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人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


34

「なぁ」
 独り、ぽつんと立つ卯月が、賢者と巫女のどちらにというわけでもなく、声を掛けた。
「もしか、雪葉はあそこに戻んのか?」
 インテリジェが長く長く息を吐き、紫の髪を数度かきやった後、低い声で応じた。曇り空のように不機嫌そうなのは、質問されたということが原因ではなく、答えが示す事実の方だった。
「ああ」
 卯月はそれを聞くと、彼女にしては珍しく弱った表情になり、肩をやわやわと揺すって、目線をふらふらとあっちこっちにやった。口にすべき言葉に迷っている様子だった。
「それって、……今からか?」
「ああ」
 卯月は眉間に深いしわを掘り下げた。
「なぁ。もうちょっと、待ってくんないか?」
「なぜだ?」
 少女は、腹の中にたまった息を、まるで石を吐くように重く出した。
「あのさぁ、あたしさぁ、友達と約束してたんだよ。ここ、公安に行くようにって。そんで、『時間になったら』公安の人間を呼んでくれって頼まれてんのな?」
 インテリジェは、茶色のバサバサ頭をじっと見つめた。
「……ほう?」
 見つめた後、「面白そうだな? しかし私の趣味ではないが」と、つぶやいた。
 意味不明の独り言が耳に入り、卯月は顔をしかめる。
「何言ってんのかわけわかんね。……なぁ、あんた神様だろ? なんでもできんのかよ?」
 今度は、北の賢者が顔をしかめた。
「私は神ではない。神など、世界にはいない」
 しかし、卯月は言い募る。
「でも、あんた、神様って呼ばれてるんだぞ?」
 インテリジェはそれを聞くと、ふん、と、鼻息を吐いた。
「何が神だ。神の定義など、そこここに満ち溢れている。そしてそのどれもが、神ではない」
「あのさ。わかんないから、そういうの。あーもうなんでもいいや」
 卯月は、「神」の言葉を遮った。
「なぁ。それよかさ、すぐ行くのやめてくれよ? 今すぐだとさぁ、ミマが困るんだよ」
 そして、少女になった雪葉の方を見て、彼女にも頼む。
「あんた、じゃなくって、雪葉ぁ。雪葉とあたしが約束する前に、あたしはもうミマと約束してたんだよ。だから待ってくれよ」
「そちらの約束が先だったのか?」
 尋ねたのは、賢者だった。雪葉は何も言わずにただ静かに立っている。
 卯月はうなずく。
「あー。そうなんだよ。だからちょっと待ってくれよ」
「雪葉、どうする?」
 インテリジェは、彼の物に訊いた。
 雪葉は、風に揺れる百合のようにきれいに微笑んだ。そうして、首を振って卯月を見た。
「すぐに、ではないの」
 それを聞いた卯月は少しだけ表情を明るくする。
「ほんとか?」
「ええ。本当」
 賢者のすぐ側にいた巫女は、少女の方へ歩んだ。床の上を、素足で。
「だから。あなたはあなたの約束を守って。守れるわ。私は、私のすることをするから」
 卯月の前に来て、雪葉は振り返った。
 主を見上げて、しとやかに笑った。
「おいとまいたします」
 避けられぬ宿命に直面したかのように、やるせない様子で、主が答えた。
「……行ってこい」
 雪葉の姿が消えた。まるで夢の終わりのように。
 それを見届けて、主の姿もこつぜんと消える。最初からいなかったかのように。

 卯月は顔色を無くして、彼らが去る光景を見た。
 ぶるっ、と、身を震わせる。
「こわー。なんか、やっぱヒトじゃないのって気持わりぃ。出たり消えたり、こわー」
 そして、自分の右斜め前で、いまだに土下座している「物」にも、不気味ないちべつをくれた。
「なぁ、おっさんよぉ。あたしの言うこと聞けよ? あんたのご主人様も、それっぽい命令してただろ?」
 セイシェルは、おもむろに顔を上げた。
 つくづくと、卯月を見上げる。
「……なんだよ?」
「ンバアァアァーッ!」
 セイシェルは奇声を発しながら、土下座の姿勢からいきな跳躍して、立ち上がった。
「ぎゃーッ!」
 卯月は驚いて飛び上がった。
「バーバーァバーッ!」
「ぎゃーぎゃー!」
 なんのつもりか、彼は再び威嚇を始めた。
「うわー!? なンだよォ!? なんでまた叫ぶんだよー!?」
 卯月は、両腕で自分の頭を抱えて、まるでがけ崩れから頭を守るかのように、しゃがみこんで悲鳴を上げる。
「ンバァァァア! 嬉しいやら悲しいやらで、俺は今、もうれつに示威行動に走りたい気分なんだッ! そーれ、バァァァアァッ!」
 卯月の頭上に覆いかぶさるように、立って両手を前傾気味に上に伸ばしている。
「ほれほーれ! おじさんは恐いんだぞォーオ! 色んなオバケになれるんだぞーゥ!?」
「ぎゃーぎゃーぎゃー!」
 そこに、ウヅキが虹の珠を手にして戻ってきた。
「あっ! 機動部長!」
 騒ぎを聞きつけて、叫び声を寄越す。
「……ちょっと! 何やってるんですか!? セイシェル部長!」
 恐慌状態に陥っている卯月は、向こうから、気絶した男たちの体を避け避け帰ってくる青年に向かって、悲鳴を上げる。
「わぁぁ! ウヅキッ、助けてくれよォ!」
 彼女の前では、さっきまで萎れて(しおれて)いた男が、勢いを取り戻して小躍りしている。
「ベーつにィ? へへーだ。俺、もう恐いもんナシだもんねェ!」
 そして、先ほどと同じような、オヤジと青年と少女とのやりとりが、再開するのであった。


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