シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

43 名前負けのひよっこ

 冷めた空気が河を行き、魔法使いの髪を梳く。
 この宝玉の正体は、なんなのだろうか?
 朝日を浴びつつ河に立つ魔法使いは、師匠からあずかった、桜色に輝く石を見つめた。
 ルビーでもサファイアでもない。ダイアモンドでもない。
 トルマリンの類だ。
 石の素性は知れたのだが、何の目的で持たされているのかが、わからない。
 奇妙な石だ。
 原石を預かった当初は、『捨てたらぶっ殺すわよ』と言われた。
 寝ぼけたファウナ王子が、奇妙にも、この石に頬すりした。
 そして、小さな魔法使いは、石を見て『もうすぐ来る赤ちゃんを、守れないよ』と言った。
 そして、この石を見ていると、……なぜか、胸の奥が焦げる。
「なにを突っ立っておるのかのう。ひよっ子」
「!?」
 背後から、しわがれた声が掛けられた。
 振り返ると、侍従長が立っていた。
「……いつから、そこに?」
「ずうっと後ろに立っておったよ? フォフォフォ」
 白く長い髭を揺らして、好々爺のごとくに笑う。
「ひよっ子が、魔女を狩るあたりからかのう」
 すると、夜半から、ということになる。
 彼の姿は見えなかったし、気配も感じられなかった。
 師匠も知らなかったかもしれない。
 プリムラの無表情の奥に一瞬揺らいだ驚きに、侍従長は「なんのなんの」と首を振る。
「大したことではない。あの減らず口と、このひよっ子が、御前近くでの魔女狩りをしくじったらば、まとめて始末する。ごく当たり前の仕事じゃて。フォッフォッフォ」
「なるほどね」
「それで、ひよっ子は、その『護り石』をこねくり回して、何をしておったのかの?」
 初めて聞く言葉に、プリムラは眉をひそめた。
「護り石、ですって?」
「なんと、」
 侍従長は、長いそでで口元を隠して嗤う。
「フォフォフォ。知りもしないで、そんな大層なものを持っておったのか?」
 師匠は何も言わなかった。
「護り石とは、何なの?」
「おやおや! これはまた!」
 翁は目を丸くして、大仰に驚いているという格好を作った。
「何と学の無いことか。さすが、ひよっ子だけあって、巣立ちもままならんのう」
 馬鹿にしただけで、その先の言葉はない。
 自分で調べろということだ。
「丁度、ひよっこと同じ名前の護り石。名前負けせんようにな」
「同じ名前?」
 この石はトルマリン。
 自分の名前とは全く被らないが。
 怪訝な顔をするプリムラに、侍従長は、二度目の驚き顔を作って見せた。
「なんとなんと! 学の無さ極まれりとはこのこと。ひよっ子は本当に骨の髄から名前負けしておるなあ」
 何を言っているのだろうか? この老魔法使いは。
「名前負けですって? 私が『桜草』の名に負けるというの?」
 プリムラとは桜草という意味。
 母が付けたのだ。憎い父への腹いせに。ローズという薔薇の名前を取り上げて、毒にも薬にもならない役立たずの花である桜草という名を。
 それよりも、役に立たないというのだ。
 侍従長からしてみれば、彼の弟子クリスティーナのさらに弟子、孫弟子にあたるわけなので、……弟子よりも手厳しくこき下ろすのだろう。
 別に腹も立たない。今更、名前のことでは。
 それゆえ、プリムラは、表情無く少し肩を竦める程度の反応しかしなかった。
 すると、侍従長も、しかしこちらは大げさに肩を竦めて返した。
「ひよっ子は冷めとるのお。あの『減らず口』とは大違い。これでは張りがないというもの。つまらん。実につまらん」
「それは失礼いたしました。大師匠様」
 形式上敬意をもって返答すると、老魔法使いは「まったくつまらん」とこぼした。
「これでは河に話しかけるのと同じ。聞き流されるだけじゃ。せっかくじゃから。わしのためにも、ちいと学を授けてやるとするかのう」
「……?」
 プリムラは、意図を測りかね、眉をひそめた。
 逆に、侍従長は表情を明るくした。
「おお、それじゃ。少しは、たじろいだりひるんだりするといい。それで私の意地悪心も満たされるというもの」
「……」
 金髪の魔法使いは、表情を曇らせた。
 やりにくい。
 師匠とは、逆の意味で。
「学を授けるとは、一体何を?」
 話を促すと、老翁は「フォッフォッフォ」と笑った。
「若い者は、年老いた者から困らせられるために生きているのじゃ。それをゆめゆめ忘れることのないようにの。さて、」
 侍従長は、プリムラの持っている石に五指を向けた。決して指差しをしなかった。
