シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

8 秘密、時計、遺言

 プリムラは、化粧室の扉を開けた。
 シンデレラは硬い表情で、陶器の人形のように体をこわばらせて、彼女に抱き上げられていた。
 床に敷かれた絨毯には、先程の真珠たちが、溶けない雪粒のように広がったままだった。
「きれいでしょう?シンデレラ」
 歌を唄うように、シンデレラの耳元でプリムラがささやいた。
「どれが本物だかわからないくらい、美しいでしょう?でもね。見分けるのは簡単」
 プリムラは、シンデレラを降ろした。
「うっ」
 降ろされた振動と、かかる体重によって、ガラスの靴の足が、痛みしか伝えない神経のように、シンデレラを苦しめた。
「お下がり」
 洗顔用に汲まれた水がなみなみと入ったガラスの水瓶を持って、プリムラが命じた。
 シンデレラは、白いドレスの裾と悲鳴を上げる足とを引きずって、真珠の海を離れた。 プリムラは、水瓶の水を、ためらわずに床にぶちまけた。
 バシャアア!と、盛大な水音がして真珠は水に飲まれて転がり、絨毯は水に溺れた。
 水を吸った絨毯は、織り込まれた獣の毛独特の臭気を、じわりと放った。
 だが、臭いには、やがて芳香が混じった。桃に似た甘い香りが。
 プリムラは、蔑むように床を見下ろしていた。
 シンデレラは、継姉の奇行に、怪訝な表情になった。そして、水浸しの床を見た。
 真珠が、消えていた。
 残っているのは、ほんの10粒ほど。残りの数百粒は、跡形もなく消えていた。
 化粧室には、水ではなく桃酒をまいたように、夢見るような甘い香りが立ち込めている。「ふふ。もう化粧室は使えないわね。」
 人生を狂わせてやったかのように微笑んで、プリムラは、水瓶を置いて、シンデレラの方へ歩み寄った。
「どう?そこに残ったわずかな数が本物。後は偽物」
「溶けてしまったの?」
「そうよ」
「この香りは偽物からするの?」
「そうよ」
 プリムラは、シンデレラを抱え上げた。
「もっとも、偽物があの女の役に立ったのだけど」
 プリムラはつぶやいた。冷たい顔だった。
「え?」
 その表情は冷たさを増していく。
「あなたに、良いことを教えるって、言ったでしょう?」
 プリムラは言った。
「これはね。毒なの」
「毒?」
「そうよ」
 プリムラは、優しく微笑んだ。かえってその笑みは残酷に感じた。
「秘密を教えてあげる。あなた、どんな顔をするかしらね。フフフ」
「結構よ」
 シンデレラは、身じろぎした。プリムラの腕から逃れようとした。
「あら、逆らう気?あなたの持ち主は私なのよ?それならこうしてやるわ」
 プリムラは、いきなりシンデレラを放り投げた。
「……!」
 床に叩きつけられて、シンデレラは痛みに顔をしかめた。
 ふんだんに布地を使ったドレスの裾が、あらかたの衝撃を吸収してくれた。が、叩きつけられた上半身や、ガラスの靴を履いた足がひどく痛んだ。
 プリムラが歩み寄ってくる。
 シンデレラは、ふと、時計を見上げた。
 11時30分をさしていた。
 シンデレラの顔色が変わった。
「いけない!」
 シンデレラは立ち上がり、駆け出した。ガラスの靴のことなど忘れた表情で。化粧室の扉は閉められてはいなかったので、彼女はやすやすと部屋を駆け出て行った。
 その突飛とも言える行動に、プリムラは驚いた。
「シンデレラ!お待ち!」
 黒いドレスを翻し、彼女の後を追う。


 亡くなる前に父様が言った。
「フロラ。この城を守りなさい。そうすれば、いつか、必ず」

「日付が、変わってしまう!」
 真っ青になって、シンデレラは駆けた。化粧室を出て、右へ曲がり、突き当たりを左に折れると階段室が見えてくる。目指すは城の塔の最上階。
 間断なく沢山の何かが突き刺さる自分の足のことなど、取るに足らないことだった。
 間に合わなくなる!
「シンデレラ!」
 後ろを振り返ると、プリムラが恐ろしい形相で追って来ていた。
 あと少しで階段室。しかしすぐ後ろにはプリムラがいた。
「邪魔しないで!」
 これまでにない、血を吐くような叫び声を上げて、シンデレラは駆けた。ぐい、と、ドレスの裾がつかまれて後ろに引かれ、肩に手が掛けられた。
「離して!」
 シンデレラは、プリムラを突き飛ばした。
 壷の並んだ階段室の重い扉を閉め、シンデレラは一つの壷の中から、美しい金の鎖につけられた扉の鍵を取り出して、施錠した。
 早くしなければ!

 父の声が聞こえる。
「フロラ。この城を守りなさい。」

 シンデレラは石の階段を駆け登った。ガラスの靴を履いた足が、不思議に、生ぬるい水気を帯びていた。白いドレスの裾のあちこちに深紅の薔薇の花びらのような点々がつき始めた。
 長く、幾重にもなった裾が、走る足の邪魔をする。
「!」
 階段と裾を一緒に踏んでしまい、シンデレラは体勢を崩して、石段に向こうずねをしたかに打ち付ける。が、構わず立ち上がって、再び駆け上がる。
 急がなければ。



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