万の物語/五万ヒット目/五万時空の神隠し〜言霊の娘〜

五万時空の神隠し〜言霊の娘〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


 人は人であるがゆえに、揺らぐ己の心象のみを、身に流して生きていく。しかし、まれに、このような人間がいる。
 己の中に事象を流して生きていく者が。
 これは、世にも稀な娘と、神との、出逢いの物語。

 星の生殺与奪は、賢者の手次第。
 北の主の手の中で、白い大きな星は次第にその密度を増して縮み、明るさを減じ、やがて全てを引き込む闇となる。宙の終末点。
 あるいは、
 主の手の中で、巨大な恒星はその激しい命を爆発によって終わらせ、それは新星を育む温床となる。星の子宮。
 しかし、当の主には一片の感情も無く。自らが治める北の世の全てに心までも下賜しつくして、もはや手元には無いかのように。彼自身が、無であるかのように。
「後はまかせた」
 必要最小の言葉を残して、宙から館へ帰る。
 白い新殻衛兵らは一礼して主を送り、
 黒い累機衆たちは一礼して主を迎える。
 星の一生を無感慨に見守り、にもかかわらず、それを好むと聞く。他者との関わりを避けに避けて、星を巡る。
 北の賢者は、変わり者とも、孤高の神とも、呼ばれていた。

「おーい」
 北の果ての館をきまぐれに訪れてひっかき回していくは、南の賢者ノウリジ。
「酒もって来たぞーう」
 紅い酒瓶を持ち上げて、おもうさま左右に振る。同時に、紅い長髪がひらりと揺れた。
「いらん帰れ」
 玄関にすら入れることなく、門の際で腕組みしたインテリジェは不機嫌につぶやいて、追い返す姿勢だった。
「会った早々に酷ッ!」
 少年の姿をした賢者は、ずんと酒瓶を下ろした。
「なんだよー。上がらせてくれよお。おまえが館に居るってことは、間違いなくヒマなんだろー? 語り明かそうぜ? 俺が一人でしゃべるからさあ」
 荒野の地に地団駄踏む紅い賢者に、紫の賢者はすげなく首を振る。長い薄紫の髪が、北風よりも冷たくなびいた。
「お前にくれてやる暇などない帰れ」
「お前の語尾ってもしかして『帰れ』なのかよ? んならさあ、『いらっしゃぁーイ!』に変更しないか? 客の入りがずいぶん違うぞ?」
「これ、星華。そなたの主を連れて帰れ」
「まこと申し訳ございません。お上がいつも不躾なことをいたしまして、」
 インテリジェは、とうとうノウリジを無視して、彼の背後に控える頭巾つきの紅い衣装をまとった巫女に言葉を掛けた。
 どういうわけか、彼女はいつも頭巾を深く被っている。若い女の姿であれ、老婆の姿であれ。
 声の調子には張りとみずみずしさがあった。今は若い姿なのだろう。ならば、頭巾からこぼれて流れる黒灰色の髪は、生来の色である。加齢による退色ではなく。
「えー? 失礼なのはインテリジェの方じゃないかよう?」
「お上。ごあいさつを」
 静かにひたりと言いつけられて、外見が少年のノウリジは、ぶうと頬を膨らませる。
「わかったよ、ばあちゃ、おっと。星華、わかったよ」
 祖母と呼ばわろうとして口をつぐみ、巫女として名前だけを呼んだ。
「こんにちは北の賢者殿。ホンジツはお日柄もヨロシクご機嫌伺いにキマシタ」
「機嫌は悪い帰れ」
 にべもない返答に南の賢者はわざと派手に顔をしかめた。
「ほらぁ、な? 何言っても駄目なんだってこいつは。オジャマしまーす」
 家主から言葉の石つぶてを投げつけられたにもかかわらず、ノウリジは押し入り強盗のように館内に侵入した。転移の術で。
「……」
 インテリジェが、冷たい怒気を放った。
「帰れというに、」
「お上! なんということを!」
 星華が慌てて恐縮する。
「申し訳ございません。インテリジェ様、」
 さっと深く一礼した。
 そこに、小雪まじりの北風が、ごうと吹いた。
 南の巫女の紅い頭巾が風に煽られる。
「……!」
 長い髪が舞い、頭巾が外れた。
 涼やかな切れ長の、黒灰色をした相貌が現れた。
 思わず見入る紫の賢者の、彼らしくない感情ある行動に、はっとした巫女は右手で自分の顔を隠した。両の目を。
「まあ、ご覧にならないでくださいませ。いらぬ災厄を招きますゆえ」
 初めて聞く、彼女の慌てた声だった。
「あー、インテリジェ。見たらえらいことになるぞう?」
 館に入って今や好き放題していると思われたノウリジが、北の賢者と南の巫女との間に姿を現し、インテリジェへぱっぱと右手を振った。背後に巫女をやって。
「何故だ?」
「だって星華は……」
 言いかけて、紅い賢者は思案顔になった。
「……ううむ、お前知らないんだ。うー」
 答えを渋られて、インテリジェは怪訝に思った。
「どうした?」
「いやぁその。知らないのか。そうかー。へー」
 やけにもったいぶる。
「教えろ」
 外見と違い、北よりも年長のノウリジは、しめたと笑った。
「教えてやるよ。ここじゃなんだから、続きは館の中で、まあ酒でも飲みながら」


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