押し付けられただけで、何もわからない。
プリムラは、師匠から投げつけられた石を片手に、河縁に来ていた。王宮の召使用の出入り口から、河に降りる石畳の階段を下りて、小さな船着場に立つ。
太陽が地平に沈み、空は紺青色だった。夜がやってきつつある。昼間は深緑色だった河は、今や暗黒の流れとなっていた。
街の喧騒の音、河の流れの音、風の音、そのどれもが、ゴウゴウと、空気を揺らしている。
船の事故も気になるが、この石も謎だ。
磨け、と、師匠は言った。
左手で握って、右手でそっとなでてみる。全体の形は丸いのだが、山から切り出したばかりのように、各所に鋭い小さな角がある。
どの程度磨けばいいのだろうか。輝くくらいに?
大きさに見合わぬ重さに、少しの不安を覚える。
プリムラは、正体のわからない石の中を、透かし見てみようと思った。
目を凝らす、
と、
「!」
バチン、と、額に衝撃が走った。まるで平手で叩かれたような。
「……」
王宮魔法使いは、憤然とした。
この、人をバカにした仕掛けは、師匠の手によるものだ。
「正体は秘密、ということ?」
つぶやいて、一層、怒りが増す。
師匠のことだから、磨き終われば、自分に対するさらなる苦難を用意しているとも限らない。むしろ、その可能性が高い。
しかし、
師匠が与えた物で、命じたことである。
プリムラは石を磨き始めた。
魔法で、丹念に、繊細に、一枚ずつ鱗を剥がすように石を研いでいく。
まずは、真球にしてみようと思った。
そうしながら、河を見つめた。
今、王宮を背にして河に立つプリムラの、目の前を、右から左へと、水が流れていく。
王宮の取水口は、プリムラの右側にある。
河は、王宮の手前で蛇行している。曲がる河横に真っ直ぐな水路を設けて水を取り込み、王宮の地下水路に落としている。王宮の地下に落ちた大量の水は、その勢いで水車を回す。それが、カールラシェル教授の作った城のカラクリの動力源となっている。
魔法使いは、河面を歩き、取水口の溝縁に立った。
上流から、小舟が近づいてきた。
この舟は、こちらにに引き寄せられずに、自らの操作を元に進んでいくように思われた。
違いはなに? と、プリムラは思った。
「おおーい!」
乗っていた舟人が、声を掛けてきた。
プリムラがそちらを見ると、舟人は手を振っている。
「お前、いつもの奴と違うなー! お前もなのかー?」
いぶかしんでいる様子ではない。逆に、ひどく気さくなもの言いだった。
不思議に思って、プリムラはそちらへと歩き出した。
舟人は小太りな壮年の男だった。
「おっ! やっぱり、きれえなもんだなあ、おい」
魔法使いを見るなり、ランプを手にした男は、目を見開いて笑った。
「いつもの奴、とは、誰のことなの?」
プリムラは、そう尋ねてから、「私は王宮の魔法使いだけど」と身分を明かした。
「……魔法使いなのか。なんだ……」
男は、肩を落とした。明らかにがっかりしている。
「それはどういうこと、」
重ねて聞こうとしたプリムラは、ふと、舟の下流側の隅っこに膝を抱えて座って、自分をまじまじと見ている小さな人間に気付いた。その顔を見て、驚いた。
「あれ、あなたの子どもなの?」
「孫だ。子どもは、どれもこれも成人しちまった。ちょいとここらで止まるか」
舟人は櫂をあやつって、小舟を王宮の船着場に寄せた。
「漕ぎながらじゃ、話もはずまんでな」
男は、にまっと笑った。
プリムラは、目を疑った。
……似ている。
「少ないながらも王宮には魚を卸しておるから、咎められんだろう」
舟をもやって、男は「ふーい」と息をついた。
プリムラは、この男に、聞きたいことが山とできていた。
「まずは、……いつも、この河で会う者がいるの?」
舟に置いたランプの光を、下から受けながら、男は、ひどく嬉しそうに笑って見せた。
「そうそう。ここ最近、ほとんど毎日。きれえな魔女がいて、河から出てきてな、」
そして、孫を指差す。孫は、男の子だろう、プリムラと目が合うと、顔を赤らめて膝にうずめてしまった。
「舟に座って、この子に歌をうたって聞かせるんだ。街に架かる橋のところから、この取水口の所まで」
「悪さをしたりしないの?」
男はきょとんとすると、思い切り首を振った。
「しねえよ? 最初に会った時から親切だった。魔女じゃないみてえにな」
「……良い魔女が、いたものね?」
信じがたい。
がはは、と、笑いが返ってきた。
「うちが貧乏だもんだから、さすがに同情したのかもなあ。『うちは、俺が獲る小魚だけで生活してるんだ。かかあは、ずっと昔に死んじまった。足の弱い孫を舟で子守しながら、ほそぼそ生きてるんだ』って言ったら、同情してな。真珠みたいに白い肌がまぶしくてなあ」
「真珠……」
嫌な響き、と、魔法使いは思った。それは、絶望した魔女の成れの果て。
「その、お孫さん、には、親はいないの?」
舟人は、目を伏せた。
「……死んじまったんだよ。両親共」
「平気だよ、じいちゃんがいるもん!」
しんみりしかけた男に、孫が大声を上げた。
「おじちゃんもおばちゃんもいるもん! みんないるもん!」
ハハハ、と、祖父が笑った。
「そうだなあ。救いといえば、俺が子沢山だった、ってことかなあ」
「そう。……ねえ、実は、あなたの顔を見た時から、聞きたくてたまらないことがあったのだけど、教えてもらえないかしら?」
「ん? なんだ?」
「あなたは、昔、」
男と孫は、プリムラの死んだ妹に、よく似ていた。
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