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北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


23

「答えが出たな。国主よ。……さあ、それが真のお前か?」
 インテリジェは、紫の中にいた。
 物皆、紫の中だった。
 白い新殻衛兵も。
 黒い累機衆も。
 雪葉も。
 祐人も。
 インテリジェが、腕に抱いた雪葉を見下ろす。
 雪葉はうなずいて、左手を、累機衆の長に伸べた。
 累機衆の長は、黒い粒を雪葉に渡した。
 祐人、いや、国主は、黒い粒が、今まで父だと思っていた者から、幼馴染に渡るのをぼうぜんと目で追った。まるで、自分の命がやりとりされているのを、見るかのように。
『ユキハぁ……』
 褥(しとね)から愛人を呼ぶような、倦んだ粘り気のある声で、国主は少女を呼んだ。
 しかし、少女は首を傾げた。国主の声が、言葉なのか、それとも単なる音なのか、判別できない様子で。
 国主は、絶望の穴底から助けを求めるように、雪葉へと精一杯に手を伸ばした。
『ユキ葉、ワタシのそばにいてくれ。雪ハよ、ユキ葉、ユきハ』
「発音がなっていないわ。国主」
 国主の声から、自分の名を、どうにか聞き分けた雪葉は、ため息をついた。
「私は祐人に、生まれた時から、ずっと言い続けてきた。累機衆は姿形をどのようにでも変化させられる。でも言葉だけは違う、と」
 雪葉の黒い瞳は、悲しくかげった。
「あれほど言って聞かせたのに。どうして、わかってくれなかったの? 最後まで……」
『ユキハ?』
 雪葉は、わからない、と、首を振る。
「何を言っているのかわからない。祐人。……最後まで、あなたは幻のままだった。人の言葉を覚えきれなかった。人としての五感を持つこともなかった。人に戻らなかった」
 主上、と、小さくつぶやくと、巫女は主の胸に顔をうずめる。
『ユキハあ……、ユキは、どうしてだよ? どうして他のオトコのとこにいるんダよお? お前は、ボクの恋ビトだろ?」
 国主は、熱にうかされたようにつぶやきながら、恋してやまない少女の方へ、おぼつかない足取りで近寄ろうとする。
 自分の隣に、引き戻すために。
 しかし、少年の目前に、白い者が立ちふさがった。
『?』
 研ぎ澄まされた刃のように鋭い目で、少年は睨まれていた。
 白柳だった。
「国主よ、片腹痛いぞ。まだ、わかっていないのか?」
 白衣の壮年の男は、失笑した。言葉は、あざけりの色を増して続く。
「主上は、主上の巫女雪葉を貸してまで、国主、お前が約束を守られる道を敷いてくださった。お前が、お前の言うような生き方をできるように」
 インテリジェは、わずかに眉を上げて壮年の男を一瞥し、腕の中にいる雪葉の黒髪をなでた。
 祐人は、白柳の言葉を聞くと、記憶をたどるようにして、紫の青年を見た。
 そんなことをされただろうか? よくよく思い返すが、わからない。雪葉を手に入れたいという欲望で、心はいっぱいだったから。
「わからない……か。国主よ片腹痛いぞ」
 白柳は、失笑した。
 言葉は、あざけりの色を増して続く。
「巫女雪葉は、累機衆の長が心配するほどに、お前に肩入れして、国主、お前が約束を果たせるようにしようとした」
 祐人は、白柳の言葉を聞くと、記憶をたどるようにして、紫の青年に抱かれた雪葉を見た。しかし、それよりも、自分の物であるユキハが青年の手にあることに憤りをおぼえる。
「わからない……か。国主よ片腹痛いぞ」
 白柳は、失笑した。
 言葉は、あざけりの色を増して続く。
「累機衆の長は、私があきれるほどに、お前を息子として育てようとした」
 祐人は、白柳の言葉を聴くと、不機嫌になった。
「あなたに言われるまでもない。長と僕は、親子だったのだから。息子として育てるのは当たり前だ」
 白柳は、失笑した。
「わからない……か。もういい」
 白柳は、紫の賢者を鋭く見た。
「主上、」
 インテリジェは静かにうなずいた。
「よい。落とすと決めた」
 白柳は目礼した。
「御意のままに」
 白柳の言葉により、世界が、緊張した。
 白い衣の壮年の男は、地下を進むように低い声音で少年に言った。
「私は、新殻衛兵の長、白柳」
「え!?」
 祐人は、耳を疑った。
「新殻衛兵の、……長!? 敵の長だって!?」
 ぎょっとした祐人の問いかけを許さずに、白柳の言葉は続く。
「我々新殻衛兵は、この星を護ってきた。国主、お前は我々を敵と信じてきて、そして今も信じているようだが、」
 抑えてはいるが、誇りに溢れた笑みがじわりと浮かんだ。
「我々こそ、星を護ってきた。お前が、知恵の種よって毒漬けにした星の崩壊を、くいとめてきた」
