
 その日も、深夜の大学を後にした。満月で、とても明るい夜だったのを覚えている。月光が、こうこうと輝いて、全てのものに、夜の明暗を作っていた。
 ここ数日、父たる王が高熱を発する病に倒れていた。今夜が峠だった。息子なら、父のそばにいるべきだった。
 しかし、私は行かなかった。
 なぜなら、魔法を使えば命は必ず助かる、ということから、「いずれ、魔法使いが介入すれば、あっさり快復されるだろう」と、たかをくくっていたのだ。そんなふうに、緊迫感がなかったので、父への見舞いをなおざりにしていた。
 家族からの情報によると、今日こそ、父が大の苦手とする魔法使いが来て治療をする、ということだった。
 時刻は、間もなく、明日に変わるというころだ。
 私は、もう、父の病は癒えているだろうと思い、王宮を訪れることにした。ことが済んで、初めて見舞いに行くというのも、なんというか、親不孝な話だが。
 私は、医の道を志すがゆえに、結果的に魔法によって治癒されるものであれば、積極的に関わる必要を感じなかったのだ。
 それゆえに、私は、全てが終わったであろう今から見舞いに行くつもりだった。
 しかし、私は、結局、それはできなかった。
 王宮の手前で、自宅に戻らざるを得なくなったのだ。

「ちょっと! 下がりなさい! どいて!」
 王宮の裏口。そこから入ろうとしていた私に、鋭い声が、降り注いだ。
「え?」
 上から声がしたので、意外に思って見上げると、何か、黒い塊が降ってきて、地面に激突した。
 どおん、と音がした。
 驚いて、私は、後ずさりした。
 自分の前、王宮の裏口につながる階段に、それは、落ちていた。
 月夜の光の下、私は、近づいて、その正体を確かめた。
「え!?」
 そして、唖然とした。
 それが、人だったからだ。
 人が、王宮の上から降ってきたのだ。
「……」
 私は、言葉をなくしつつも、落下してきた人のそばに膝をついた。
 体のあちこちが、不自然に曲がっている。
「酷い、なんてことだ」
 仰向けに横たわった体。腰から地面についたらしく、両脚が股関節からねじれて折れ曲がっていた。足先もあちこちを向いている。
 両腕は背中の下じきになって、肩からぐしゃりと曲がっている。
 打ち付けられた後頭部から、血液がだくだくと溢れていた。
 救急車両を呼ぼう、と、私は立ち上がった。同時に、助からないだろうな、と、思っていた。
「そこのあなた。人を呼んでは駄目よ」
「!?」
 しかし、そんな姿に成り果てた人間が、平然と私に話しかけてきた。
「……え、誰だ?」
 すぐには、目の前で、ぐしゃぐしゃになっている人間がしゃべっているとは、到底思えず、私は、周りを見回した。
「私よ。あなたの目の前に落ちてる、私が、しゃべっているの。私の言うことを聞きなさい。いいわね?」
 声の主は、墜落遺体だった。
「ひいい、」
 私は、逃げかけた。
 こんな状態の人間がしゃべることに、恐怖を覚えてしまったのだ。今思うと、これほどまでに興味深い現象を前にして、なぜ、私はおののいてしまったのか、それこそ理解できないのだが。つまり、私は医の道を歩み始めたばかりだったのだ。
 そんな私だったが、あることを思い出して、踏みとどまった。
 こんなになっても生きていられる人間を、知っている。
「君は、魔女か?」
「もう魔法使いよ」
 けろりと話をしつつ、その魔法使いは、背中に敷き込まれてがくがくに折れ曲がっている両腕をずるりと持ち上げた。
 ちぎれて落ちないのが不思議なくらいの、めちゃくちゃな曲がりっぷりだった。
「君、無理しないで。ぜひ、病院に行こう」
 私は、その無茶な行動を止めようとした。いくら魔法使いが丈夫だといっても、こんな状態は、酷すぎる。
「駄目よ。こんなみっともない格好、医者なんかに見せられるものですか。あなた、私の腕を、真っ直ぐひっぱってちょうだい」
 私は、しり込みした。
「そんな乱暴なことはできない」
 魔法使いの声が、低くなった。
「さっさと言うとおりになさい。でないと、あなたも、私と同じような目にあわせてやるわよ?」
 何故、この状況で、この魔法使いは、私に、命令し、脅すのだ? だが、恐ろしいので、言うことを聞いた。
「わ、わかった」
 私は、意を決して、その、ずたずたな両腕を、真っ直ぐにひっぱってやった。そうしながらも、こんな酷い真似はしたくない、と、切に思った。少なくとも、医術は、こんな野蛮なことはしない。まずは、輸血だ。そして、骨折の状況を見るために。透過写真を撮るなどして……。
「もういいか? もうやめたほうがいい。痛いだろう?」
 動転する心を、医師の治療法を想像することでなだめながら、私は魔法使いにそう勧めた。
