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五万時空の神隠し〜言霊の娘〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


 そのときからだった。
 昼間なら、雪葉の瞳は、そう、「瞳」は、今までどおり、人間の男しか狂わせない。夜になれば、日の光が消えれば、彼女の瞳は、全ての男を、狂わせ始める。
 雪葉は、塗籠に内と外から鍵を掛けて過ごすようになった。
 男たちのためだった。彼らを狂わせないためだった。自分の内心では、外を見たいという欲求が荒れ狂っている。……非道を承知で望めるなら、狂った男にこの体をくれてやってもいいから、……外が見たかった。
 夜。
 塗籠の中から、悲痛な声が聞こえてくる。
「開けて、ここを開けてください」
 雪葉だった。
 眠りに落ちると、抑えられていた欲望が顔を表し、夢うつつの雪葉が「外を見たい」と懇願するのだ。
 内に掛けられた鍵をいくつも開く音がして。錠前を外す音、それら金属製の物が木の床にゴトゴトと落ちる音がして、
 塗籠の引き戸が、ガタガタと揺れて訴える。
「開けて、ここを、開けてください、」
 外からも鍵が掛けられていた。雪葉の願いにより、父母が厳重に施錠したものだった。
「開けて、ここを開けて」
 封印された魂のように。
「お願い、外が見たいの」
 引き戸が、少女のこぶしに叩かれて悲鳴を上げる。
「開けて、お父様、お母様、」
 娘の両親は、戸に背を預けて座している。
 悲しい振動に、目を伏せて。
「開けて、開けて」
 朝まで続く、悲しい音。
 両親は子供の哀れさに言葉を失い、希望を失っていった。
 
 ある朝、塗籠から出てきた雪葉は、父に聞いた。
「神は、罪深い私に罰をくださらないのでしょうか?」
 雪葉はつぶやく。手は、毎夜毎夜、引き戸をたたき続けたことより、青あざだらけだった。ほとんど眠れないために、顔色が青く、やせこけていた。
「この身の中に、得体の知れないものが流れていくのです。神は、どうして私という存在を見逃すのでしょうか?」
「神はそのような者ではない」
 父が即座に否定した。これは事実だった。
「いいか、雪葉、神は罰をくださないのだ。存在を肯定も否定もしはしない」
 続く夫の言葉に、帰っていた柏陽も同意してうなずいた。
「そうですよ雪葉。そのようなことを言ってはならないのです」
 両親の言葉に、雪葉は瞳をふせた。
「罰をいただけないのなら、では私は……。このまま生きるしかないのですね?」
 死ぬまで。


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