フロラは左手を王子に預けるところで、思い出した。
「そうだわ。クリスティーナさんから伝言を頼まれていました」
「クリスティーナから?」
王子は表情をこわばらせた。
せっかく、フロラとの楽しい時間を過ごそうと思っていたのに、聞きたくない名前を聞いてしまった。
「できれば忘れていて欲しかったけれど。なあに?」
フロラは、少し首を傾げて微笑んだ。
「『宿題はドレスです。さあ踊ってごらんなさい?』と。わたしには、意味がわからないのですけれど」
「ドレス?」
王子も首を傾げて、フロラを見つめ返した。
そして、気付いた。
「ああ、わかった」
フロラのドレスだ。
フローレンスの美しさを際立たせるドレス。だが、魔法使いの意地悪さも同時に表現している。
飾りがない。すそは床に広がるほど長い。それも膨らんだすそではなく、しなやかに広がるものだ。
踊り手の技量が問われるドレスだった。
ダンスの動きに伴って揺れるフリルやレースなどの装飾的な素材の優美さは、稚拙な技量をいくぶんか隠す。
すそが長いと、着ている本人かエスコートする相手か、それとも近くで踊る他人か、誰かがうっかり踏む。
ダンスの技量も高くなければならないし、周りに対する配慮も忘れてはならない。
エスコート次第で、女性は花にも天使にもなれる。
ということは、つまり、私の腕前が試される。
これは、いやがらせだ。一歩を踏み出せなかった私に対する、クリスティーナからの。……好意的に見れば、試練か。
『宿題はドレスです。さあ踊ってごらんなさい?』
楽しそうな魔法使いの姿が、目に浮かぶようだ。
王子は、だが、暗い気持ちにも渋い顔にもならなかった。
優雅な笑みを浮かべた。
踊ってみせるとも。花園で遊ぶ蝶のように楽しく軽やかに。
「フロラ。私もクリスティーナに伝言を頼んでいいかな?」
ファウナ王子は、晴れやかに微笑んだ。
魔法使いのことで王子がそんなに明るい顔をするのを、フロラは初めて見た。
一体どうされたのかしら、と不思議に思いながら、乙女はうなずく。
「ええ。どうぞ?」
王子は、にっこり笑った。
「『残念だったね。一足遅かったよ』って」
「一足遅かった?」
「そう」
王子はうなずいて、おかしそうにわらう。
「どんな顔をするかな? クリスティーナ」
直接言えないのが惜しいな、とつぶやいて、フローレンスの左手を取った。
大広間から聞こえる音楽が、徐々に小さくなっていく。
まもなく、ダンスの音楽に変わる。
花の女神を見つめるようにフロラを見て、手袋に包まれた優美な指を持ち上げて口付け、優雅に微笑んだ。
「まいりましょう。フローレンス嬢」
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