「弱い! もっと、しっかりひっぱりなさい!」
 魔法使いは、鬼のような命令をした。
「君は、痛みを感じないのか!? そんな、残酷な、」
「痛いわよ? でも、それが、なんだっていうの。さあ、私の言うことをお聞き!」
「えええ、」
 おののきながらも、私は、彼女の迫力に気圧されて、思い切り、そのぼろぼろの腕を、引っ張った。
 グツグツグツ、と、中でめちゃくちゃになっている組織が、無理に引き伸ばされる嫌な音がする。
 私が握っている、彼女の手や指も、ぐずぐずになっていて、嗚呼、私は悪夢を見ているに違いない、と、現実逃避しかかる。
 あわれ、彼女の両腕は私の全力によって、見事に真っ直ぐに引き伸ばされた。
「よし、これで真っ直ぐね。助かったわ!」
 明るく言ってのけて、彼女は、腕を、とても乱暴にぶんぶんと振った。
「やめたまえ、君、そんな、ちぎれる、」
「いいの。これで大体治ったわ。後は、指先を」
 彼女は、恐ろしいことに、それで腕を治したと言い、さらに、自分の両手の指を、これも壊れた人形みたいになっている可哀想な指を、自分で、乱暴に、ガキガキゴキと音をさせて、真っ直ぐに引き伸ばした。それを聞いて、私は、もう遅いのだが、耳を塞いだ。
「さあて、残りの骨も、うまいことつなぐわよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、私は、少なくとも魔法使いを結構多く知っている人間なのだが、君ほど無茶苦茶な魔法使いは、見たことがないぞ!?」
 治ったとは自称するが、血まみれの腕は、私の目からは、どう見ても全治数ヶ月にしか見えない。やることが、乱暴に過ぎる。
 満身創痍の魔法使いは、ぶらぶらと、手を振った。
「そうだったわね。初めまして。私、今日から王宮に仕えることになった魔法使いですわ? あなた、王族の方よね?」
「どうしてそれを!? あ、いや、今の私は、ただの医師の卵で、」
「私の名前は、クリスティーナ。あなたは?」
 会話の主導権は、この年下の魔法使いが完全に握っている。
 私は、動転しながらも、答えようとした。
「ああ、わたしは、」
 が、すんでのところで、大切なことを思い出せた。
「いや。……私の名前は、君には明かせないな」
「まあ」
 魔法使いの、血まみれの顔の中にある、血に溺れた目が、細まった。眼窩の血だまりが、それによって溢れて、血の涙そのものとして流れる。だが、決して、泣いてはいない。あくまでも、目を細めたことによる、物理現象としてのそれだった。血の中からのぞいた銀の瞳が、月光に照らされて、冴え冴えと光った。きっと、本来は、間違いなく美しい顔立ちなのだろうが、いかんせん血塗られていて、しかもぐしゃぐしゃなので、美しいとか何とかは関係ない。
「どうして? 私は、命の恩人の名前を、知りたいのだけれど」
 私は、「駄目だ」、と、首を振った。
「君も、王宮に仕えることになったのならば、知っているだろう? 王族の名前は、おいそれと明かせるものではない。魔法使いの中には、相手の名前を知ることによって、恐ろしい心理術に悪用する者もいるという。とくに、初見の魔法使いに対しては、用心のためにも、決して教えてはいけないというのが、王族の常識だ」
「チッ」
「?」
 今、舌打ちしなかったか? この魔法使いは。
「よく仕込まれた王子様だこと。ノリで名前を聞きだして、隷属させてやろうかと思ったのに」
 悪意にあふれた底暗い声が響いた。
「おい!?」
 なんて魔法使いだ!? いや、魔法使いらしいといえば、らしいが、
「お前、命の恩人に対してすることではだろう」
「『おい』でも『お前』でもないわ。私の名前は、『クリスティーナ様』よ」
 ……なんて魔法使いだ。
 クリスティーナは、自称「治った」腕で、身を起こした。
 すると、後頭部から、盛大に血が吹き出た。
 階段に、頭部からの大出血が、ビチャビチャと音を立てて降り注ぐ。血の雨とはまさしくこれか。
「うわっ! 待て、今、止血を!」
 とは言うものの、こんな多量の出血、今の状況では、すぐに止めようもない。ここには何も器具がないのだから。
「騒がしいわねえ。大丈夫って言ってるでしょう?」
 私の慌てぶりを、呆れ顔で受け流して、クリスティーナは、後頭部に、両手をあてがった。
 出血が、ぴたりと止んだ。
「……魔法だ」
 あざやかな修復に驚いて、間抜けな反応をしてしまった私に、魔法使いが、大爆笑した。
「オホホホホ! 面白い坊ちゃんねえ!」
「今、なんて言った? 言うに事欠いて、どうして、私が『坊ちゃん』だ!?」
 実は、私は大学の同級生達からも、そのあだ名で呼ばれており、悔しく思っているところだったのだ。
