杖を「盗まれる」ところを、小さなシナーラは見ていた。
彼女たちは恐ろしい魔法使い達。力も強い。情けを知らない。己の好奇心をただ満たすことだけが、生きる目的。
小さなシナーラは、こわくてこわくて、ただ見ていることしかできなかった。机の下に隠れて。
まるで、他愛の無い遊びをしているように、彼女たちは「母の大切な杖と水晶玉」を盗んで行った。
家を出て行く魔法使い達は、扉を閉める際に振り返った。
机の下に、がたがた震えて縮こまっているシナーラに、こう言った。
「これでアンタの母さん死ぬよ?」
「!」
「アハハハハ!」
「あらぁ? びっくりしちゃって! 私たちが気付いてないとでも思ってたんですの!? 子供はカーワイイわねぇ? ホホホホ!」
「じゃあねえ! アタシたちまで信じてくれる清らかなハール様に、よろしく言っててね! くたばれって!」
母への冒涜(ぼうとく)の言葉に、それまでただおびえるばかりだったシナーラの心に、怒りの炎が上がった。
……母さんを、馬鹿にしたわね!? 誰にでも優しくする母さんを!
「なによッ! ナラズモノ!」
シナーラは、机の下から這い出てきて、叫んだ。思い切り。今まで出したことが無いくらい、のどがヒリヒリするくらいの大声を出した。ナラズモノの意味なんて知らないけど、みんなが彼女たちのことをそう言ってる。母さんだけが「いらない人間なんて誰もいないのよ。どんな人でも、心の底は真っ白なのだから」って言って、彼女たちに優しくしてた。
あんたたちに優しくしてくれてるのに!
「あんたたちナラズモノでしょ! ナラズモノ! 泥棒!」
精一杯の大声で、体全体で憎悪を示した。彼女たちを睨みつけ、両足を広げて立って。
「……へえ?」
彼女たちの一人が、静かにまたたきをして、ほほえんだ。
「このガキ、失礼な奴」
バカ、と、一人がつぶやく。
「駄目よ手ぇ出しちゃ。アレいちおう白魔法使いの子供なんだから、怪我なんかさせたら、アタシたち王様に消されちゃうよ?」
「ハッハ! 命拾いしたね!?」
彼女たちは、殺気を放ちながら、さげすんだ笑いと視線とをシナーラに降らせた。
「ハールの出来損ないのガキ!」
冷たい言葉が、槍のようにシナーラの小さな心をえぐった。
白魔法使いとして名高い「桔梗の君」ことハールの一人娘なのに、シナーラは白魔法を全く使えない。
「お前捨て子だろ!? ダメガキ!」
「アハハハハ!」
「お前の母さん死ぬからな!」
「ハハハ!」
魔法使いたちは、派手な嘲笑と共に、桔梗畑を飛び去った。
シナーラは、歯を食いしばって、悔し涙を浮かべながら、空を睨みつづけた。
ナラズモノのくせに! 母さんから優しくしてもらってたくせに!
シナーラは、泣きながら、家の二階に上がった。
そこには、母が病でふせっていた。
「かあさん、」
そうっと扉を開けて、娘は母の部屋に入った。
「かあさん、」
もう一度呼びかけると、眠っていた母は、目を開いた。
「……シナーラ」
可哀想な母は、シナーラがそばに立つと、一生懸命に笑顔を作って、髪をなでてくれた。
「どうしたの?」
シナーラは、涙をぼろぼろこぼしながら言った。
「母さんの杖、盗まれちゃった」
「え?」
問い直されて、シナーラは、それまで我慢していた感情を吐き出した。
「盗まれたの! 母さんの杖! ユエとか、あのナラズモノたち
に」
「シナーラッ!」
激しい声が、返った。
驚いて言葉を失うシナーラに、やつれた母は恐ろしいほどのけんまくで言った。
「ならず者って誰のこと!? そんなひどい呼ばれ方をされる人間なんて、この世のどこにもいないのよ! なんてことを言うの!」
「でも、かあさん!」
聞いて欲しいと叫び返した娘を、母は厳しく制した。
「おだまりなさい! 母さんは、あなたをそんな酷い子に育てたおぼえはありません! 他人をおとしめる呼び方をするなんて!」
「聞いてよかあさん! かあさんの杖、取られたんだよ! かあさんにひどいこと言っていったんだよ!」
「どうしてそんなに、意地の悪い物の見方をするの?!」
ハールは涙を落とし始めた。
「盗まれるはずがないでしょう? 私の杖を、白魔法使いでないユエ達が使えるはずがない。きっと、何か考えがあるのよ。病で桔梗畑を出る力の無い私のために、助けを呼んでくれるのかもしれないわ?」
「違うよッ!」
あまりにひどくて、母には伝えたくなかったユエたちの言葉を、母があまりに清いがゆえに、言わざるをえなくなった。
「『くたばれ』って、言ってたんだよ!?」
「……」
ハールは、言葉を失った。
しかし、動揺を見せたのは一瞬だけで、すぐに微笑んだ。
「シナーラ。母さんは、ユエたちを信じてる」
「な、なんでよかあさん!」
「信じてるのよ。ユエたちはきっと助けを呼んでくれる」
「かあさん!」
ハールは、娘の言葉を聞き入れなかった。
「信じてる。人間の心の底は、真っ白なのよ」
母は、ユエたちを信じて信じて、
やがて、自らの命の終わりを間近に感じたとき、絶望して、
人間すべてを恨みながら、死んでいった。
「母さん、死なないで!」
「シナーラ、シナーラ、ごめんね。かあさん、間違ってた。……なんて馬鹿だったのかしら。シナーラ、」
「母さん、」
「いいことシナーラ、人間なんか信じちゃ駄目。かあさんのようになる。人間なんか、人間なんか……」
「母さん? 母さん、母さん!」
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