シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

16 私は魔女

 そして、舟人と別れた。
 河下に見えなくなるまで、彼らは、プリムラに手を振ってくれた。
 プリムラは、じっと立って見送った。
 こんな出会いがあるとは、夢にも思わなかった。
 この仕事を押し付けた師匠には、感謝すべきかもしれないが。しかし、プリムラにはそのつもりは全く無かった。それはそれ、これはこれだ。師匠は、単に仕事を押し付けただけだ。関係ない。感謝などするものか。万が一にもそうしたが最後、死ぬまで恩を着せ続けるに違いない。
「本当に恐ろしい女」
 つぶやいて、手に持った石を見下ろす。
 真球に近づいている。表面が滑らかになり、褐色の波のような模様が現れていた。少し赤みを帯びてきたような気がしないでもないが。
 しかし、今ひとつピンと来ない。
 師匠の目的とは違う、と、思うのだ。
 プリムラは、石を空にかざしてみた。
 日は、西の空に旅立って、しばらく経っている。今や、河を照らすのは、街と王宮の灯りだけだった。
 月は、まだ昇らない。
 人口の灯りに、石は、てらりと輝いた。
 ……これでは、単に磨いた石だ。
 師匠の狙いは、何なのだろうか?
「?」
 ふと、石が、暖かくなってきていることに気付いた。
 プリムラの冷たい手よりも、優しい熱を持っている。
 頬にあててみると、人肌の温もりがあった。
「……」
 フロラを思い出した。身を寄せて体温を感じたのは、愛しい彼女だけだから。
 そして、今頃はファウナ王子と一緒に過ごしているのだろうと考えてしまった。胸の中で、暗い炎が燃えてしまう。
 フロラ、フローレンス、
 魔法使いは、石に口付けた。
 せつなさが募る。
 師匠から教わった。名がわかれば、隷属させることもできるのだと。
 魔女の時に、それを知っていたら、迷いはしなかった。あの灰色の城で、自分の幸せのために、優しいフロラを虐げただろう。甘い破滅の道に引きずり込んだに違いない。
 しかし、自分は、魔法使いになった。
 フロラが、城から連れ出してくれたから。
 欲望を抑える術を知り、魔法使いになった。
 愛しいフロラ。
 欲望は決して消えないが、彼女の幸せを願える心を手に入れた。
 だから、魔法使いになれた。

『プリムラ?』

 上流から、女の高い声が、流れてきた。
 魔法使いは、返答しなかった。どうして名前を知っているのかと、怪訝に思った。
 波立つ暗い河面に、女が、浮き上がってきた。
 魔女だ。
 街と王宮から落ちる光に、肌が、白くぬるりと輝く。
 真珠のような、ではなく、真珠の肌を持っていた。
 暗い、夜のような衣装。
 銀の瞳。
 当然の美貌は、いくぶん甘めのものだった。
『プリムラでしょう?』
 ずぶ濡れの魔女はにまりと嗤った。
 おそらく、あの舟人の孫に歌を聞かせた女。
 良い魔女だと彼は言っていたが……どうだか。
 魔女は魔女だ。
「あなた、河に棲んでいるの?」
 たずねると、女は首を振った。
『いいえ』
 真珠の魔女は、始終嗤ったままだった。
『あなたは、きっとプリムラね? だって、石を持っているもの。恐ろしい王宮魔法使いが教えてくれたとおりだわ』
 船着場に立っていたプリムラは、河面に踏み出した。
「王宮の魔法使いは嘘をつくわよ?」
『それでもいいの。私に残された希望は、あの魔法使いとの約束だけだもの』
 ……あの女、この魔女に何を焚きつけたの? と、プリムラは、師匠に殺意を抱いた。いつの間に、関わりを持ったのか。
 魔法使いは、表情無く告げる。
「王宮の魔法使いは、魔女と約束なんてしないわ」
『そうね。王宮魔法使いのプリムラ。あなたの言っていることは、あなたの言うとおりに、嘘ばかり』
 魔女は、河の真ん中で嗤う。
 夜の闇を流す河が、渦を巻き始めた。
『なんでもいいわ。嘘でいいの。誰が嘘をつこうと、もう構わないわ。私の希望は、信じること。あの魔法使いの言葉だけだもの』
「そんなもの信じると、恐ろしい目に遭うわよ」
 これだけは本当だった。
『いいの。だって、私が信じたのだもの』
 どこかふわふわしていて、夢見がちな魔女だった。
「信じろと言ったのは、王宮魔法使い?」
『決めるのはあなたよ、と、言われたわ』
 プリムラは、嗤った。彼女が立つ下では、河が、渦巻く激流に変じていた。
「それで、信じたの?」
 あんな者を、信じてはいけない。
『あの魔法使いは言ったわ。プリムラを始末すれば、私と私の大切な仲間を助けてやる、と』
「それを信じて守るのね?」
『そうよ』
 きっと、血肉を持っていた時もそうして、挙句に、真珠になったのだ。
「憐れだけど愚かだから、なんとも思えないわね」
『いいのよ、あなたがどう思おうと。魔法使いは、私に充分な力を与えてくれた』
 魔女は、晴れやかに嗤った。
『あなたを仕留める力をね?』
 プリムラは、舌打ちした。
「騙され上手ね」
 夜の闇でもその色とわかる銀の瞳が、嬉しく暗く輝いた。
『私を、被害者だと思ってた? それは滑稽だわ。私は魔女。誰かをいたぶるのが大好きだもの』



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