扉が叩かれた。
「はい?」
大学へ行く支度をしていたフロラは、扉を開ける。
プリムラが立っていた。
表情なく。
「今日は、どこに行く予定なの?」
フローレンスの方が言葉をつむいだ。小船が湖面をすべるように静かに。
プリムラは、相手の青い目を見つめた後、答えた。
「さあね。いきなりどこかに放り込まれるんじゃないの? 昨日は海だったから、今日は氷原かしら」
フロラは、少しの間、目を落とした。
「そう。……クリスティーナさんはどうしたの?」
「地下室よ」
恐らく、今日これからの準備だろう。
フロラは、「そう」とだけ言った。
これから行われるだろう修行の酷さを考えると、頑張ってとは言えない。
かといって、辛ければやめたら、とは、決して言えない。
魔法使いにならなければ、魔女は人間に殺されてしまうことが多い。魔女の冷酷さや狡猾さは、普通にしか暮らせない人間にとっては、害になるから。冷たい予防手段だ。それは、弱い人間の弱さでもあるし、また魔女の恐ろしさでもある。
それに、魔女が魔法使いになるには、ある種の優しさをかけてはならない。それは、未熟さや過ちを看過してやる「やさしさ」。彼女たちにとって、それは害にしかならない。そのやさしさで魔女は歪み、普通の人間の手には負えなくなってしまい、結果、殺される。
何の言葉もかけられない相手を、フロラは、ただ静かに見つめるしかなかった。
プリムラは表情無く見つめ返す。冷たいといってもいいほどだった。
しかし、彼女の銀の瞳が、ふと繊弱になった。
「フローレンス」
プリムラの右手が、新雪に触れるように、フロラの髪へのばされた。
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