女子高生の異世界召喚「君こそ救世主?」物語
Magic Kingdom

歌帖楓月



48 ありがとうリディアス

 袖で涙をふき取り、シルディは岸に向かって歩いた。湖水は冷たく、そのせいか弱く吹いている風すら冷気を含んだものに感じた。 たぷたぷ、と、湖がさざ波を岸辺に優しく打ち付ける。しかし、水は褐色にごっている。 まるで木が流した血のようだ。
 今の私にできることはなんだろう? 
 手に持った水晶は一点の曇りもなく輝いている。彼の水晶玉をもってしても「置換の魔法」は使えなかった。こちらが術をかけるきっかけとなる言葉を与えれば、あとは水晶の力量によって魔法が発動するものであるにもかかわらず。ということは、私の言葉がただの音でしかないということなのだ。呪文にはなりえないのだ。
 ふうっと、シルディは息をついた。気分を改めてみた。
「湖岸の掃除と、祈ることはできるわね。それをしてみましょう」
 湖面を見つめて、そう結論づけたところで声が降ってきた。
「無茶をするものだな」
 表情のない声が呆れている。
 顔を上げると自分の前の水面の上に金糸の君が浮いていた。膝までの深さの湖に立つシルディは、彼を見上げる格好となった。
 金糸の君は、言葉を続けた。
「ここまで汚濁した状態では置換の魔法は使えない」
「あなたこそ何をしてきたの? まわりの空気が揺らいでいるわ」
 金糸の君は無表情の呆れ顔で、シルディは明らかに呆れた表情でお互いを見た。
 リディアスは本当にほんの僅かに肩を竦めて答えた。
「明理沙を連れて世界を渡って来た」
「呆れた」
「体調を崩したので休ませている」
 シルディは額に手を当てた。
「そりゃ、そうでしょうよ。なんて無茶をさせたの」
 まるで弟をいさめるような口調でシルディがそう言って相手を睨む。と、相手は、観念した様子で息をついた。
「彼女には見せておいた方がいいと思ったのだがな。負担が予想以上に大きかったようだ。気を付けたのだが」
「リディアスったら……もう」
 それ以上、言葉も出ない。大きな魔法を一体幾つ使ったのか知らないが、余人を連れて世界を渡ることができるのは彼くらいだろう。細心の注意を払ったには違いないだろうが……彼の口調だけ聞くと、近所をおざなりに連れ回したようにしか聞こえない。
「そう……。明理沙には良い経験になったかもしれないわね。ゆっくり休ませたげなきゃね」
「それで、君は何をしている?」
 今度は金糸の君がシルディに問う番だった。
彼女は肩を竦める。
「ご覧のとおりよ。湖をきれいにできないかと思って、置換の魔法を使ってみたけれど」
 ふっと、背後を振り返り、その変わらぬ風景を見て、肩をすくめた。
「駄目ね。魔法の規模や程度以前の問題ね。そもそも、私には力がない。やれやれ!」
 自嘲を込めているがさっぱりした口調でそう言う。
ばしゃばしゃと歩を進めて、シルディは湖岸にたどり着いた。
「そんな今の私にできるのは、掃除だけ! ええ頑張るわよ?」
 腰に手を当てて、湖を見、炭化した倒木の山を見た。
「シルディ。一緒に来い」
 静かな呼び声に振り返ると、リディアスが左手をこちらに差し出していた。
 シルディはすたすたと歩み寄って、リディアスの左腕に抱えられた。リディアスの肩に右手をかけた。
「汚れるわよ? リディアス。ご覧なさい。私の服はお茶に浸かったみたいな色になってるから」
 リディアスはそれには返答せずに、ゆるやかに上昇する。シルディを連れて。

「そうだ。ありがとう、水晶玉。今回は役に立たなかったけど」
 はい、と言ってシルディは水晶玉を主に返した。
 それを受け取って、彼は、全体が見渡せるようになった湖を見た。
「なるほど。湖が茶の色だ」
「でしょう?」
 湖の中央に浮かぶ、沈思の森のあった島は、黒褐色。まるで死の色だった。それが染み出して、湖の色が病んだように変じていた。
 リディアスの右手にあった水晶玉がふわりと宙に浮かんだ。
「元に戻す気はないのじゃなかったの?」
 シルディが瞬きをしつつ首を傾げると、リディアスは一つ瞬きをして彼女を見た。
 お互い、無言で見つめ合うこと数秒。
「ま、いっか」
 シルディはそう言って言葉を引き取った。
 空に浮かぶ水晶が、雲に隠れた太陽の光にてらりと反射するように輝いた。それは白銀の光、次に青空色の光を放った。

 ここに落ちたる無辜の湖
 混じりし罪の残滓を陸と交じわらせたまえ
 生い立ちたる緑
 ひとの心の折りを見せる魔法の木々
 この大地に降り立ち
 同胞の死を悼みたまえ

 言葉を紡ぐ金糸の君の傍らで、シルディが指を組み、目を閉じて無言で祈っていた。

 大気を裏返すような波動と、太陽光を隠さんばかりの銀の光が一面に広がる。

 やがて、上空に水を含んだ風が吹きあげた。湖の香りを運んできた。まだ湖面にも島の上にも銀色の光が降りている。
金糸の君は静かに成り行きを見守り、シルディもそうしていた。
そして、湖の銀の光の中から息吹が上がるように、星屑のような輝きが天に昇って行く。
 それ、は、シルディの所までくると、ふと動きを止めて、くるりと彼女の周りを舞った。
「!」
 何を感じたのかシルディが目を見開く。星屑は彼女から離れ、天に昇っていった。笑い声が、星屑から響いた。赤子の無垢な声にも似た、マリモの笑い声。
 シルディの瞳から涙が落ちた。
「うん。また、会おうね」

 そして光が、潮が引くように消え、そこには透明な湖水をたたえた湖と、黒く生い茂った木々に覆われる島が、現れた。
「ありがとうリディアス、」
 シルディは顔を両の手で覆っている。涙があふれていく。肩が呼吸に併せて震えた。
「君には、妖精がなつくものな」
 静かな言葉に、シルディは返答しようとしたが、涙にはばまれてしばらく声が出ず、代わりに肩が大きく震えた。
「……うん。なんとかできないかと思ったんだけど……私じゃできなかった。夜は動けないあの子たちが、炎の中でどんな気持ちで死んでいったんだろうって思うと……、」
 ありがとうリディアス、と、シルディがつぶやいた。
 いたわるように、金糸の君がシルディを優しく抱き締めた。




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