プリムラは、化粧室の扉を開けた。
偽の真珠を溶かしたばかりのときには、室内は桃のような甘い匂いが立ち込めていた。しかし今は、むっとする鉄サビのような臭いに変わり果てていた。
「これで、もうおしまいね」
プリムラは嬉しそうに微笑みながらつぶやき、扉を閉め、鍵を掛けた。
次に向かう部屋は、決まっていた。
プリムラは歩きだす。いつか、口元にはかすかな歌声がのぼっていた。
「外はとてもいい天気。あなたの家を、出て行くの」
「遅いじゃないのっ!」
ローズは運ばれてきたケーキを引ったくった。切り分けて皿に取りもせずに、直接口に運んだ。召使いは、目を丸くして、その光景を見守る。
急いで食べ尽くさないと、誰かに奪われてしまうかのように、ローズは勢い込んでケーキをほおばる。
「ぶふふふふ!甘くって、とぉってもおいしいわん!おなかが空いたローズちゃんへのご褒美よーん!」
口に入れたものを飲み込む間もおかずに、ローズは次の一切れを口に詰め込んだ。
「ぶふふふふ!あ、そうそう」
ローズは視線をケーキから召使いへと移した。
「ねえ!あと2台持って来て!」
「え?」
召使は、仰天し、一歩後ずさった。
「2台って、あの、ローズ様、ケーキのことでしょうか?」
「当たり前じゃないのよーうっ!他にふさわしいものなんかないでしょっ!馬車2台持って来てどうするっていうのよっ!」
「でも、お言葉を返すようですけれど、もう夜も遅いですし……。美容のためにも、もう飲食は控えた方がよろしいのでは?」
「ぬわあんですってええ?」
バアン!と、ローズはテーブルを叩いた。残り半分になったケーキが、振動で一瞬、宙に浮いた。食器がガシャンと音を立てる。
召使いが、びくっと肩を揺らした。
ローズが親の敵のように睨みつける。
「こんなにかわいくって美しい私に、美容なんか、これっぽっちも必要ないでしょう?どこ見て物言ってるのようっ!あなたの目は飾りなのっ?いいからさっさと持ってくるのようっ!」
「は、はい!失礼いたしました!」
おろおろと召使いは駆け出す。言うことを聞かないと、今度は皿を投げつけられかねない。
召使いは、ローズの厳しい視線に追い立てられるようにして、扉に手を掛ける。
それは、勝手に開いた。
きょとんとする召使いの前に、立ち塞がる人影があった。
「どきなさい」
「プリムラ様!」
泣き出しそうな表情でプリムラを見上げた召使いだったが、プリムラはぞんざいに手を振った。
「邪魔よ。どきなさい」
ローズが向こうで癇癪を起こして、ドンドン足踏みする。
「早く持って来てって言ってるでしょおうっ!ケーキよケーキ!」
冷たくそれを見たプリムラは、召使いにささやいた。
「菓子類でも果物でも、あるだけ持ってきてやりなさいな」
召使いが駆け出ていき、無心になってケーキを食べるローズの方へ、プリムラはつかつかと歩いていった。
「どうだったの?プリムラ。あの殿方との逢瀬は?」
ローズがのっしりと腰をおろしている長椅子が、ケーキをかき込む動きに合わせてギシギシと音をたてる様を見下ろし、プリムラは尋ねた。
ローズは口の周りについたチョコレートクリームをなめながら、にまりと笑った。
「よかったわよーん!わたくし、あの方と恋に落ちましたの。まあ、あの方の一目ぼれから始まったのですけれど。当然よねん。私の美しさったら舞踏会一でしたもの!」
「そう。よかったわね」
プリムラはそう応じたきりで、口をつぐんだ。
ガチャガチャバリバリいう食器の音と、モリモリ食べる咀嚼音が響いた。
じっと、プリムラはローズを見下ろし続ける。
やがて、召使が数人で、ケーキを数台と焼き菓子の山と、あふれんばかりに大皿に乗った果物の盛り合わせを運んで来た。
「んまあー!なんなのん、これは!」
ローズは、飛び上がって喜んだ。
「気が利くじゃないのーん!あなたたちぃ!うふふふー!」
召使いの手から、つややかなブドウを左手で奪い取り、右手ではリンゴのタルトを一台さらって、ローズの表情は炎天下の氷菓子のようにとろけた。
テーブルにはケーキや果物が、山と乗せられた。リンゴの飾り切り、数種類のブドウ、完熟バナナ、紅のザクロ、櫛形に切られたオレンジからは果汁がきらめく。象牙色のカスタードクリームが滑らかに乗ったケーキにはワインで煮られた洋梨が浮かび、渋いほどに濃いチョコレートが張られた長方形のケーキにはホワイトチョコで繊細なブドウの図柄が描かれて金箔がきらめいている。そして香ばしいバターの香りのする焼き菓子たち。ふわりと、軽やかなリーフパイの香りが立ちのぼってくる。
ローズは、それらのものを、虐殺するように手当たり次第にフォークで突き刺して、吸い取るように口に入れていく。
「あなたたち。もういいから下がりなさい」
プリムラは、ローズの食欲を呆然と見ている召使いたちに命じた。召使たちは、そう言われて初めて、自分たちが我を忘れてそこに突っ立っていたことに気づき、恐縮した。
「はい!失礼いたします」
そそくさと召使いたちは去っていった。
プリムラは、妹を見下ろし続ける。
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