万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


10

「姐さぁん、」
 夜の歓楽街の片隅、薄暗い路地裏で。
 生活安全部長とその部下たちは張り込みを続けていた。
 平服を着て見回っていた部下が戻ってきて小声で報告した。
「今夜も動きはありませんぜ。奴らめ、『この店は健全な恋人酒場だよ。兄ちゃん独りだな。そんなにモテねえのか?』ときたもんだ。……畜生、俺の武勇伝、奴らに自慢したかったけど、我慢したぜ」
「んもう、おとなしいことォ」
 部長は、はぁん、とため息をついた。
「いくら夜は長ァいとはいってもォ、セイシェル、こんなに焦らされると切なくなっちゃうゥ」
 並み居る部下たちの頬が一様に赤らむ。
 部長のいでたちは、相変わらず下にズボンもつけず下着一丁、上着の下から覗く白いシャツが長くなければ、彼女こそ取締りの対象だ。
「アタシ、いよいよオトリ捜査シちゃおうかしら?」
「止めてください姐さん、危険ですから」
「でもでもォ、」
 もうアタシ待てないィ、と、身をくねらせる上司に、部下たちは鼻息荒く申し上げた。
「でしたら、私たちが女装してオトリにでもなんでもなります!」
「気合で女を演じますッ!」
「姐さんのためなら、よろこんで男なんか捨てます!」
「……」
 セイシェルは「ああん、」とつぶやくと、つくづくと部下たちを見回した。
「アンタタチは、やっぱり、最高の下僕ね。んー、」
 手近にいた部下を引き寄せて、頬に口付ける。
 ちゅっ、と音がして、部下の頬にべったりと口紅がついた。彼は、「ふぅう、」と愉悦の声を漏らし、「……最強ッス、」とつぶやいて、後方に倒れて気を失った。
「!」
 他の部下達が顔色を変える。
「あああ姐さんッ!? なんてことをッ!」
「そんな勿体無いッス!」
「私たちは姐さんに身も心も捧げてますんで、そんなご褒美は不要ですよッ!?」
「あはん、」
 セイシェルは色っぽく髪をかきあげた。
「気にしないでん? アンタタチがアタシに色々捧げてくれるように、アタシもアンタタチに、ゼンブあげちゃうから」
「!」
 部下たちの多くが鼻血を吹いた。
 鼻血ではない場合、気を失って後方に倒れた。
 上司の甘い言葉はたいした破壊力だった。
 この夜、生活安全部はその機能を失ない、張り込みはそれでお開きとなった。


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