しかし、「そんなこと」が多々起きるようになった。毎日のように。
母と道端で野花を摘んでいたら、散歩途中の老人男性が立ち止まった。にこやかに声を掛け、遠地に住む孫と同じくらいだと目を細めて……かどわかそうとしたこと。
屋敷を訪問した行商の若い男が、雪葉の母と、商い物の薬草の話をしていた。が、次第に、母の背後でそっと様子をうかがっていた幼い雪葉ばかり見るようになり、商いを止めて詰め寄り求婚したこと。
屋敷の外を通る男達が、庭で遊ぶ雪葉に目を留め、正体を失った顔で敷地に侵入したこと。
「我が娘雪葉に、何の用だ?」
それらの男たちに、父の白柳は、その白い鎧を月光に輝かせ、刃を閃かせて、厳しく言い放つ。
「不埒な思いゆえに訪れたのであれば、私が成敗してくれる」
神の持ち物たる白柳の怒りに触れ、放たれる殺気にうたれて、彼らの大半は退散する。そして正気に戻り、なにゆえあのような狂態をさらしたのかと、恥に苦しむ。
大半はそれで終わる。
残りは、白柳の白刃に倒れる。それでも、正気に戻ることはもうない
明らかに異常だった。人間の男が雪葉を目にとめるたびに、そんなことが起こる。幼い雪葉は何もしてはいない。愛らしい美しい娘ではあったが。それでも、全ての男を惹きつけるほど狂気めいた絶世の美貌ではなかった。また、いくらなんでも、幼女を偏愛する男性がこんなに多くいるはずがない。
危険を感じた両親は、4歳になった雪葉を屋敷内で、できるだけ外に出さずに育てることにした。何が原因でそうなるのかわからない。雪葉は普通の子供だ。どこもおかしくはない。
では何が、男たちをしてそうさせてしまうのか?
両親は、娘が何か悪いものに憑かれているのではないかと案じた。しかし、累機衆である母にも、新殻衛兵である父にも、娘からそんな気配を感じることはなかった。
娘は普通だ。他の子となんら変わらない。
だからこそ、わけがわからなかった。
「雪葉のこと、主上に相談してみようか」
言い出したのは、雪葉の父、白柳だった。
それは雪葉が5歳のころだった。幼な子は、「物」である両親や彼らの「女の部下」に囲まれ、屋内で育てられていた。
任務を終えて、北の都にある自宅に帰った白柳は、部屋の北奥にある部屋の引き戸の前に正座する妻を見つけた。
暗い屋内を歩いて、そこに至り、夫は、座する妻の右横に立った。
低い、抑えた声で、聞いた。
「雪葉はどうしている?」
「塗籠(ヌリゴメ)の中に戻しました。今日は久しぶりに、少しだけ外に出してあげたのです。魚を見たいといったので、庭に連れて行きました。池のほとりで、錦鯉を見させました。……生垣の向こうを歩く男が、雪葉を見てしまったようで、」
妻の返答も、ひどく静かな抑えたもの。内心の緊張を、それほど固く隠していた。
「……そうか、」
そのあとは、妻が言わずとも察せられた。おそらく、男が生垣を乗り越えて、雪葉に近づいたのだろう。その男の素性など誰だろうが構わない。「誰であれ人間の男なら」そうなるのだから。
「やはり、か……」
努めて平静を装おうとしても、声は沈む。
塗籠とよばれる、密閉された部屋にいる娘。外に出ている方が、珍しいほど。出られる場所と言えば、四方を屋敷に囲まれた中庭のみだった。両親は我が子が哀れでならなかった。病弱というならわかる。四肢が不自由であるなら、親がなんとかしてみせよう。ありがたいほどに五体満足で生まれた子だというのに……。
「主上に、相談してみようか?」
白柳は妻に言った。
「いいえ」
柏陽は首を振った。
「いいえ。雪葉はわたしたちの子供ですもの。私たちで守りたい。私は、雪葉がいれば何もいらないのです」
白柳は、黙ってうなずいた。
親として、出来うる限り、いや、子の命がある限り、我が手で庇護したい。
それに。なによりも、二人が仕える紫の賢者に、柔らかな情があるとは思えなかった。彼の大いなる手に握られた星の命運、数多の命の塊を、ああも無情に葬れる彼に。命を物に変える彼に。紫の青年に仕える者たちは、賢者自身は否定しているが、その神らしい情の無さに惹かれて集ったのだ。まさに自然の摂理、物の理そのものの、何にも囚われぬ無常さに。
だからこそ、あの神にだけは、愛する我が子の命運を委ねたくなかった。
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