シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

38 白雪姫の話

 私の質問に、クリスティーナは、殴り倒す前にはなかなか答えなかったくせに、流水のようによどみなく答えた。
「『死んだように眠り』、『目が覚めて最初に聞いた言葉を信じる』魔法よ。慢性疲労の回復に効果があるわ」
 銀の瞳が、笑みの形に細まった。
「『白雪姫』という昔話を、ご存知?」
「……だいたいは、」
 王が死に、継母に城を追い出された白雪姫は小人と暮らす。そこに、変装して老婆に化けた継母がくれた毒林檎を食べて仮死状態になる。しかし、通りかかった隣国の王子に助けられて、彼の妃になる話だ。
 美しい魔法使いは医師に、「ではあなたは、林檎を食べるくだりを詳しく知らないのね?」というと、話し始めた。
「昔々、白雪だか雪白だかの名がついた姫様が、魔法使いに唆されて食べてしまった林檎が由来なの。魔法使いは、目覚めた姫にこう言ってやるつもりだった。『あなたが引き継ぐ国は、私の物です』と。そう、てっとり早く国を手に入れるのなら、順当な手段ね」
 ……国盗りの話を王族に聞かせるのか、この魔法使いは。
「順当でなく、卑怯だと思うが?」
「それは、あなたがお坊ちゃまだからよ? けれど、この魔法使いはツメが甘かったのね。失敗してしまった」
 目を伏せて残念そうにつぶやくと、舌打ちした。
「愚か極まれりだわ。だから三流なのよ」
 王宮魔法使いは、意地悪く底暗く嗤う。
 私はため息を吹きかけてやる。
「こき下ろしを間に挟むのは止めてくれ。白雪姫の昔話とは、そんな話だったのか? たしか、林檎をくれた魔法使いは、実は姫の継母で、」
 魔法使いは眉を上げてうなずいた。
「そうよ。継母は、王妃であると同時に魔法使いだったの。この事件が起こった後、この国には、王族と魔法使いは結ばれない掟ができた。生まれる子は間違いなく魔王だし、魔法使いの王妃は高い確率で国をのっとるでしょう。害悪にしかならないわ?」
 医師は、過去、クリスティーナをのっとった魔女が口走ったうわ言を思い出した。「この国が生まれる前の、最後の王妃」
 まさか。
「……続きを話してくれ、何か、私が知らない裏の歴史を聞いているような気がしてきた。本当なのだろう?」
 魔法使いはひょいと天井を見上げた。何かを、頭の中で取捨選択しているようだ。
「事実には、なっていないわね」
「気になる言い方だな。やはり裏の……」
 肩を揺らす私に、魔法使いが嬉しそうに嗤いかけてきた。
「怯えた目で私を見ないで。フフフ、そんな顔をしていたら、あなたがお望みどおりのことを、してあげたくなってしまうわ」
 話を、元に戻さねば、……苛められる。
「お気遣いなく。是非続きを話してくれ」
「残念だわ」
 口ほどには未練も残さずに、魔法使いはさらりと話を続けた。
 しかし、話す直前、一瞬伏せられたまつげに半ば隠れた銀の瞳が、私の知らないことを沢山隠しているように見えた。
「魔法使いは、林檎を食べて眠り込んだ白雪姫をそのままにして、明日の朝、彼女が目覚めるころに、また来ることにしたの。どうして拉致監禁しなかったかというと、同居している鉱山夫の小人たちが、どいつもこいつも白雪姫にベタボレで、愛しい姿が見えないとなれば、草の根分けても地の果てまでも、鉱山で鍛えたその馬鹿力と、妖精由来の粘着質な性格とを総動員して、探して探して探し尽くすだろうから、うっとうしかったのね。魔法使いは、姫を丁寧にベッドに寝かしつけ、『ただ眠っている』ふうに見せかけて、出て行った」
「……脚色が入っていないか?」
「事実にはなっていないわね」
「それはどういう、」
「さあね、自分で考えなさい。魔法使いのもくろみは、うまくいった。夕方、鉱山から帰ってきた小人たちは、『ただ眠っているように見えるけど、いくら呼びかけても揺り動かしても目覚めない白雪姫』を、為すすべなく心配するしかなかった。ところが、深夜に、予想もしない事件が起こったわ」
 私は、その先を知っていた。
「隣の国の王子が通りかかったのだろう? 違うのか?」
 魔法使いは、じっと私を見返した。
「……そんなあっさりした経過じゃないのよ? 王子様」
 呆れているようだが。
「知らないから聞いているのに」
