万の物語/二万ヒット目/北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


10

『ユキハ、』
『やめて』
 もたれかかる祐人を、雪葉は振り払った。
 少年を押しのけて無理に立ち上がり、口説きにかかった相手を見下ろす。
『累機衆が神社を護るの。その使命を、忘れないで?』
『真面目だなあ雪葉』
 祐人は、見下げた目で苦笑する。幼い子の意地張りを見ているように。
『累機衆の、僕が未来の主なんだよ? その僕に、君は愛されているのに』
『ねえ祐人』
 さえぎるように、雪葉が言う。
『お腹すかない?』
『は?』
 脈絡のない、……まあ生理的なものだから仕方がないこともないが、雪葉の問いかけに、祐人は言葉を失った。
『お腹すかない? だって?』
 問いを復唱してから、祐人は、ぷっとふきだした。
『なに言い出すんだよ! あはははっ! ははははっ! ははははっ!』
 祐人は笑った。ただ、おかしいという気持ちからだけではなく、少なくない嘲りが含まれていた。
『雪葉は、やっぱり……』
 笑いを収めて、見上げた祐人の瞳には、知恵のないものへの侮りと、異性への憧憬と、愛玩物に向ける愛情と、体の欲望と憧憬が、入り混じっていた。粘りのある熱い目だった。
『雪葉はやっぱり人間だな。ふふ。お腹が減ったなんて、可愛い。少なくとも、僕たち累機衆は、空腹なんておぼえはしない。眠らなくても生きていける』
 長の息子は、じっとりと笑った。
『そんな僕に、君は愛されているんだよ?』

「寒かった……」
 インテリジェの灰色の屋敷に、二人の賢者は入った。
 外観は石造りだが、中は艶やかに焼かれた竹材が用いられていた。
 暖かい南の賢者ノウリジは、両腕をごしごしさすって、寒さに声を震わせていた。
「うう寒い。こんな何も無い荒涼とした寒い場所の賢者やってるお前の気が知れん。ほんと寒っ」
 客を置いて、部屋を出て行こうとしていた主は、振り返って目を細めた。
「そうか。お前は氷水が好きなのか。火酒を振舞おうかと思っていたのに」
「今のは嘘ですぞ大賢者様。いやー、なんて素晴らしい住環境なんでございましょう! とっても! 星も空気もお美しくて。最高ですよね、ここは」
 即座にうやうやしい軽口を叩きながら、ノウリジは、赤々と燃える暖炉の前に座り込んだ。
「とはー。暖かーい。南にある私の家のようだよ。ここだけな。ここだけ」
「飲め」
 そこに火酒が差し出される。両手で持つくらいの大きさの紅い硝子の器に、なみなみと注がれて。
「おお……済まんなあ」
 ノウリジは嬉しそうに笑うと、ごくごくごくと酒を飲んだ。一気に空杯を作ってしまう。
「ふー。うまいっ」
 インテリジェは、眉をひそめる。
「世界中でお前だけだ。火酒を水のように飲み干せる者など」
「へへ。褒めてくれて感謝」
 ノウリジは、どっかりと暖炉の前に腰を据えて、火の光に珠をかざした。
「インテリジェ、今度は暖炉の火を借りるぞ。さて、どうなったかな?」
「ご執心だな」
 インテリジェが、右隣に腰を下ろした。
「そうとも」
 ノウリジは、大きくうなずく。
「私の最近の流行は、やっぱりこれ! そしてゆくゆくは、不思議の世界のユキハちゃんをこちらに招待して」
 紅い賢者は、顔をほのぼのとほころばせた。
「……一緒に、お茶を飲みたいなー、と思っているのだ」
 インテリジェは6割の苦笑と4割の微笑を浮かべた。
 友が少女に本気の恋情を抱いているわけではなく、おそらく純粋に可愛らしいと思っているだけだと、わかったので。
「そういったささやかな願いは、さっさと実現させた方が良いと思うがな?」
「わかってないね。インテリジェ君は」
 ノウリジは、片頬で笑ってみせた。
「ユキハちゃんは今忙しいのだよ。向こうの世界は不思議で、その上、今は大変みたいだからさ」
 くるりと目を動かすと、少しだけ企みのある顔になって、それでもさっぱりと笑った。
「それにな。何事にも、好機がある。私の印象を最上のものにするために、機会をうかがっているところさ?」
「好機……か」
 ふ、と、少し可笑しそうに笑ったインテリジェは、珠の中に映る世界を覗き込んだ。
 少年と、少女が、牢にいる。
「おや」
 紫の賢者は、首を傾げた。
「どうしたのだ? この二人は。囚われているようだが」
 インテリジェがたずねると、ノウリジは、渋い顔になった。
「どうもこうも。この不思議な世界は変で大変なのだ。俺にも理解しがたい。まあ、おかしな背景は置いておくとしよう。今のこの映像だけを説明しよう。この少年一人が反省すれば済むはずなのに、ユキハちゃんまで巻き込んでいるからこうなっている、という、無性に腹の立つ図なのだ」
 インテリジェは、嘆息した。
「説明を省きすぎだ。何を言っているのかわからん。どうして二人が牢に閉じ込められているのか、それくらいは説明しろ」
「うむ。では説明だ。ユウジンが愚かだから、一緒に行動していたユキハちゃんがとばっちりを受けたんだ。以上」
 離れろ疫病神ユウジンめ、と、ノウリジは毒づいた。
「よくわかった。なるほどな」
 それだけの説明で、インテリジェは納得したそぶりを見せた。
 かえってノウリジの方が、顔をしかめた。
「嘘つけ。こんなんでわかるわけないだろ?」
 インテリジェは片頬で笑って受け流し、ノウリジに意地悪く微笑んだ。
「しかし。あまり見守るだけだと、巫女の雪葉は幼馴染の祐人にそそのかされるかもしれないが?」
「大丈夫だよ。そうなる前に俺は向こうに行くね。あいつにはわたさん。ユキハちゃんは、ゆくゆくは私とお茶会をする娘なのだ」
「お茶会、な」
 北の賢者は、友の持っている火酒の瓶を取り上げた。
「ならば、これはいらんのだな?」
「いや待て!」
 慌てたノウリジは、インテリジェから瓶をひったくった。
「それはそれ、これはこれ。……今は火酒が、一番好き」
「ふ」
 神妙な顔の紅い酒豪に、屋敷の主は、おかしそうに笑った。
「珠の中を見ながらの怒り酒は不味かろう? しばらくは酒に専念したらどうだ?」


←戻る次へ→

万の物語 作品紹介へ inserted by FC2 system