シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

35 食事制限があるの

 夕食はご馳走できなかったが、私にとっては、それ以上の幸運に恵まれた。
 お腹を空かせたプリシラと一緒に、クリスティーナが我が家に来たのだ。
「さあ、入って」
 王立病院の医師たちが住まう医師住宅の一角が、私の住まいだった。
 案内して玄関に入ると、林檎が20個入っているらしい、大きな箱が、どんと鎮座して、私たちを出迎えた。というよりも、行く手を阻んでいる。
 クリスティーナは、左手でプリシラを抱いて、右手を腰に当てて、呆れていた。
「独り暮らしにこの量。……おたくの院長は、ひょっとして嫌がらせが好きだったかしら?」
 私は、「所帯持ちには、どれほどの量が贈られたのか」と、他人の心配をしながら答えた。
「いいや。いらぬ節介とありがた迷惑が大好きな、我が道を行く御仁だよ」
「それはまた。お節介焼きの親戚と同じに、貴重な財産ね。大事になさい?」
「……。お陰でプリシラを喜ばせることができたよ」
「りんごの匂い!」
 事実、小さな魔法使いは、きゃっきゃとはしゃいでいた。
 私も嬉しくなって「たくさん食べていいよ?」と言ってしまう。
「食事制限があるの」
 しかし、クリスティーナが冷静な声で割って入った。
「消化器の具合をみながら、少しずつ、でないと、いけないの。まだ」
 私は、林檎の箱を脇にどかしながら、苦笑した。
「君自身の時は、とんでもなくいい加減だったが、プリムラとなると話が違ってくるのだな?」
 途端、王宮魔法使いは、眉を寄せた。
「プリシラよ。プリムラじゃないわ」
「……え?」
 小さな魔法使いも、「わたしは、プリ『シ』ラよ?」と、むくれている。
「ああ。ごめん。名前が、すごく良く似ているから」
 今ごろ、河で、事の後始末をしているだろう、彼女の弟子の名前と間違えていたのだ。
「この子は『砂漠の女王』で、彼女は『桜草』か」
 箱を開けると、あまずっぱい芳香が、待ち構えていたように飛び出してきた。大振りの林檎が20個も並んでいる。そこから3つ取り出した。
 そして、客を連れて、居間に案内する。
「どうぞ。座って待っていてくれ。むいてくるから」
 しかし、クリスティーナは、ソファにプリシラを座らせると、「私も行くわ」と言った。
「いいよ。私ひとりで大丈夫だから」
 しかし、彼女は首を振る。
「色々と調整が必要なのよ。目も当てられないような惨状の台所なら、遠慮するけれど?」
 私も、きっぱりと首を振った。
「そんな訳がないだろう。君は、私を何だと思っているのだ?」
「そうよねえ。行き過ぎた潔癖症だものねえ」
 魔法使いに、しみじみと言われてしまった。何が問題だというのだ。
 背後で、可愛い魔法使いの声が掛かった。
「いってらっしゃい」
 振り返った私は、無条件に笑い返して、手まで振ってしまう。
「行ってくるよ、プリシラ」
 私を追い越して歩き出す魔法使いが、低い声を押し付けた。
「置いて行くわよ、過保護パパ」

