金に煌く朝日が昇った。
台所からは、パンを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
「プリシラ、あなたの過保護なパパを起こしてきて」
「はーい」
小さな女の子が、とことこと寝室に向かう。
波打つ水色の髪に、澄んだ銀の瞳が愛らしい。髪と同じ色の、簡素なワンピースが良く似合う。
少し背伸びをして、寝室の扉を開き、小さな魔法使いは、ベッドによじのぼった。
そこでは、医師が、死んだように眠っている。
「パパー、起きて。朝だよ?」
……パパとは、誰のことだ。
「パパ、起きて?」
肩にちょこんと触れる、これはきっと稚い手だ。
可愛いなあ。
「パパ、」
子どもが居たら、こんなふうに呼ばれてみたいものだ。
そして、こんなふうに、可愛らしくゆさゆさと揺り起こされて。
「ねえ、パパ」
これはいい夢だ。
もっと眠っていよう。
……ん? 何か、聞き知った足音が近づいてくる。つかつかつかつかと。
背中に緊張が走るのは、何故だろう。
ああ、この、硬い革靴の音。
まさ、か?
医師の家の、客用の寝室の扉が、鋭く開いた。
「プリシラ、あなたのパパは起きたかしら?」
ベットにのぼって、医師の肩の側に座り込み、一生懸命ゆさぶっていた小さな魔法使いは、「ううん」と首を振った。
「クリスティーナ。パパはちっとも起きないよ?」
「……そう」
王宮魔法使いは、片頬で嗤った。
遠慮なくどかりとベッドに膝を掛け、医師の真上で、よく通る声を投げ落とした。
「いつまで寝ているの!?」
ぐい、と、襟首を掴まれ、引き起こされた。
「起きなさい! ベネディクト!」
「はいっ!」
医師であり王族でもある男は、脊髄反射に近い速度で返事をすると、紫の目を白黒させながら見開いた。
「……」
触れるほど近くに、見るだけなら美しいばかりの魔法使いクリスティーナの顔がある。
しかし、どうだろう。
彼女と関わると、一方的に恐怖を押し付けられる。
「起きないのは、そんなに、悪いのか……?」
まだ覚めやらない声でおずおず言うと、冷め凍えた声がずけずけ返された。
「『寝起きが悪い』『寝覚めが悪い』というくらいなのだから、悪いに決まってるでしょ?」
冷え切った指が、私の襟首から、何の未練もなく放された。
なんだこの起こし方は。
どうして朝から緊張を強いられるのだ。
名前を教えるのではなかった。
こちらが逆に隷属しているようだ。
居丈高に過ぎる。
……昨夜の彼女と違うじゃないか。
それとも、あれは夢だったのだろうか。
夢のような気がする。
その方が、この冷たい現実につじつまが合うというものだ。
ということで、あれは夢だったのだ。あんな夢、見なければよかった。
鬱々たる思いでいると、左隣から可愛らしい声が掛けられた。
「パパ、起きた?」
プリシラだ。
条件反射で笑ってしまう。
「起きたよ。おはようプリシラ。ごめんね。プリシラが起こした時に起きていればよかった。……ん?」
私は、そこで、小さな魔法使いの、大きな外見の変化に気付いた。
「髪の色が違う!」
昨日は、光の粉が飛んでいるくらいに見事な金色だった。
それが、今はどうだろう。
青空色になっている。秋の蒼穹、抜けるように爽やかな色に。
「クリスティーナ、」
訳がわからないので、魔法使いに声を掛けた。
「一体、どういうことだ?」
「どうもこうもないわね。朝日が昇ると同時に、プリシラの髪の色が変わった。それだけのことよ?」
それだけ……って、
「……そんなことがあっていいのか?」
クリスティーナは「いいのよ」と、私の問いをすげなくあしらう。
「だって、魔法使いですもの」
プリシラもにっこり笑った。
「そうよ。気にしないで?」
二人がかりでそう言われると、もうどうしようもない。
小さな可愛い魔法使いは、私の左腕に、もみじのような手をのせた。
「パパ、行こう? クリスティーナがね、おいしい物作ってるんだよ」
そういえば、いい匂いが漂っている。
ベッドの横で、腕組みして見下ろしている魔法使いに、ようやく挨拶した。
「おはようクリスティーナ。ありがとう、朝食を作ってくれて」
「林檎のお礼よ? 気にしないで」
「……昨夜、の?」
まさかと思いつつの確認をしたら、パン、と、朝一で額を叩かれた。
あきれ果てた表情で、王宮魔法使いが私の間違いを訂正した。
「プリシラに林檎をくれたお礼、ということ。おわかり?」
「よくわかったよ」
この叩き癖、なんとかならないのか?
私はむくれて、額を右手で押さえながら、魔法使いを見上げる。
「坊ちゃんが坊ちゃんでなくなったら、きっと、もう叩かないわ?」
何も言っていないのに、クリスティーナが見透かした。
また坊ちゃんに格下げか。
まあいい。名指しで命令されるよりは。
「なあ、クリスティーナ、」
「何かしら?」
ひょっとして、私の名前を聞いたのは、私に命令しやすくする為なのではないか? と、尋ねようと思った。
しかし、やめた。
聞いたら、……泣かれそうな、気がする。彼女は、意外にも、本当に意外にも、泣き虫、かもしれない。
代わりの質問を思いついた。
「どうすれば、『坊ちゃん』でなくなる?」
「……」
魔法使いは、叩き慣れた右手をひらりと振って、眉をあげた。
「叩かれたくない、ということ?」
「もちろん」
「叩く本人にどうすればいいのかを聞いているうちは、あなたは『坊ちゃん』のままでしょうね」
「お腹すいたー」
私の肩をくいくいと揺さぶるプリシラの声に、私は、一番すべきことに気付いた。
「ごめんね。食事にしよう」
この、ようやく飢えを自覚できたばかりの子を、決して待たせてはいけない。
小さな魔法使いを抱き上げて、ベッドから降りる。
と、優しく髪を梳かれた。
私と同じ背丈の魔法使いの指だった。
心臓が跳ねた。恐怖ではなく。
「なに……?」
私が二つ瞬いたあとに、魔法使いが答えた。顔には謎を秘めた無表情が構築されていた。
「私は『坊ちゃん』も、嫌いじゃないのよ?」
「それは……」
どういうことだ?
「『お医者様』も、『王子様』も、嫌いじゃないわ?」
つまり、
「このままでいい、ということか?」
「それはあなたの自由ね」
言い切ると、クリスティーナはプリシラを私から取り上げた。
「冷めるわよ。行きましょう」
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