シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

26 呪いを解いて

 二人きりで過ごして、二日経った。
 私が彼女に食べさせたものは、林檎、牛乳、パン、肝臓、野菜ジュース、ヨーグルト。
 私は大学を休んで、つきっきりで看ていた。
 二日目の夜、クリスティーナは言った。
「もう大丈夫よ。自分で食べられるようになるわ。坊ちゃんは大学に行って頂戴」
 私は答えず、別のことを聞いた。
「一昨日の魔女の他に、君を恨んでいる魔女はいないのか?」
 魔法使いは簡単に言う。
「沢山いるわよ」
「君は、自分で食べられるようになるらしいけど、ところで、動けるの?」
「なんとかなるわ」
 私は首を振った。
「なんとかならないだろう?」
 寝返りもやっとなのだ。
 未だに、彼女は床の上に転がったままでいる。なぜなら、不用意に動かして衝撃を与えると、もろく繋がっている色々な組織器官が、また損傷を受けるからだ。
「ということだから、私は、君が自分で動けるようになるまで、学校を休む」
「やめときなさいよ。うんざりだわ」
 彼女の言い方にも、まあまあ慣れた。
「私は、まだうんざりしていないからね」
 しらっと受け流す。
「今日はお休み。明日はもっと元気になっているね」
 私は、ベッドに入って眠る。
 同室にいないと、彼女に変化があった時にわからないし、何より、魔女避けの魔法がかかった私がそばにいないと、彼女に恨みを持っている不特定多数の魔女が、何をするかわかったものではない。
「ねえ、王子様」
 そんな私に、声が掛かった。
「どうした? 足りなかったか?」
 顔を上げて聞くと、クリスティーナは首を振った。
「いいえ。優しい王子様を見込んで、もう一つ、別のお願いを聞いては下さらないかしら?」
 私は起き上がり、床上の魔法使いを見下ろした。まだ身体を拭いたりできないので、最初に墜落した時のままだ。髪も肌も、乾いた血液でサビ色に染まっている。
「どんなこと? 君をどこかに捨てて来いとか、そういうのは聞かないよ」
 クリスティーナは感心した。
「なるほど。それも有りよねえ」
「だから、それは聞かないと言ってるだろう? 他のことなら聞くけど」
「そう」
 ひとつうなずくと、魔法使いは言った。
「私が、王の身代わりに受けている呪いを、解いて欲しいの」
「……呪い、だって?」
 初耳だが。
「掛けられていたのか? あの魔女に」
「そうよ。お陰で、身体の治りが悪くて、あなたがズル休みをする手助けをしているの。あらかた消したけど、さすが、年食ったババアの呪いだけあって、しぶといったらないわ。身体が元気なら消せるけど、そもそも、呪いの所為でこの身体よ。どうしようもなくて」
「どんな呪いだ? 私が何かできるのか?」
「できますとも」
 魔法使いはうなずいた。
「『王族を祟り殺す呪い』よ。あなたの身体を少し頂戴?」
「……」
 私は言葉を失った。
「命を差し出せとか、そういうのは聞けないぞ?」
「そんなこと言わないわよ」
 恐ろしい顔で睨み返された。
「では、何をくれと言うのだ?」
「髪の毛を一房。もう、それで成就して消えるほどに弱っているの。そうしたら、私も快復する」
「それなら構わないが。本当に快復するのか? そんなことを言って、また腹を裂いたりしないだろうな?」
 どうも信用ならないのだ。本当に自分たちの命をずさんに扱う連中だから。
 しかし、言った瞬間に、「お馬鹿さん」と、返された。
「好き好んで腹を裂いたり骨を折ったりする訳じゃないわ。仕事だからやってるの」
「そうだったな。……私たち王族は、君たちに感謝すべきところなのにな」
 私は正直にそう言ったのに、クリスティーナときたら、案の定、笑い出した。
「ホホホホ。馬鹿ねえ。そんな腰の低いことをしたら、私達に髪の先まで利用されるわよ?」
「難しいものだな。わかったよ。言動には気を付ける」
 私はベッドを降りた。
 魔法使いはニヤニヤ嗤う。
「今更、遅すぎるかもねえ。現に、あなたはこうして私を拾ったことだし」
 私は、眉をひそめながら、彼女のそばに膝をついた。
「……あんな姿を見たら、とても捨て置けないだろう。私は、」
 その先を、魔法使いが引き取って言った。
「王子様におかれましては、お医者様になられるために、ご奇特にも、王家からお出になられたのですものね」
 慇懃な物言いが勘に触った。
「馬鹿にしてるだろう?」