 頭の出血を止めて、起き上がった魔法使いは、両手でごしごしと血まみれの顔をぬぐった。
「だって、そうでしょ?」
 底意地は悪そうだが、明るい声だった。血に染まった真っ赤な顔は、おそらく笑っている。
「もう、王子様じゃないんでしょ? そして、名前も教えない。まだお医者様でもない。そんなあなたの呼び名は、『坊ちゃん』が相応しいわ?」
「……」
 反論したい気持ちは山とあるのだが、返す言葉が、全く見つからなかった。
 肩をワナワナと震わせる私に、クリスティーナは次なる命令を出した。
「さあ、坊ちゃん。手伝ってちょうだい。私の、ひねくれた脚を、ちゃんとした位置に戻すの」
「ええ!?」
 クリスティーナの腰から下は、前後逆になっていた。
「こんな状態、下手に扱えば、下半身がちぎれてしまうぞ?」
「上手に扱ったら、大丈夫でしょう?」
「そんな、言葉遊びみたいに、簡単な話じゃない」
「簡単よ。まずは、私の上半身を持って、ぐるっと回して、ねじれを解消してちょうだい」
「そんな……」
「返事は、『はい。麗しのクリスティーナ様』、よ。それしか許さないわ?」
 ぐちゃぐちゃの魔法使いに、『麗し』、などという形容詞など、付ける気にもなれない。馬鹿も休み休み言えとは、このことだ。
「何度も聞くが、痛くないのか?」
「だから、痛いって言ってるでしょ?」
 とてもそうは思えない、軽い返事だ。
「……わ、わかったよ」
 だが、言うことを聞かないと、いつまでもこのままになってしまう。それだと、目も当てられない惨状のままとなる。
 しぶしぶ、言う通りにしてみた。
 クリスティーナの両脇に、自分の腕を差し入れた。
 ……わき腹の左右両方の肋骨の並びが、グズグズグズ、と音を立てた。恐ろしいほどバラバラに折れている。私の腕に捕まった、彼女の指も、本人は治したと言ってるにもかかわらず、頼りなく、グニャグニャしている。粉骨砕身とは、まさにこのことか。
「ねえ。君は、一体、この王宮の、どのあたりから落ちてきたんだい?」
 ぐるっと回す、の命令を実行する前に、聞かねば、気がすまなかった。
「王宮のてっぺんの塔の上から、真っ逆さまよ?」
「……」
 聞かなければよかった。
 だが、不思議だ。
 魔法使いなら、飛ぶこともできるだろうに。おめおめと墜落するなんて。
 ……彼女の能力は低いのか? それなら、こんなになるだろうな。あるいは、このくらいで済んでよかった、とも言えるな。
「早く回しなさい。ねじれてると、さすがに我慢できないのよ。早くして?」
 クリスティーナときたら、その辺に転がってる紙紐のねじれを気にする程度の言い方しかしない。慣れているのかもしれない。
「じゃあ、いくよ。痛かったら、言ってくれよ?」
「はいはい。痛いのは、ずーっと痛いんだから、そんなことは、もうどうでもいいわよ。さっさと回して」
 左回りにねじれてるので、クリスティーナの上半身を、右に回してやった。
 私の膝や腕が生ぬるくどろどろと濡れた。確認しなくてもそれは血液だ。自分は血みどろの彼女の血を浴びてるのだ。
 ずるりぐちゃり、といった表現が、一番ぴったりだという音をたてて、クリスティーナの上半身と下半身の向きが、なんとか一致した。
「よかった。これで一応、ちゃんとしてきたわ」
 魔法使いがケラケラ笑う。
 私は、めまいを覚えた。死体と遊んでいるような気にしかなれない。
「想像を絶するとは、このことか……」
 私は、思わず、そう口にしてしまった。
「いいじゃないのよ。身体って強いものよ。不思議だと思うでしょ?」
 しかし、クリスティーナは、全く気にせずに、そう言ってのける。
 私には、人生を踏み外しかねないほどの体験だった。
「私は、医師を志しているから、人体に非常な興味を持っているのだが。これは常識の範囲外だよ。さすがに」
「じゃ、とても勉強になったでしょ?」
「いや。参考にしたくない。今回のこれは、どう考えても例外だ。医師になるには、かえって邪魔な経験だともいえる」
「まあ。嫌な坊ちゃんねえ」
「坊ちゃんと言うな」
「あなたって、かもし出す雰囲気が、どうにも坊ちゃんなのよねえ」
 私を含めた通常の人間にとっては、ひどく不気味な状況における、軽い冗談めいたやり取りが、そこで一方的に途切れた。
 横たわった魔法使いが、押し黙ってしまった。
「……クリスティーナ?」
「……」
「おい?」
「……」
 深夜の静寂が、顔を出した。
「……」
「クリスティーナ!?」
 まさか、と、不安になった私に、小さな声が返ってきた。
「もう帰っていいわよ。私はこのまま寝ておくから。さよなら坊ちゃん」



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