 笑みを消し、剣をはじく鎧のように剛健な顔になって、白柳は低く告げる。
「この星を壊そうとした国主、お前が心を入れ替えて更正するのを願っていたが。しかし、無理だったようだ。生まれ変わったお前の成長そして生き方、それに賭けた我々の努力は、無駄に終わった。そして、今、主上が命を下された。なれば、星を護ってきた我々の役目は終わり」
「白、柳?」
 聞き手に配慮せず、矢継ぎ早に知らされる驚天動地の事実に、祐人は、激しい衝撃を受けて、あえいだ。
「そ、……そんな……そんな、」
 ぶるぶる震えながら、ひどく緩慢に首を横に振る。
「なに言ってるんだよ、わからないよ。嘘だ。……うそだよ、でたらめだ……」
 助けを求めるように、少年は、青年の腕の中の少女を、すがるように見た。
「雪葉ぁ。助けてよ。白柳が、おかしいよ……?」
「祐人」
 雪葉は、しばし言葉を失った。滅びる寸前の憐れな命の残光に出会ってしまったかのように、悲しそうに目を伏せ、重く持て余す気持ちを、息をついて強いて整えた。
 そして、やっと少年を見た。瞳の中は辛そうだったが、それでも静かに。
「全部、本当なの。祐人」
 雪葉は、長く細く、息を吐いた。黒い瞳から落ちそうになる涙を、こぼさぬように。
 インテリジェが、少女の耳元にささやいて問う。
「情が、……移ったか?」
 黒髪の巫女は、ゆっくりと、どこか儚げにうなずいた。
「……はい」
 主上、と、つぶやいて、雪葉は紫の賢者を見上げた。彼だけに、落ちる涙を見せた。
「赤子のころから、共に育ちましたから。無垢な赤子の国主が、彼が言った通りに育ちゆくことを、期待しておりましたから。……私だけでなく、皆」
 インテリジェは、雪葉の涙を指でぬぐってやりながら、応じた。
「なるほどな」
「けれど……」
 雪葉は、消えぬ情けを振り切るように、目を閉じた。
 少女は、紫の賢者から、幼馴染の少年の方へ振り返り、目を開けた。
「祐人」
 少年は、震えながら雪葉を見た。
「雪葉ぁ……どうにかしてよぉ」
「祐人、」
 雪葉は、告げた。静かに。
「白柳……いいえ、私の父は、あなたの記憶が戻るように、絶えずあなたに働きかけてきた。周りの者が、そこまでしなくても、と、止めるほどに」
 静かな言葉と同じるように、しんしんと粉雪が降る。
「ずっと、あなたが生まれてからずっと、皆、言い続けてきたのに……祐人、どうして、わかってくれなかったの?」
 ああ、と、祐人はあえいだ。
「待ってくれ、待ってくれよ……。もう一度、もう一度、機会をくれ。今度こそ」
 涙をながして請う少年に、紫の賢者が問う。
「これ以上、求めるのか?」
 黒の累機衆が問う。
「お前は二度生きたのだぞ?」
 白の新殻衛兵が問う。
「人すべてを殺し、星を滅ぼしてもなお、自分だけよみがえって……累機衆となって生き続け、そしてなお、三度目の生を望むのか?」
 賢者の巫女が、首を振った。
「祐人、いいえ、国主……」
 もう、駄目だ、と。
「……そんな……」
 言葉を失う国主に、賢者は言った。
「知恵の種を、そなたの星に降らせた。それは私の罪だ、謝る。心の弱いそなたは、知恵の種を悪用した。それも、私が、この星に種を降らせなければ起こらなかったこと。それも私の罪だろう」
 インテリジェはいったん目線を下げて、また、しかと国主を見据えた。
「しかし、償いは、した。かつて国主だったそなたが誓った通りに生きるのであれば、再び命を与え、星をやると。だがそなたは……変わらなかった。物としての約束の生も、前と変わらなかった」
 祐人は、雪の上に膝をついて、請う。
「お願いだ……もう一度機会をくれ。今度こそ僕は、僕は、」
「もう一つ」
 紫の賢者は、言った。
 初めて感情を見せた。
 怒っていた。
「私の雪葉に無体な真似を」
「え?」
 祐人が何か言う前に
「許さん。皆、帰るぞ」
 雪葉を抱いた紫の賢者は、それだけ低く言うと、星から消えた。
「かしこまりました主上。北の屋敷に戻るぞ皆」
 長の指揮の下、累機衆の黒い姿も後を追って消えた。
「御意。星を護る任務は終了。皆、長い間ご苦労だった」
 長の指揮の下、新殻衛兵の白い姿も後を追って消えた。
 雪雲の下、少年独りが厳寒の地に残された。
「……え?」
 呆然と、ただ独り。
 少年は、賢者の、最後の言葉を心の中でそしゃくした。そして、叫ぶに至った。
「ええええ!? なんだよそれ! 心狭すぎないか!?」
 しかしこの星にはもう、祐人以外に、人はいない。
 もう、情けをかける必要は、本当になかった。


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