「そうね。これから話して聞かせるわね」
 クリスティーナはつくづくと私を見る。
「……」
「なんだ?」
 視線が怖くなって声を掛けると、魔法使いは意味深に笑った。
「ふふふ。話を続けるわ」
「……? お願いする」
 ここから先、私は、一番聞きたくない類の話を聞くことになる。彼女の「笑い」は、そのさきがけだったのだ。
「隣国の王子は、自国では悪い意味で有名だった。『王子が通った後には、腹をふくらまして泣き崩れる娘と、怒り心頭に達して王子に食ってかかる親が黒山の人だかり』と言われるほどに素行がお粗末だったの。そういうわけで、自分の国内ではもう遊べなかった。だから、仕方なくだか意気揚々とだかは知らないけれど、王子は正体を偽って、隣国を訪れて夜遊びを始めた。やりたい放題の放蕩三昧をして、翌日に自国へ戻ることにしたの。そんな品行方正な王子様が、その夜に、姫と小人の家のそばを通りかかった。庭先に干されっぱなしになっていた洗濯物に、若い女の身に着けるものがあるのを見て、さっきまでさんざん遊んできたくせに、よからぬ気を起こして窓から中を覗いちゃったのね。そしたら、『白雪』と呼ばれるほどの美女が眠っていた」
「ちょっと待て」
 話が、えぐくなりそうな気がしてきた。
「クリスティーナ、その先は、聞きたくないのだが……」
 魔法使いは、首を傾げる。
「どうして? 真面目一徹のおぼっちゃまには辛い話かしら。でも、社会勉強は必要よ。あなたはお医者様でしょ。色々なことを知っていなければならないわ?」
「あのな。私だって医療現場にいるのだから、色々な患者に出会うわけで、その中には……、だから、具体的に想像できるだけに、もうすでに仕事で腹いっぱいになっているというか、」
 クリスティーナは得たりと微笑んだ。
「快く賛同いただけたので、話を続けます」
「私の話のどこをどう聞いたらそうなる!?」
 私の反論は儚くも聞き流され、魔法使いは言葉をよどみなく紡ぎ出す。
「王子は家に忍び込んだ。小人たちは、昨夜遅くまで続いた肉体労働のお陰で、深く眠りこんで、起きる気配がない。王子が家に忍び込み、白雪姫の寝台に膝を掛けるのは、とても簡単だった」
「……」
「耳を塞がないで。あなたが、プリシラの食事を取り上げてまで、聞きたがっていた話じゃないの。それこそ、私に殴られるくらいに」
 加虐的な嗤いを浮かべる冷酷な魔法使いによって、無理矢理、私の耳を守っていた両手が、引き離されてしまった。
 私こそ、狼藉を働かれた姫君よろしく、おろおろと首を振った。
「……お願いだ、やめて、許してくれ、」
「許さないわよ。ちゃんとお聞きなさい。それが責任というものでしょう?」
 魔法使いは意気揚々かつ滔々と話して聞かせる。
「放蕩王子は、山中の一軒家で、皆が寝静まっているのをいいことに、湧けども尽きぬ欲望のまま、また一人の娘を餌食にした。どういうわけか、ことに及んでも、姫は眉一つ動かさないどころか、静かに安らかに寝息を立てるばかり。しかし、愚かな王子は自分の欲望と快楽とに溺れて、その異常さに気付かなかった」
 聞きたくない聞きたくない。ああ嫌だ。その類の被害に遭った女性達の惨状が、これまでの当直経験から生々しく……、う、
「クリスティーナ……吐き、たく、なってきた」
 直訴したら、額を、私の気分とは逆に軽やかに叩かれた。吐き気が速やかに消失し、後悔が残った。
 黙って吐いていればよかった。そうしたら、話が中断したかもしれないのに。
「吐く権利すら、認められていないのか……」
 ついそう言ってしまい、睨みつけられて嗤われた。
「ホホホホ、この未熟者。いい歳をしたお医者様がみっともない」
「だって酷いし、可哀想ではないか」
 魔法使いが肩をすくめた。
「あなたって、長所が短所よね。一言でまとめれば『おぼっちゃま』」
「なんだその言い方は!」
「あら、元気になったわね。よろしい。これで、安心して話を続けられるわ。王子は、あと少しあと少しと姫の肌にのぼせ上がり、愚かにも明け方まで寝台に居座った。それが運のつきね。朝日が昇り、白雪姫は目覚めた。そして、」

 自分が犯されたことを知った姫は、怖れもせずに激昂した。
「不埒者! わたくしをこの国の王女と知っての狼藉か?! 誰か来て! この者を捕らえなさい! そして、首を切り落としなさい! 身体は千々に引き裂いて煮込み、狼にくれてやりなさい!」
