植物園が見えない、窓の無い自分の部屋で。
父への贈り物の「蒼いペン」を用意しながら。
少し計算が狂った、と、ミマは思っていた。
どうしよう。こうなると「楽園」とは言えないかもしれない。もっと……元気だと思っていたのに。
皆、とっても疲れてる。どうしよう。逃げる気力はあるかしら? かわす余裕はあるかしら? ないと大変なことになる。
心の中に、じりじりと焦りが生じた。
ミマは、壁に掛けられた時計を見た。
あと1時間もすれば、帰ってくる。
「皆、がんばって、」
思わず、声に出して言った時だった。
「……まだ着てるのね。でも、その方が良いのかもしれないわ。新しいよりも」
目の前に少女が現れた。自分よりも幼い、12、3歳くらいの、黒髪の女の子が。そうして、理解できない内容のつぶやきを寄越した。
「!? きゃぁ!」
ミマは、当然のことながら、驚いて悲鳴を上げた。
「誰!?」
両手で自分の体を抱きしめて身を守りつつ、ミマは相手から離れた。
少女は、ゆっくりと笑んだ。漆黒の髪と瞳が、夜の安らぎのようだった。
「私に、見覚えは、ない?」
「え?」
ミマは、少女を見た。
すぐに気付いた。あの人だ。不思議な雰囲気の。
でも、幼い。「招待した」時は、十七歳くらいだったのに。この子は、外見からすると……私よりも年下に見える。
「私が招待した……あの人なの?」
「ええ。そうよ」
雪葉は、月光が宵闇を照らすように、微笑する。
「手伝いましょうか?」
「え?」
「手伝うつもりで、来たの。私」
巫女は、笑み加える。
ミマは顔を歪めて怪訝そうにしたあと、あいまいに微笑んで、首を傾げた。
「なんのことをおっしゃってるのだか、よくわかりませんわ?」
「ふふ?」
まだ思春期の入り口にも立たないくらいの少女は、なのに密やかに笑って、相手を見つめ返した。
「『あなたの着ている制服を、私に貸してくださらない?』『あなたのお姉さまのために、楽園を作って差し上げるわ?』……こう言えば、わかる?」
「!」
ミマは、驚いて声を詰まらせ、
「どうして!?」
次に激しい声で叫んだ。
自分の企みをなぜ知っているのか? いや、それより、少女がいわんとする内容の方が、ミマには信じられなかった。
「何を考えてるのっ!?」
こちらがこうも心乱されているというのに、なのに、相手は無関心なほど静かに笑っている。
それを見て、ミマはますます感情がたかぶった。
「あなた、それがどういうことか、わかってるの!? わかっているのだったら、信じられない人だわ!」
得体の知れない、それも、自分に害為す恐れのあるものと相対しているかのように、ミマは首を振りながら少女をにらみつけた。
「あなたが誰かなんて、聞かない、もう聞かないわ! だからどこかへ行って! 消えて頂戴! 私、あなたが考えているような人間じゃないの!」
ミマの右の瞳から、光るしずくがこぼれた。
「もうたくさんなのよ! これ以上、悪いことを起こさないで!」
「それは……わたしが原因ではないわ?」
雪葉は、困ったように微笑んだ。
「ミマ」
巫女は、相手の名前を呼んだ。
「!」
背骨がきしむほど、ミマは驚き震えた。自分の名は、奉仕活動を行っている代表であるがゆえに、多くの人が知っている。しかし、人ではない何かに、名前を覚えられていることは、恐ろしかった。
雪葉は「恐がらないで」とささやいて、首を振った。
「少なくとも、悪者じゃないと思うの。わたし」
ミマは恐れのあまり、相手の言葉すら聞きたくないと、両耳を手でふさごうとする。
しかし、巫女は、相手の乱れた感情など知らぬ気な、淡々とした口調だった。
「聞いて? でないと、わたしがこれから話すことに意味が無くなるわ?」
「いや!」
「聞いて。『北の賢者の小鳥』をご存知?」
「……え?」
ミマは顔を上げた。
両手を耳から下ろした。
そして、返事をした。
「知って、いるわ?」
ぎこちない声。これくらいの「少女」ならば当然の反応。なぜなら、その、最近聞かれるようになった神話は、
「雪葉という名を、ご存知?」
雪葉は問い加えながら、わらった。雲間から漏れて深雪を溶かす銀の陽光のような静けさで。
「知ってる」
ミマの声も表情も、さらにぎこちなく、硬くなる。むしろ、先ほどまでの「得体の知れないもの」に対する表情の方が余裕があった。
この人は、いや、これは巫女なのだ。
「ふふ」
雪葉は笑った。秘めやかに、静かに。
そして、言う。
「だから、私を使ってみない?」
ミマはその言葉を聞いて、それまで恐れていた様子を改めた。
ぽかん、と、相手の顔を見る。呆れた様子で。
「うそでしょう? 本当に? 手伝ってくれるの?」
思わずたずねた。
雪葉のうなずきが返った。
「役に、立つと思うの。私」
それに笑みが加わる。
「だから。あなたの制服を貸して?」
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