「何を、知っているの?」
フローレンスは、よろよろと処置台を降りた。
「駄目だ。歩いては」
隣に立っていた王子が、フローレンスを抱き上げた。
「駄目よフローレンス!」
クリスティーナが叫んだ。
「その魔女のそばになんか行っては駄目! 王子、フロラを連れて行かないでくださいな!」
フローレンスは首を振った。
「クリスティーナさん、違うんです。プリムラだって、あの継母に」
そこまで言って、フローレンスは口をつぐんだ。
「何を言ってもいいのよ、フローレンス」
プリムラはが言った。他人事のように。
「減るものではないわ」
「いいえ」
フローレンスは首を振って、立ちつくす王子を見上げて、儚げに笑った。
「降ろしていただけます? 私、行かなければ」
「いいや」
王子は息をついて微笑み、フローレンスをプリムラの所へ連れて行った。
「恨みますわよ王子」
クリスティーナの暗く重い言葉が、王子の背中に突き刺さる。
王子が恐る恐る背後を振り返ると、射殺さんばかりの視線が目に入った。慌てて目を逸らす。
「さ、話すといい」
王子は、フローレンスをベットの上の足元辺りに降ろした。
「ありがとうございます、王子」
「そんなことはいいのだ。それより、後でクリスティーナにうまいこと言っておいてくれないか?」
王子を見上げると、彼の頬は薄青くなって引きつっていた。魔法使いに恐れをなしている。
フローレンスはうなずいた。
「はい」
「ああよかった」
フローレンスの返事に安心し、あからさまに胸をなでおろす王子を見て、フローレンスは微笑んだ。
と、その途中で、引き寄せられた。
「来て、」
プリムラが上体を起こし、足元に座っていたフローレンスを抱き寄せた。
これがないと寝付けない幼児のように、プリムラはフローレンスを強く抱き締める。
「プリムラ、やめて、」
強引な抱擁に、フローレンスはくぐもった声を漏らす。
王子は、それを見て硬直した。
「あ……」
「あなたのためにも、連れて行かない方が良かったのですわ?」
いつの間にか隣に来たクリスティーナが、憎々しい声を出す。
「魔女はこれだと思った相手を、確実にかどわかせるのです。それが、魔女がすぐさま殺される所以です。傾国の美女とは、魔女のことですもの」
王子は、油の切れたゼンマイ人形のようにぎしぎしと首を回して、クリスティーナの横顔を見た。
怒りで、魔女のこめかみには青筋が浮いていた。
「す、すまない」
王子の言葉も、クリスティーナの耳には入らない。刺すように二人を見て、凍りつくような言葉を漏らした。
「折りを見て引きはがしてやる」
プリムラはフローレンスの髪に頬擦りする。しかし、その途中で、プリムラは苦しそうに喘いだ。
「プリムラ?」
ふらりと傾いだ体を、フローレンスが支えた。
「駄目だよ、あまり動いては。ひどい出血だったじゃないか。安静になさい」
医師が心配そうに近寄ってくる。
「ここにいて、」
プリムラは、フローレンスの肩をつかんだ。フローレンスはプリムラの背中にそっと手を回して支えた。
「わかったわ。あなたは横になって」
フローレンスはプリムラの髪をすき、彼女の両肩を支えてベットに寝かせる。医師がプリムラの背に手をあてて、それを助けた。
「教えて」
プリムラのかたわらに座ったフローレンスは、彼女を見下ろした。
プリムラはフローレンスの右手を取って、口元に当てた。
「いいこと。あなたの父親はね、病気で亡くなったのではない。毒を盛って殺されたの。私の母にね」
「!」
フローレンスが凍りついた。
「やっぱり……。やっぱりそうだったの」
クリスティーナはつぶやいた。
ベットの隣、プリムラの枕元に立つ医師が、尋ねた。
「証拠となるものが、何かあるだろうか?」
プリムラはうなずいた。
「ええ。今なら、まだあるわ。私たちの住まいの化粧室にある。扉に鍵をかけて来たわ。その鍵は、どうやら断崖から落ちたときに無くしたみたいね。扉は、壊せばいいわ」
医師は重ねて聞いた。
「毒の正体が何か、知っているかい? どうやって、カールラシェル教授に毒を漏ったのかも、知っているだろうか?」
プリムラはうなずいて、医師を見上げる。
「毒は、魔女が自分の血液から造ったもの。造り方はわからないけれど、私の父がそう言っていたわ。見た目は真珠にそっくりだった。私の父は、それを私に託して死んだ。母は、それを盗んで、フローレンスの父に飲ませた。お茶に溶かして、10時と3時に出し続けた。毒は、酒に溶かせば急性毒になって速やかに命を断ち、水に溶かせば遅効性の毒になって、体を蝕んでいくの」
プリムラは、顔を覆っているフローレンスの手を取った。
「……フローレンス、そういうことなのよ。あなたたちの幸せな生活を奪ったのは、母と、私。母は毒を盛った。私は、知っていたけれど止めなかった」
フローレンスは、冬の冷雨に打たれたような表情で涙を流していた。しかしかすかに首を振った。
「十年前、あなたはまだ十歳の子供。止められなかったのでしょう? 止めたら、きっと、あなたは捨てられた」
「どうかしらね」
プリムラは目を伏せて首を傾げた。
実の娘を男に宛てがい、斧を突き立てるような女が、しないわけはなかった。
フローレンスは涙を拭いた。
「父のことは、……、言いようがないけれど。あなたを責めるのは違う」
実の母に殺されかけたにもかかわらず、プリムラは平然としている。子供がそうなるだけの、母親なのだ。
「馬鹿な子ね」
プリムラはつぶやいた。憂いを帯びた顔には、嘲笑も嗤いも、浮かんではいなかった。
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