 気高い声に目を瞠り、そして、所作の優雅さに目を奪われ、王子は、彼女の素性を理解せざるを得なかった。
「違う、私は、隣国の王子で……、」
 乱行をぬぐうに足りる台詞を思いつき、王子は高らかに叫んだ。
「あなたこそ、私が求めていた妻だ! どうか私の妃になって欲しい!」
 白雪姫の動きが止まった。
「……」
 瞳孔の開いた黒瞳で見据えられ、王子は身震いした。
 相手は激怒している。私は、今そこに近づいてくる足音の主に殺されるだろう。
 切られるなら長く苦しまずに死ねるだろう。しかし、撲殺されるとなると、酷いことになる。
 まさか、こんな所に王女が住まっているとは、思わなかったのだ。……そういえば、王が亡くなり、姫君は継母から城を追い出されたと聞いた。だが、姫君ともあろう方が、よりにもよって、こんな粗末な家に住んでいたとは。
 白雪姫は、やってきた小人たちに、こう命じた。
「この男を捕らえて。決して外に出しては駄目」
 小人は、薪割り用の斧を軽々と片手で振りかざす。風切音が、びゅっと鳴った。
「姫様や。引き裂くと言わず、砕いて鍋に入れてやりましょうか?」
 姫は首を振って不敵に笑った。
「その命令は撤回します。彼を生かすと決めました」
 王子は、呆然と、姫を見た。
 白雪姫は王子をひたりと見つめ、「先ほどの言葉、信じますよ?」と念を押した。
「!」
 僥倖に、王子は即答した。
「もちろん。隣国の王子として、その名にかけて、真実だと誓う」
「わかりました。では、この国の王女たるわたくしと、隣国の王子たるあなたとの間で、正式に結ばれた婚約といたします」
 炎を産む黒炭の髪に、溶けない深雪の肌を持つ姫君は、艶然と微笑んだ。
 そうして、寝間に集まってきた、筋骨逞しい屈強な小人たちの前で、白雪姫は誇らしく笑い、高らかに宣言した。
「皆、聞きなさい。そして、証人になりなさい。隣国の王子が、わたくしの婿になると約しました。これで、わたくしは女王として立てる。隣国も、私の領土です」
「婿だと!?」
 王子は耳を疑った。
「何を言うのだ! 私は我が国の王になり、君を妃として迎えるのだ」
「隣国の王子は、愚かなことを言う」
 途端、黒瞳の視線が、砲弾のように、放蕩息子を貫いた。
「わたくしの国は長子継承。父の子は、わたくし一人。わたくしこそ、王となるべき者です。あなたは、許しもなくわたくしの肌に触れた上で、婚約すると言った。それはつまり、奪った操の代償に、婿として、自国を捧げて私に仕えるということに他ならない。もしも、取り消すというのなら、」
 白雪姫が言葉を切ると、王子を取り囲んだ小人たちが、一斉に、坑道を掘るためのツルハシを振り上げた。いわおを砕く金属の輝きが、狙いを定めた。
「ひっ!」
 王子は腰を抜かした。
 姫は泰然と微笑んだ。
「怖れることはありません。石よりもずっと柔い王子よ。この山中には、私の防護のために狼を多く放っています。そう、私を害する者を食らえるようにね。ですから、どのように無残な死骸と成り果てたとしても、飢えた彼らが、速やかに餌にすることでしょう。あなたは、変わり果てた姿を晒し続けるという辱めを受けることは、決してありません。だから安心なさい」
「……どうか、命だけは」
 王子は、自分の命惜しさに、国とその身を差し出した。
「お助けください。あなたがお望みの物を、何でも差し出しますから、」
 白雪姫は気高く微笑んだ。
「よろしい。あなたがそこまで言うのなら、私の婿として迎えてやりましょう」
 こうして、隣国は、終焉を迎えた。
 魔法を掛けた林檎を使って、内乱を企てたことが発覚した継母は、女王即位の祝いの席で、冷たく美しい女王の御前にて、焼け爛れて火を噴く鉄の靴を履かされ、燃え盛る鉄板の上で、死の舞踏を踊ることとなった。
 業火の中で舞う継母の、魔法使いゆえになかなか命尽きぬ叫喚の声を聞きながら、女王は、震える夫に、至福の笑みを下した。
「お前は、神がわたくしのために遣わした道具かもしれないわね。お陰で、わたくしは二国を手に入れることができた。感謝するわ」



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