シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

33 逃亡

 部屋が静かになった。シンデレラは、衣装部屋のドレスに隠されていた体を、わずかに乗り出した。
 包帯を巻かれた足が、動きにしたがって痛む。
 この部屋で何があったのだろう。さっきまで、聞いたことのない男の罵声と、召使いの笑い声が響いてきた。
 シンデレラは、ドレスの間から顔を出して、耳を澄ます。人の気配がない。物音ひとつ響いて来ない。
 今はどうやら、誰もいなくなったらしい。
「う……」
 四つん這いで、シンデレラは衣装部屋を出て行く。
 この部屋から出よう、と思っていた。
 プリムラがいない。ガラスの靴を持った召使いがいない。ならば、わずかに今は自由なのだ。
 衣装部屋を出ると、シンデレラは壁につかまって立ち上がった。
 右を見ると、寝台の枕元にある大きな窓から、月が見えていた。この窓の下は絶壁。逃げようがない。
 シンデレラは、左前方にある扉に向かって歩き始めた。
 砕かれたように足が痛む。
 一歩踏み出すごとに、脂汗がにじむ。
 しかし逃げなければ、
 逃げなければ、希望がない。
「父様、」
 シンデレラはつぶやき、懐に忍ばせている階段室のカギを、衣ごしにぎゅっと握った。
 父の形見はこれだけしかない。
 残りは、全て継母が処分した。
 父と眠った寝室も、父が亡くなって三日と経たずに母の衣装部屋に変えられた。父の思い出を共有できる召使いたちも全員が解雇され、見ず知らずの若い女たちに変わった。
 それでも継母の欲求は足りずに「残りの財産はどこにあるのか?」と言って、私を責めた。私はただ首を振った。研究熱心な父の宝と言えば、研究の成果しかない。それならこの城で全部だった。答えない私に、やがて継母も納得せざろうえなくなった。実際、城と退職金と恩給とわずかな原稿料以外には、どこを捜しても何も出なかった。父の財産は、彼自身の頭に蓄えた知識だった。
 シンデレラは部屋の扉を開けた。
 扉を開け、しんと静まり返った廊下を見て、痛いほど悟った。
 ここは、もう、あの母子の城にされてしまった。
 もうここにはいられないのだと。
 私は、偽真珠一箱で継姉に買われた。それで、これから先の暮らしは決定した。部屋に閉じ込められて、継姉の玩具にされるのだ。おそらくそれは若いうちだけで、ある程度の年齢になったら、捨てられるのだろう。
 シンデレラは首を振った。
「違うわ。その前に、城が崩れる」
 父様がそう言っていた。たった一日でも調整を怠ると、城のどこかが崩壊する。調整を行わない日数だけ、どこかが崩れていき、やがて城が崩壊する。
 継姉に買われ、部屋に閉じ込められる以上、もう、からくりの調整はできない。
 ならば、ここにはいられない。
 父様との約束を守るためにここにいたのだから。
「いつか、迎えが来ると父様は言っていたけど。それを待たずに、出て行かなければならなくなったわ。父様」
 シンデレラは足の痛みに耐えながら、ドレスの下の鍵を、強く握った。
「さよなら、父様。もう、城にはいられない。約束、守れなくなったの」
 廊下を壁伝いにじりじりとシンデレラは歩む。包帯からは血が染み出して、赤い赤い足跡を残していた。



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