シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

2 二人の家

 石造りの、大きな大きな橋の上で。
 茶色のぼろを被った、小さな女の子は、そうっと、両手で持った氷嚢(ヒョウノウ)を開いた。
 そこには、溶けかけのへたくそな氷と、質素な食事が一人分買えるくらいのお金。
 袋をぐにゃりと握りしめた、汚れた小さな手には、螺鈿細工(ラデンザイク)のように光る爪がくっついている。
 高い橋の下には、流れゆく、深緑の大河。堂々たる流れは、大志を運ぶように。
 女の子は、頭から、ぼろをさっと被ると、家路を急ぐ。
 その様は、まるで、手足が生えた小さな泥袋。
 しかし、行き交う誰も、気に留めない。その、小さな足取りは、軽快で、よどみがないから。元気な子どもにしかみえない。おかしな格好をしたがるのは、子どもには、よくあることだ。何も珍しいものではない。
 女の子は、家路を急ぐ。
 大切な人が、待っているから。

 これは家。
 二人の家。
 ささくれた板切れを、打ち付けて作られた、薄っぺらい壁。
 屋根も、薄い板を並べただけ。床板はなく、踏み固められた土のまま。
 風が、無遠慮に忍び入っては、粗末な家をバカにしたように無礼に揺らし、せせら笑うような音を立てて、また隙間から出て行く。
 灯りはない。
 屋内は、いつも薄暗い。
 でも、二人の家だ。
「ただいま。ママ」
 藁(ワラ)を編んで作られた肥料袋を、いくつも敷いて、破れた衣服を数枚被り、中年の女が、横たわっている。
 病みやつれ、風呂にも入れずに、汚れた姿で。
「……おかえり、プリシラ」
 たんの溜まったのどを、ぐるぐると鳴らして、女は、起き上がろうとした。
 それを、すぐに、小さな子が止めた。
「寝てて。氷を、あたまにのせるから」
 女は、よろよろと横たわった。それだけするのも、骨が折れようで、辛そうに息を吐いた。
 しばらく唇を震わせて、息を整えた後、ようやく、女は、言葉を出した。
「ごめんね……ちいさいあんたに、こんな、」
「いいんだよ?」
 女の子は、ぼろを取って、母親に顔を見せると、にこりと笑った。
「平気。あたしは、ほら、こんなに元気よ? ね?」
 氷嚢から、銅貨を取り出して、何よりの薬を見せるように、母に差し出す。
「今日は、これよ。何が食べたい? ママ、言って?」
 母は、氷嚢を額に乗せられて、細く濁った息を吐き、膨れて張った下腹に手を当てた。次いで、漏れた息は、ぐぐ、と、たんがからんだ苦しいもので。何度か咳き込み、ようやく、娘に返事をする。
「あんたが、食べたいのを、……買ってきなさいな」
「駄目よ、駄目。私は元気だから、なんだっていいの。これは、ママへのお金だもん」
 なにが食べたい? と、再度聞かれ、母は、娘の好物を言った。
「……りんご。りんごが、食べたいねぇ」
 娘が喜ぶ顔が見たい。
 娘の笑った顔がみたい。
 あんたの喜びが、私の喜び。
「りんご。わかった。じゃあ、買ってくるから」
 思いのほか簡単に、母が、何を食べたいか答えてくれたのが嬉しくて、娘は、笑った。
「えへへへ」
 食欲が、少しでもあるのなら、きっと、元気になれるだろうから。
「行ってくる。ママは、寝ててね?」
 ぼろを被りなおし、銅貨を、ぎゅっと右手に握り締めて、娘は、家を出て行った。立て付けの悪い扉を、一生懸命にこじ開けて、ぎしぎしと音を立てて、何とか閉めて。

 女は、鈍く痛み続ける下腹をさすった。
 一体、どうなってるんだろう、この中は……。
 ああ、プリシラ。
 こんな私のところに生まれてしまった、なんて可哀想な娘。
 本当なら、あんたは、まだ、私の膝の上で抱かれて、子守唄をうたって聞かせる年なのに。
 下腹が痛んで、抱くことすらできない。
 ごめんね。ごめんね。
 でも、生まれてきてくれてありがとう。
 あんたは、私の娘。
 私だけの、娘。
 あんたは、砂漠みたいな私の人生で見つけた、小さいかけがえのない大切な緑地。



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