シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

9 エリザベス

「なんと恐ろしいことだ。まったく恐ろしい。私の一日は、恐怖で締めくくられてしまったではないか」
 両手で、二の腕をさすりながら、王は、謁見の間から退出して、自室へと帰っていく。
 その後ろから、王妃が優しい苦笑を浮かべて、ついてくる。
「ほんとうに。貴方のクリスティーナ嫌いも、相当ね」
 その名を聞いた途端、王の肩の骨が、びくびくっとけいれんした。
 そして、青く震えながら振り返ると、「人聞きの悪いことを言うでない」とつぶやいた。
「嫌っているなど、とんでもないぞ。とんでもない。その様なことは、決してないのだ。決してな?」
 まるで、災厄を避けるように、王は慌てて否定した。
「私はな、ただ、その、そう、ただ恐れている。それだけなのだ」
 嫌うよりも、恐れていると言う方が、「彼女」の不興を買わないと思っているのか、王はさかんに、「嫌っているのではなく、恐れているのだ」と言いつくろう。
 王妃は、少しのためいきと吐き、大きな苦笑を浮かべた。
「ええ。女性の魔法使いをおそばに近づけないのは、国の安寧を願う王らしい、まことに、素晴らしい態度かと思います」
「ほう、そうか?」
 王は、わずかに威厳を取り戻して、「そうかそうか。ふふ」と、低い笑い声をもらす。
「ですが」
 引き続いて、王妃は言った。困った様子で。
「それほどまでに、むやみに遠ざける存在でもない、と、思いますわ?」
「そ、そんな」
 たしなめられて、王はしおれた。
「私は、生まれたころから、教育係にさんざん言い含められてきたのだ。満月の夜に、女の腹を借りて生まれる恐ろしい者達のことを。この身には、『王にとって、特に女性の魔法使いは、遠ざけておかねばならない者』という観念が染み付いている。……それに、」
 王は、そこで言葉を切り、低く、暗い声で、つぶやいた。
「私は、彼女が、魔女を、仲間を食うところを見てしまった。そうして、一層、恐ろしく、美しくなるあの魔法使いを……。それを見たとき、思ったのだ。魔法使い、特に、クリスティーナの中には、恐怖しか詰まっていないと」
「……」
 瞳を重く伏せた王妃は、王へ返事をしようとしたが、思いとどまって、小さく首を振る。
 代わりに、別の話題を振った。
「ところで、王」
「む、なんだ?」
「『エリザベス』を、覚えてらっしゃいますかしら?」
「おおっ!」
 王妃が、唐突に聞いたその女性の名は、王を、驚かせもしたし、とまどわせもした。
「エリザベスか!? エリザベスとな!」
 そして、頬を赤らませもした。
「私の命を救った、エリザベスか?」
「ええ。そうでございますよ? 王」
 王は、あきれて、笑い出した。
「ハハハ。何をいまさら。そんなことを聞くだなんて。覚えているどころか……忘れようがないではないか?」

 それは、今から16年も前の、夏のこと。
 王は、原因不明の突然の高熱に倒れた。
 熱は、三日三晩、上がりはしても下がらなかった。
 王を診ていた医師団は、次第に、その表情を渋くさせていった。
 ついに、四日目を迎えた朝、こう言った。
「今日が峠です。私たちは手を尽くしましたが、」
 ……打つ手は、なかった。
 国中が、悲しみに沈んだ。
 しかし。
 その日も終わろうという深夜、王宮の屋根に、天から、白い輝きが降り立った。
 それは、若い女性だった。
 彼女は、みずからを、女神だと言った。
 自分の名は女神エリザベスだと言い、皆にそのように呼ばせると、慈悲深く微笑んだ。
「憐れな、小さき者達よ。悲しむことは、もう何もありません。まもなく、王の苦しみは遠ざけられ、不幸は消えるでしょう。さあ、私を、王のそばへと案内なさい? すぐに。すぐにです」
 天から降りてきた輝ける女。皆、彼女を、彼女の言うとおり、神だと思った。
 王の寝所へ連れてこられた彼女は、ただ、熱い王の手を握ると、微笑んで、うなずいた。
「たった今、憎むべき病は、王から全て去りました」
「なんと」
 医師団は、仰天した。入室して早々に、彼女がそう告げたことに。
「驚くことはありません。ましてや、疑うことなど。医に従ずる、小さき小さき者たちよ、ためしに診察してご覧なさい?」
「そんな、早すぎる」
「まさか、そんなにあっさりと、」
 輝く彼女から勧められるがままに、医師たちは、首を傾げつつ、王の所へ参じ、各々、診察を開始した。
「本当だ!」
 医師たちは、仰天した。
「なんということ。たしかに、もう治っている」
「お熱が嘘のように下がっている。信じられない」
 今の今まで、王は、紅潮した顔を苦悶に歪ませ、荒く不規則な呼吸をしていたのに。なんということか、いまや、彼は、安らかな顔をして、静かに眠っている。
 王は、医師たちの騒ぎ声が耳に入ったのか、うっすらと目を開けた。
「どうかしたか……?」
 焦点の定まらぬ彼の視界に、輝く何かが映った。
 王の枕元に、輝くエリザベスが立った。
「初めまして、王」
「誰か? そなた、は?」
「私の名前は、エリザベス。苦しむあなたを、救った女神です」
 美しい声に惹かれるように、王は、寝具の中から、ふらふらと、手を伸ばした。
 エリザベスの冷たい手は、王の熱い手を握った。
「私の名前は、女神エリザベス」
「……エリザベス?」
「そう、エリザベス。私は女神。いいですか? ただのエリザベスではなく、女神エリザベスです。私が、あなたを、苦しみから救いました」
「おお、女神エリザベス」
 うなずいて微笑むと、その輝く姿は、消えた。

