石造りの、大きな大きな橋の上で。
茶色のぼろを被った、小さな女の子は、そうっと、両手で持った氷嚢(ヒョウノウ)を開いた。
そこには、溶けかけのへたくそな氷と、質素な食事が一人分買えるくらいのお金。
袋をぐにゃりと握りしめた、汚れた小さな手には、螺鈿細工(ラデンザイク)のように光る爪がくっついている。
高い橋の下には、流れゆく、深緑の大河。堂々たる流れは、大志を運ぶように。
女の子は、頭から、ぼろをさっと被ると、家路を急ぐ。
その様は、まるで、手足が生えた小さな泥袋。
しかし、行き交う誰も、気に留めない。その、小さな足取りは、軽快で、よどみがないから。元気な子どもにしかみえない。おかしな格好をしたがるのは、子どもには、よくあることだ。何も珍しいものではない。
女の子は、家路を急ぐ。
大切な人が、待っているから。
これは家。
二人の家。
ささくれた板切れを、打ち付けて作られた、薄っぺらい壁。
屋根も、薄い板を並べただけ。床板はなく、踏み固められた土のまま。
風が、無遠慮に忍び入っては、粗末な家をバカにしたように無礼に揺らし、せせら笑うような音を立てて、また隙間から出て行く。
灯りはない。
屋内は、いつも薄暗い。
でも、二人の家だ。
「ただいま。ママ」
藁(ワラ)を編んで作られた肥料袋を、いくつも敷いて、破れた衣服を数枚被り、中年の女が、横たわっている。
病みやつれ、風呂にも入れずに、汚れた姿で。
「……おかえり、プリシラ」
たんの溜まったのどを、ぐるぐると鳴らして、女は、起き上がろうとした。
それを、すぐに、小さな子が止めた。
「寝てて。氷を、あたまにのせるから」
女は、よろよろと横たわった。それだけするのも、骨が折れようで、辛そうに息を吐いた。
しばらく唇を震わせて、息を整えた後、ようやく、女は、言葉を出した。
「ごめんね……ちいさいあんたに、こんな、」
「いいんだよ?」
女の子は、ぼろを取って、母親に顔を見せると、にこりと笑った。
「平気。あたしは、ほら、こんなに元気よ? ね?」
氷嚢から、銅貨を取り出して、何よりの薬を見せるように、母に差し出す。
「今日は、これよ。何が食べたい? ママ、言って?」
母は、氷嚢を額に乗せられて、細く濁った息を吐き、膨れて張った下腹に手を当てた。次いで、漏れた息は、ぐぐ、と、たんがからんだ苦しいもので。何度か咳き込み、ようやく、娘に返事をする。
「あんたが、食べたいのを、……買ってきなさいな」
「駄目よ、駄目。私は元気だから、なんだっていいの。これは、ママへのお金だもん」
なにが食べたい? と、再度聞かれ、母は、娘の好物を言った。
「……りんご。りんごが、食べたいねぇ」
娘が喜ぶ顔が見たい。
娘の笑った顔がみたい。
あんたの喜びが、私の喜び。
「りんご。わかった。じゃあ、買ってくるから」
思いのほか簡単に、母が、何を食べたいか答えてくれたのが嬉しくて、娘は、笑った。
「えへへへ」
食欲が、少しでもあるのなら、きっと、元気になれるだろうから。
「行ってくる。ママは、寝ててね?」
ぼろを被りなおし、銅貨を、ぎゅっと右手に握り締めて、娘は、家を出て行った。立て付けの悪い扉を、一生懸命にこじ開けて、ぎしぎしと音を立てて、何とか閉めて。
女は、鈍く痛み続ける下腹をさすった。
一体、どうなってるんだろう、この中は……。
ああ、プリシラ。
こんな私のところに生まれてしまった、なんて可哀想な娘。
本当なら、あんたは、まだ、私の膝の上で抱かれて、子守唄をうたって聞かせる年なのに。
下腹が痛んで、抱くことすらできない。
ごめんね。ごめんね。
でも、生まれてきてくれてありがとう。
あんたは、私の娘。
私だけの、娘。
あんたは、砂漠みたいな私の人生で見つけた、小さいかけがえのない大切な緑地。
|