 聞くと、大仰な驚きが返された。
「呆れたわ。最初からずっとそうだったじゃないの」
「さすが魔法使いだな。こちらこそ呆れる」
 口では怒りながらも、私の心は明るくなっていた。
 彼女の話が、長く続くようになった。かなり、元気を取り戻してきているようだ。昨日は、ほとんど死んだ状態で、今日は、先ほどまで重篤な状態だったのに。よかった。
「で、私の髪を一房、ハサミか何かで切って渡せばいいのか? 魔法使いクリスティーナ」
「違うわ。坊ちゃん、こっちにいらっしゃい」
 魔法使いが手招きした。
「なんだ?」
「歯で噛み切るのよ」
 私は瞬いた。
「誰が?」
「私がよ」
「……そんな力が、もうあるのか?」
 さっきまで物を咀嚼することも呑み込むこともできなかったくせに。口に含んで眠り、次に食べる前に吐き出す、そんな、決して食べたとは言えない状態だったのに。
「また、歯が折れたりするのではないだろうな?」
「ぎりぎり大丈夫よ。もっと近づいてちょうだい」
 私は、言われるままに、クリスティーナの口元に頭を近づけるが、ふと気付いて、言った。
「そうだ、前髪は止めてくれ。みっともなくなる」
「そう。できるだけそうならないように、気を付けるわね。それで、私も言っておくことがあったの」
「なんだ?」
 クリスティーナは、私に銀の瞳を注いだ。真面目な顔をしていた。
「少し怖い目に遭うかもしれないけれど。私を信じていただける?」
「どういうことだ?」
「私は、呪いの成就のために、わざと身体を乗っ取られることになるの。でも、安心して? あなたの髪以外は持っていかないから」
 今更、何を言い出すかと思えば。
 私は、血でごわごわになっているクリスティーナの髪を撫でた。
「信じるとも。この二日間で、君を疑うことと言ったら、君が命を無駄にしやしないか、ということだけだよ。王宮魔法使いクリスティーナ」
「……そう」

 結果的に、彼女は嘘をついた。
 乗っ取られた彼女は、確かに怖かったが。
 そこは予告どおりだったので、どうでもいい。いや、怖いに違いはないが。
「憎い継子の子孫が! お前の命を寄越せ!」
 声が、すっかり変わっている。少女の声から、どすの利いた熟女のそれに。うちの侍従長に仕留められたあの魔女の声が、これなのだろう。
 乗っ取られた、いや、乗っ取らせた瞬間に、クリスティーナは豹変した。今まで寝たきりだったくせに、身を起こして私を組み敷いた。
 そんな力が、どこにあったのだ?
 ……どこにも無いはずだ。また、無理をして。
 馬乗りになり、私の首を絞めようと、勢い良く伸ばされた手は反れて、床に叩き付けられる。
 彼女が邪魔をして、逸らせているのだ。
「クリスティーナ!」
 たまらず、私は声を掛ける。
「無茶をするな、」
 呪いが、思うようにさせてもらえない悔しさで、クリスティーナの生えたばかりの歯をきしませる。床を、ぼろぼろの指が掻きむしる。
「この、小娘がッ! 邪魔をするんじゃないよ! 邪魔するなあッ!」
 苦しそうに首を振り、クリスティーナの両手は、彼女の腹にあてがわれた。
 どちらが、動かしているのだ?
 魔法使いが暗く嗤った。
「お前の腹、かき回して引きちぎってやるよ。そしたら、おとなしくなるだろうねえ」
 クリスティーナじゃない。
「やめろ!」
 私は彼女の両手首を握って引き寄せた。可哀想に、爪が剥げているじゃないか。
 彼女の笑みは、一層、悪辣になった。
「なら、お前の命を、寄越せ。私は、この国が生まれる前、最後に王妃だった魔法使い様だよ! わらわの命令だ!」
「断る」
 間近で見た、爛々と輝く銀の瞳は、クリスティーナであってそうではなかった。
 たがの外れた魔女以外の何者でもない。同じ体なのに、こうも見目が変わるとは。
「お前の首、食い破ってやる」
 白い歯をむいて、下品に嗤う。
 私は、そのざまを見ると、かえって悠然と笑い返せた。
「私は王族。私を守ると約束した魔法使いを信じている」
 フッフッフ、と、魔女が、せせら嗤った。
「小娘に何ができるっていうんだい。死にかけじゃないか?」
 私は失笑した。
「では、お前のような魔女に、何ができるというのだ」
「魔女なんかじゃないよ。私は、この国が生まれる前、最後に王妃だった魔法使いであるぞよ!」
 狂った残虐な嗤いが浮かんだ。
 掴んでいた手首が、乱暴な力で振りほどかれた。
 それは、私の肩を、害意をもって粗く捕まえ、無残に折れて血がにじむ爪を、刺すように立てた。