「エリザベス……」
 その時を思い出して、王は、かの佳人の名を呼ぶ。
「神秘的な女性だった。光のように輝いて。まさに女神。いや、恐ろしい魔女とはまるで逆だから、あえて『天女』と言いたい。私が今在るのは、彼女のお陰だ」
「ええ」
 王妃がうなずく。
「ふむ。しかし王妃よ、何故、今、彼女の名を出したのだ?」
 王が問うと、王妃は、「どうしてかしらねえ?」と、あいまいに微笑んだ。
「いえね。なんとなく思い出しましたのよ。そう。あの時と、今のあなたのお顔は、まるで正反対ですもの。それだから、でしょうか」
「なるほど。なにせ、対象が正反対だからな。天女と魔女だからな」
 王は、「天女」と言って、甘やかな笑顔で天井を見上げて、ほんわり笑い、「魔女」とうなると、苦みばしったしかめ顔で床を見下ろして、げんなりため息をついた。
「……」
 少しの優しい沈黙の後、王妃は、そうですわね、と、相槌を打った。
 王は、あの時一目会っただけのエリザベスを、神聖視していた。
 ところで、その天女には、もう一つの名があった。
 王妃も、周りの皆も、それを知っている。
 クリスティーナだと。
 魔法使いクリスティーナ。彼女が、王を死にいたる病から救ったのだった。
 あの時、王の病は、終末期を迎えており、もはや、医の技では、治癒が不可能だった。魔法で癒すしか、方法はなかった。
 だが、王本人が、度外れた魔法使い恐怖症であるがゆえに、王宮付きの魔法使いすら、寝所の立ち入りさえ許されなかった。
 だから、「王が知らない魔法使い」を、そうと知れせずに部屋に寄越して、王を治療いたさねばならなかった。
 そこで、当時、王宮に入ったばかりだった魔法使いクリスティーナに、白羽の矢が立ったのだ。
 果たして、彼女は、見事にそれを成し遂げた。
 それ以来、王妃は、夫の命の恩人であるクリスティーナに、絶大の信頼を寄せている。
 何も知らない王は、あいかわらず、魔法使いを、特に彼女を恐怖したままだが。

 王の御前を辞したクリスティーナは、王立病院へと向かう。
 王夫婦の会話は、王宮一の魔法使いの耳に筒抜けだった。
 無論、弟子のプリムラが、今、師匠の悪口をいいながら王子を送っていっていることも、わかっている。
 魔女クリスティーナは、15歳の時に、王宮へ入った。師匠や先輩魔法使いたちから指導を受け、彼女は、間もなく魔法使いになった。王宮付きの魔法使いに。
 ちょうど、そのころだった。王が、原因不明の高熱に倒れたのは。
 実は、原因不明ではない。
 王には、もし知れれば恐怖のあまり気が触れるかもしれないので、明かしていないが。あれは、歪んだ魔女の仕業だった。
 歪んだ魔女が、自身のことを『太古に悲劇の最期を遂げた王妃の転生者』と思い込み、王に呪いを掛けたのだ。
 本来は、王族に向けられる呪いを防ぐのは、王宮魔法使い達の仕事。それが、まんまと突破されたのだ。
 魔女ごときに、だ。
 これは、不祥事だった。
 当時を思い出し、クリスティーナは、懐かしそうに嗤った。けっして、「笑う」、ではない。
 王の病と呪いを、代わりに引き受ける役は、くじ引きで選ばれた。それも、インチキくじ引きで。
 当時の私は王宮に入ったばかり、ただ美しいばかりで汚れのない純真な乙女だった。
 あんな時に、インチキをするだなんて。そんなこと……自分しかしないものだろうと、思っていたのに。私って、何て純粋無垢だったのかしら。
「でも……、あの事件の後、インチキした奴ら全員を、縛り上げて、二度となめた真似ができないように、仕置いてやったけれど。フフフフフ、オホホホホ! お陰で、今の地位が確立できたのよ。ひとえに、私の高潔な人徳の賜物ね」
 ひとしきり、「思い出し高笑い」をした後、クリスティーナは、王立病院へ足を向けた。



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