「本当に、人が住んでいるのが疑わしいくらいに塵も埃もない台所で、息が詰まりそうだわ」
 先に行ったクリスティーナは、私が来た早々に、私の台所を、そう評した。
「褒めてくれてありがとう。私の自慢の場所だ」
 私は抑えきれない微笑みと共に返す。
「そうさ。壁はいつまでも純白がいい。ステンレスはいつまでも曇りなく輝いているといい。小物類は全て所定の場所に格納されていなければならない。私の理想は、洗浄と滅菌が完璧に施された無菌室状態だ」
「いつまでもそう思っているといいわ。林檎を頂戴?」
 初めて来たというのに、とはいえ、台所とは大体において同じ構造であるので、クリスティーナは、勝手知ったる場所のように、あっさりとナイフのある引きだしを看破して、そこから果物ナイフを取り出し、私に、そのように言って手を差し出した。
「待て、洗って渡すから」
 林檎3個を入念に洗い始めると、魔法使いは隣に立って、「あなたの動きは、確かに手術室の医師よね。あるいは無菌操作をする前の研究者」とつぶやいた。嬉しく思って顔を見ると、渋くしかめている。
「何か不満でもあるのか?」
「いいえ別に。ただ、ここにある全てが『消毒済』のような気がしてきたから、具合が悪くなっているだけよ」
「その通りだよ。さすが魔法使いだな。見る目がある」
「そう。当りだったのね。めまいもしてきたわ」
 私は、丹精込めて洗い上げた林檎を、魔法使いに渡したくなくなってきた。この清浄を、余人には触れさせたくない。
「クリスティーナ。私がむく。君は、指示だけしてくれ」
 しかし、彼女は無情にも、私から、きれいになった林檎をひったくった。
「冗談じゃないわ。寄越しなさい。あなたは、病院の無菌室で深呼吸でもしていればいいんだわ」
「何故、私の趣味を知っている?」
「有名な話だもの」
「君まで知っているくらいなのに、どうして、誰も真似をしないのだろうか? とても気持ちのいいことなのに。少し想像力を働かせればわかると思うのだが、」
「それはね。世の中には、もっと、ずっと気持ちのいいことが、わかりやすく目の前に沢山転がっているからではないかしら」
 話している間に、クリスティーナの手が、林檎を美しく剥いていく。
 赤い皮が、果実を切る香りとともに、するすると剥かれて、白い姿になる。
 おいしそうだ。
 とても腹が減ってきた。
「……そうだ。夕食を食べていなかった。何か作ろう。君も食べていくといい」
 林檎は彼女にまかせて、私は夜食を作る気になった。
 彼女に背を向けて、冷蔵庫を開ける私に、声がかかった。
「この林檎をすりおろしたいのだけれど、」
「ああ。おろしがねは、刃物類が入っている引き出しの一つ下に格納されているよ」
「わかったわ。……あった」
 冷蔵庫から野菜と魚介類を取り出して、振り返ると、見知らぬ青や茶色の小瓶が、流し台の左隣の大理石の台に、沢山並んでいた。その隣には、おろし金と、……なぜか、乳鉢がある。そして、銀の薬さじと。
「おい、何を、調合する気だ?」
 それら、ずらりと並んだ調剤道具らしきものの前に立つ魔法使いに、私は、流し台を挟んで右側の金属の台に、野菜と魚と貝を置いて、そして流し台下の棚から乾麺を取り出しながら、慎重にたずねた。
 クリスティーナは、腰に手を当てて立ち、目だけを私に向けた。
「もう、粗方、仕込んであるわ。あとは、林檎をすりおろして、混ぜるだけよ」
「……それ、全部、君の長衣の袖下あたりにでも入っていたのか? 他にしまっておくところなど、無いよな?」
「さあねぇ」
 聞き流すのと変わらない反応だった。
 私は、もう一つの可能性である「魔法で取り寄せた」ということに気付いた。
 ……かかわらないでおこう。
「頑張ってくれ。私は二人の夜食を作るから」
「そうね。お互いに全力を尽くしましょう?」
 内容と逆に、気の無い返事だった。
 しかし、私は、鍋で麺を茹でたり、フライパンでソースを作ったりしながら、彼女の動きを、目で追っていた。
 複数の小瓶を左手に持って、器用に蓋を開け、中に入っている薬液を、微少量用のピペットで計量して、両手で包める大きさの白い乳鉢の中に、注ぎいれていく。その中に、林檎を、銀のおろし金で、すりおろす。
 すると、ジュッ、という音がした。
 例えるならば、強酸の中に入れたような。
「本当に大丈夫なのか?」
 こんな聞き方をしたら、間違いなく叱られるとわかってはいたが。それでもそうせずにはいられなかった。
 幸か不幸か、返事は無かった。
 彼女は、乳鉢の中にのみ注意を注いでいた。
 私も、フライパンのソースをかき混ぜながら、横目で、乳鉢の中を覗き込んだ。
「……?」
 青緑色になり果てた林檎のすりおろしが、非情にも激しく泡立っていた。
「!」
 まさか、……劇、物?
 いやいや。
 途中経過だ。きっと。なにせ、魔法使いのすることだ。
 すると、今度は、片手で包める大きさの乳鉢に、白色と金色の粉を、それぞれ薬さじで量り入れて、乳棒で、ゴリゴリと、すり始めた。
 今度は、そこから赤い煙が上がり始めた。
 もしや、……爆発、物?
 いやいや。
 いわゆる化学実験においては、素人には意外に思う出来事が良く起こる。しかし、しかしだ。それは、学術的な根拠に裏打ちされた、実に論理的な事象なのである。
 と、考えることにして、どう考えても、あの可愛らしい子に与えるべき「林檎のすりおろし」には相応しくない物騒な状況から、私は目をそらそうとした。
 つまり、そんなはずはない、と。
 なぜなら、クリスティーナだって、あの子のことが好きだろうからだ。そんなものを口に入れさせるはずがない。
「そろそろ、茹で上がるころではないかしら?」
「はっ?」
 奇怪な作業を繰り広げている魔法使いから落ち着いた声を掛けられ、私は我に返った。
「大丈夫かしら。このお坊ちゃんは」
 こちらを見るクリスティーナが呆れている。
「『はっ?』ではなくて。私は、あなたが全力を尽くしているところの、麺の茹で具合の話をしているの。生も根も尽き果てて、現を抜かし始めたところなのかしら?」
「あ!」
 忘れていた。
 鍋に入った麺を、流しに置いたザルに移した。その麺を、今度は、ソースの入ったフライパンの中に入れて、あえる。
 無事、出来上がった。野菜と魚貝のパスタである。
 ほっと胸をなでおろしたところで、魔法使いの林檎の方も、できていた。
 私は、目を丸くした。
「普通だ」
 あの青緑色のすりおろしと、赤い煙を噴き上げていた正体不明の粉の混合物は、合わさって、「何の変哲も無い、単なる林檎のすりおろし」に化けていた。
 乳鉢から、これまた彼女持参のガラスの器へ、銀の薬さじでもって、その変化林檎はよそわれた。
「それを食べたら、どうなるのだ?」
 聞かずにはいられない。
 ガラス器を持ったクリスティーナは、片頬で嗤う。
「食べてみる?」
「いや、遠慮しておく」
 即座に断った。
 作り方を見ていたから、とてもそんな気にはなれない。
 すると、魔法使いは、笑みを変えた。
「……たとえば、これが、ずっと前に坊ちゃんが私に頼んだ、『媚薬』と同じ成分だとしたら、……どうする?」
 私は、考えもせずに答えた。
「私が食べてもしかたないだろう。私が食べさせたいのは、君だったのだから」



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