「あれえ……? ここ、どこだ?」
二人は、ルイルの足音を追いかけて行っているはずだった。のだが、これがあまりにも大きな音だったので、城のあちこちに反響して、どこから聞こえるのかまったくわからなくなってしまった。ほうぼうを歩き回っているうちに、どこから来たのか忘れてしまった。
それは「迷った」という状態で。
カイは、まずい料理を出されたような、げんなりした顔になっていた。
「弱ったなあ……」
明理沙は、一般論を口にした。
「ねえ、城の一番てっぺんはどうかなあ? 偉い人って高いところが好きっていうでしょう?」
だが、ううーん、とカイは頭を抱えた。
「そうなんだけどさ。実際あいつの部屋はてっぺんにあるんだけど。ただ、そこに行き着く道がわからないんだよ。入り組んでて」
「ああ、道順。……そうか」
どっかに階段はないかなあ? と、カイは、駆けながらあちこちを見回した。明理沙も探す。
「カイ。ほら、あそこ。変わった扉がある」
明理沙は、駆けている自分にとって左側の壁に並んでいる扉の中に、不思議な扉を見つけた。
「ええ? どれ?」
しかし、カイは首をかしげた。
「どれも同じ扉に見えるけど?」
「え? ほら、違うでしょ? この扉」
二人は、その扉の前に来た。
カイは、「他のと変わらないと思うけど」と、怪訝な表情だ。
「そうかなあ? 私にはね、この扉、霞がかかったみたいに見えるの」
まるで、湖の霧が忍び込んで来て、その扉にだけにまといついているかのようだった。その飴色の木造りの扉の表面には、ドライアイスを流しているように霧がたゆたっている。
そして、一瞬、なぜか懐かしいような香りがした。
明理沙は中が気になった。
「ここ、……開けていいかな?」
明理沙がカイに問うと、彼は首を斜めにした。
「いやー……、気が進まないなあ。あいつのことだから、何をしまってある部屋かわかったもんじゃないよ?」
明理沙が気が引けているカイを見返すと、彼は首をすくめた。
「幽霊でも出てくるかもしれないよ?」
「うん……」
自分よりもカイの言うことの方が正しいのかもしれないが、でも何故か、どうしても中が気になる。
一瞬漂ってきたあの香り。明理沙には、それが危険なものではない気がしたのだ。よく知っている香りだった。だからといって、楽しい気分になるとか、そんな香りでもなかったのだが。どこか埃臭くて古くて……そんな香り。
「カイ、でもやっぱり気になるの」
明理沙がそう言い募ると、カイは弱った。
「ううーん。まあ、見られて困るような所にはカギがかかってると思うし、万が一、危険なものでも入ってた場合は……一応、世界一の魔法使いだから、金糸の君が城の主なんだし、なんとかしてくれるかもしれないから……。明理沙がそうまでいうなら、開けてみよっか?」
「うん!」
明理沙は晴れやかな気分になった。心のどこかで、『ようやく会える』という郷愁にも似た感情が仄かに沸き上がった。一体どうしたことだろうか?
扉に手をかけると、霧に煙る扉は、難無く開いた。
部屋に満たされていた霧が、ふう、と扉の外に流れ出て来た。
そして、明理沙が感じた香りも。
少女はひかれるように、少年は恐る恐る、霧煙る部屋に足を踏み入れた。
「本だ。……なんだ」
カイが、ぽかんと口を開いた。
そこは、広い書庫だった。教室4つ分はある。
「そっか。本のにおいだったんだ」
明理沙も、ぎっしりと本がつまった薄暗く広い室内を見回してそうつぶやいた。インクを染み込ませた大量の紙の香り。学校に漂う香り。妹の部屋に漂う香り。
「……」
なんとはなしに、焦げ茶色に艶めく木製の書棚の中にしまわれている本の一冊を引き出した。
なんて書いてあるのかわからない。だけど、この世界に来て、初めて地に足がつくような心地がした。やっぱりここも人の住む世界なんだ。こうして、言葉が文字になり、誰かに伝えるために、本になっている。そして、その本を、誰かが手にとって読む。本が詰まった、この部屋。
隣を見ると、カイも手近にあった本を取り出して見ていた。カイは目を見開いている。
「どうしたの? カイ」
カイは、書面からそう簡単には目が離せないようだった。見入っている。
「うん、」
返事があいまいだ。文字がわからない明理沙には、それが何の本であるのかさっぱりわからない。少年の真剣な表情に、これ以上声をかけるのもどうかと思ったので、明理沙は、挿絵のついている本はないものかと、本を読み耽るカイのそばであれこれ探した。
しかしどれも文字ばかりの本だった。図鑑でもないものかと見回したが、なかった。
カイは本から目を離さない。
この広い書庫で、お互いはぐれないようにと思ったから、明理沙は彼のそばにいたのだが、良く考えれば部屋の中に二人しかいないわけで、はぐれたらお互いに呼び合えばいいのだ。
少女はカイから離れて、ほかの本棚に向かった。
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