「お前の、価値ある首はねぇ、お前が信じる、このクソいまいましい小娘に噛み付かれて、死ぬまで血飛沫を上げるんだ。恨むんなら、自分が王族であったことを恨むんだよ」
「やれるというなら、やってみるがいい」
 私は抵抗をやめた。
「ヒヒッ!」
 魔女は、クリスティーナに狂喜の笑みを浮かばせた。
 そんな顔、少しも似合わない。
 人を小馬鹿にして、超然としていて、底意地が悪いくせに明るい。
 あのほほえみが、彼女だ。
 私は、王宮付き魔法使いを誘った。
「おいで、クリスティーナ。私は、君を信じている」
「信じるがいいさ。死んでも信じたままでいればいいさ」
 嗤いながら、クリスティーナが乗っ取らせた呪いが、私の首筋に顔を寄せる。
 怖くは無い。死にかかっていた彼女から睨まれた時の方が、比べ物にならないほど恐ろしかった。
 彼女の歯が、私の首筋に触れた。正確に、頚動脈を上下の歯がまたぐように。
「それで、私は、どこを噛み切ればいいの?」
「……」
 私は、息をついて笑った。
 声が、クリスティーナになっていた。
「耳の後ろのにしてくれないか? そこなら、ごまかしがきくと思う」
 悔しそうに、彼女の手指が動き、私の肩に爪をきつく立てる。しかしそれは床上に落とされて、爪を犠牲にしながら床をむしった。
「面倒くさい坊ちゃんねえ」
 耳のすぐそばで、吐息と、髪が噛み切られるクツクツクツという音が生まれた。
 そして、身を起こしたクリスティーナの唇は、たしかに私の髪を、一房含んでいた。
「く、ちおしい……」
 顔が苦悶に歪む。
 だが、それは速やかに、さながら、曇り空が晴れるように、消えていく。そして、魔法使いに戻る。
 クリスティーナは、咥えていた髪を、丁寧に指でつまんだ。
「謙遜は結構だわ。王族の尊髪をいただけるなんて。こんな成果、めったにないことよ。命以上の価値が、あったわね。本体は、とっくにジジイから始末されて、成果も何も無駄になっているけれど」
 もう聞こえてないでしょうね、と、私の上に乗ったままの魔法使いは可笑しそうに嗤った。
「クリスティーナ、」
 身を起こして、私は魔法使いを抱きとめる。
 絶対に、もう、力は無いはずなのだ。
 証拠に、彼女は私の腕にぐたりと身を預けた。
「はい。お返ししましょうか? 将来悔やむことになったら大変だから」
 髪を差し出して、軽口を叩く。
 口調だけが明るく、腕は指先まで、またぼろぼろになっている。
「いいよ。もう、いいから、」
 私は、なんというか、風化したミイラの腕を扱うように慎重に、彼女の腕を検分した。
「なんだよこの腕は。……この手は……。君は、やはり、嘘つきだ」
 涙が鼻から伝って落ちる。
「……絞め殺すわよ?」
 魔法使いの不機嫌に、私だって怒った。
「だって、そうじゃないか! 無理ばかりして! 死にかかってるのは、出会ってからずっと君の方だろう! さっきだって、やっぱり腹を裂かれようとしたじゃないか! ぎりぎり大丈夫なんてものじゃない!」
「大きな泣き声を出さないで頂戴。頭にうるさく響いて死にそうだわ」
 声が消え入りそうだった。
 私は怒りを引っ込めた。
「すまない、」
「謝りついでに、私を、このままで横にさせてくれないかしら?」
 私は、彼女を抱きとめたまま、横になった。右腕に、彼女の頭が乗る。
 重く苦しい息が、吐かれた。
 ……本当に、この呪いさえ解ければ、もっと早く治るのだろうか?
 肩が震えて、腹の中には何も入っていないだろうに、彼女は、吐しゃした。血泡が落ちた。
「また、歯をどうかしたんじゃないだろうな?」
 口の中に指を突っ込む。かけらがあった。
 横向きに寝せ変えて、背中をさすってやる。
 だが、本人が拒否した。
「さすらないで、吐きたくない」
「そうなのか?」
「腹の中身全部出るかもしれないわ。仰向けに戻して。もう放っておいて。坊ちゃんは、お休みなさい」
「気になって眠れない。君こそ休んだ方がいい」
「……」
 返事がない。
 彼女の鼻の前に手をかざすと、ちゃんと息をしている。首筋に手を当てると、なんとか脈は打っている。
 寝ている、ということにしよう。どのみち、私ができることは、もう無いのだ。
「お休み」
 私はつぶやくと、彼女の頭に腕を貸したまま、目を閉じてみた。
 明日の朝、本当に、彼女の言った通り「治りやすくなっている」ことを信じて。



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