「そちらの護り石。名前を『プリメーラ・インディアーノ』という」
 プリムラは、瞬いた。
「トルマリンではないの?」
「その中でも、あえてそのように名づけられ分類されている。その鉱石の中で最上級のものじゃ」
 それがたまたま桜色をしていたから、『プリメーラ』という名がつけられたのだろうか。
「そう」
 プリムラが軽くうなずくと、侍従長は「ふるわんのう」とこぼした。
「……あなたのお望みどおりに反応できると思ったら、大間違いよ?」
「たしかにのう。表情の変化が乏しい。話が転がらん。学が足りんのう」
 プリムラは彼から何を言われても腹は立たなかった。相当に年が離れ、しかも異性なので、互いの立場の違いが明白だからだ。
 老いた魔法使いは、つくづくと若い魔法使いを見ると、「もしや」とつぶやいた。
「ひよっ子は、『プリムラ』の意味を『桜草』だと思っているのではないか?」
「他の意味があるの?」
「おお……」
 侍従長は、眉を落とし、肩も落とし、気まで落とした。
「……ふるわんはずじゃ……。ある意味、わしの負け。無知には叶わんて……」
 これは演技ではなかった。本気でがっかりしている。
 プリムラは初めて苛立ちを覚えた。
 この魔法使い、私のことを本心から『愚か者』だと思っている。
 更に追い討ちをかけるように、侍従長は、同情に満ちた顔をして、「今まで辛かったのう。気を落とさんことじゃ。いつでも図書室の扉は開いておるゆえに」とまで言った。
 金髪の魔法使いは、深呼吸をして気持ちを静めようと思った。
 そうでないと、今ここでこの大師匠を凍死させてしまう。
「おや。冷えてきたのう?」
 侍従長はしらじらしく呟くと、「おお寒い、凍えてしまう」と、腕をさすった。口元に、抑えきれない笑みが湧き出している。
「寒い寒い。季節は初夏だというのに、これは異な事。さて、」
 空気を凍らせた魔法使いに、侍従長はほくほくと微笑みかけた。
「春告げる桜草はたしかに、『プリムラ』という名をつけられておる」
「役に立たない桜草、ということでしょう?」
 プリムラが口を挟むと、侍従長は、目を丸くした。
「なんと、なんとなんと、」
 そして、腹を抱えて笑い出した。
「フォッフォッフォッフォ! 『役に立たない桜草』とな!? なんとも、これは、言いえて妙! 言いえて妙じゃ!」
「!」
 相手が額に青筋を浮かべたのを確認すると、さらに笑いが盛大になった。
「フォーッフォッフォッフォ! なるほどのう! 今までわしから『名前負けのひよっ子』と言われても、これでは、たしかに怒らんわけじゃて! フォッフォッフォッフォ!」
 心ゆくまで笑いに身をまかせ、満ち足りて、「ふうー」と息をつくと、侍従長は孫弟子に、「そう怒るな」と、あんまりなたしなめかたをして、途切れた話を再開した。
「今のこのような厳寒が終りを迎え、春となり、一番初めに咲くのが、桜草。それゆえ、桜草は『プリムラ』の名前を冠しておる」
 笑いの涙をこすりつつの言葉が、プリムラの心に未知の波を立てた。
「……」
 侍従長は、「久方ぶりに笑わせてもらったわ。礼に、もっと学をつけてやろう」と、上機嫌で言った。
「つまり、プリムラとは、本来、桜草の意ではない。『一番の』『最初の』という意味じゃ」
 ひよっこのくせに、『一番』の名前がつけられているということ。
「どうじゃ? これで、わしの嫌味がわかったかの? 『名前負けのひよっ子 』」
「……知らなかった」
 母も、そうだったに違いない。父もだ。
 何も知らなかった。私たち親子は。
 あきれ果てた事実で、嗤うにも及ばない。
 そう思うと、子ども時代の憎悪うずまく陰惨なやりとりが、薄っぺらい茶番に成り下がった。
「役立たず、じゃないのね」
 思わずもらした言葉に、大師匠がニヤリと嗤った。
「役立たずじゃから、名前負けと言うておるに」
「そんなこと、わかってるわ」
 そして、気が付いた。
 当然、……師匠も知っていたのだ。
 プリムラは、宝玉を見下ろした。
 だが、だからといって、思慮深い師匠に感謝したりはしない。
 なぜなら、
「わしらは魔法使い。生きるも死ぬも自己責任。せいぜい己を切磋することじゃ。あの減らず口からいびられておればそれで足りるなどと思うなよ。図書室がしびれを切らして待っておるぞ。ひよっ子」
 侍従長はそういうと、「さーて、寝ようかの」、と、あくび混じりに言って、姿を消した。



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