「フローレンス」
しずかに扉が開いて、王子が入って来た。
「?」
フローレンスは、クリスティーナから顔を上げて、扉の方を見た。
泣いたことで、頬を薄紅色にし、涙で濡らしたフローレンスを見て、王子は微笑んでみせた。
「あなたは、フローレンスだろう?私を覚えていないだろうか? 幼い頃にあなたと、王宮の建築現場で遊んだのだが」
濃い銀髪、薄い青紫の瞳、腕白な雰囲気のある笑顔を浮かべる、端正な王子。
フローレンスの記憶が、十年前の風景に溯ってつながった。
「王子、……ファウナ、いえ、ファウナス王子?」
王子は、輝くように笑った。
「ファウナでいいのだ。当たり。フロラ。……綺麗になったね」
フローレンスは微笑みを返した。よく覚えている。王宮の森で追いかけっこをしたとき、「フロラ!」と、後ろから駆けて来る声。
「王子も、素敵になられました」
王子は苦笑した。
「お互い、あのころは泥だらけで駆け回ったものな」
「ええ」
王子はフローレンスの方へ近づいてきて、ほほ笑んだ。フローレンスは、クリスティーナが化けた彼女よりも、ずっと透明な印象だった。深い青の瞳には、湖に息づく知性のような光があった。
「さて、」
クリスティーナは、フローレンスから手を離して、身を放した。そして、王子に向かって、気散じに吹き抜ける一陣の風のように笑う。
「王子。十年ぶりに、フロラに会えましたわね?」
王子も笑った。終わりの見えない坂を、上り切った表情をして。
「そうだな。会えた」
東の窓から見える外の風景は、明けたばかりの青空と緑、そして、太陽をあらわしていた。
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