「河に魔女がいるとか言っていたな。……狩りに行ったのだろうか」
彼女の仕事部屋に置いてきぼりにされた私は、家に帰ることにした。
ここにいろと言われたのだが、明日も仕事なのだ。そうもしていられない。
「魔女狩りが好きだものな」
私は、帰途に着きつつ、また、昔を思い出した。
王宮に帰ったら、例の魔女と狩るのだと、クリスティーナは、嬉々として話した。
朝食の席でのことだ。
「ジジイが仕留めたでしょうけれど、きっとまだ狩られてはいないわ。だって、これは私の仕事ですもの」
……何故、朝からそんな物騒な話を聞かねばならないのか。
「魔女狩りが好きなのか?」
浮かない顔で私は聞く。
言わずもがなのことなのだろうが。魔法使いときたら、一つも気分を害さずに、それどころか、聞かれるのを待ち構えていたというように、にっこり笑った。
笑顔だけ見る分には、本当に天女だ。内容が伴わないが。
「大好きよ。狩れば、相手から力から何から、全部自分のものになるのですもの。フフフフ……」
最後の方では、暗く黒く嗤っている。
「狩るという行為は、その、鎌とかそういった刃物類で刈るのか? それとも、狩猟のように、」
魔法使いは、顔をしかめた。
「そんな勿体無いこと、しないわよ」
「なんだそれは」
「食事の席で言うことじゃないわね」
それ以上、彼女は説明しなかった。
追求を許さない雰囲気だ。自分で話し始めたくせに。
それでも、まあいい、元気なのだから。呆れるほどに。
「王宮に戻れば楽しみが待っているなら、よかったな?」
あっけない死が当然という彼女たちの仕事だが、彼女にとっての楽しみが少しでもあるのなら、よかった。たとえ、それが恐ろしい魔女狩りだとしても。
「何を言っているの?」
しかし、クリスティーナは、不思議な顔をした。
「毎日毎日、隙間なく楽しいわよ?」
「……そうか」
それなら、周りが間断無く非常な迷惑をこうむっているのだろう。
想像して、暗鬱な気分になるのを抑えられなくなった自分に、魔法使いが別の話題を振った。
「ところで、お口に合ったかしら?」
朝食のことだ。
そうだった。最初に持ち出された話題が魔女狩りだったので、すっかり言いそびれていた。
「とてもおいしいよ。ありがとう」
正直、毎日食べたい。パンは手作りで絹のようなきめの細かさだし、野菜ジュースの材料の配分具合は見事だし、卵料理はとろける舌触りときている。
「それならよかったわ」
軽く微笑む魔法使いに、ふと浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「君たちなら、料理不要で栄養だけ摂取できそうに思えるのだが」
「おいしいのとおいしくないのだったら、おいしい方がいいでしょ? だから料理するの。おわかり?」
「よくわかったよ」
あっけなく解消した。
食事が終わり、クリスティーナは「必ず大学に行くのよ」と、念を押した。
「……君は元気そうだけど、もう王宮に戻るの?」
つい、そう言ったら、魔法使いは眉をひそめた。
「まさかとは思うけど、もっと居て欲しいとでも思っているの?」
「えっ」
私は、言葉を失う。
そして想像する。
このまま、一緒にいると、
きっと、
間違いなく、
……医師になるのに必要不可欠な「人間の脆さ。命の儚さ」についての感覚が、儚くも速やかに崩壊するに違いない。
とんでもない話だ。
冗談ではない。
わずかにでも、「別れるのが寂しい」、と、思ってしまった自分の蒙昧さに赤面する。
私は、襟を正した。
「いやいや。そもそも、私と君とは、生きる世界が違うのだったね」
魔法使いは、ほっとした顔で、しみじみとうなずいた。
「そうでしょう? お医者様の卵のお坊ちゃん。では、さよならね、」
出て行くのだ。大変な二日間だったが、終わったのだ。
「ああ。達者でな。クリスティーナ。そこまで送っていこう」
しかし、魔法使いは顔を曇らせた。
「すぐにでも追い出したい気持ちはよくわかるけど。私、……只帰りはしないつもりなのよね」
「何だ?」
首を傾げた私に、すっかり本来の調子を取り戻した魔法使いは、曇り顔のままで、回りくどい台詞を寄越した。
「一人静かに生きていたい孤高の私を、暑苦しいお情けで拾ってもらった迷惑なご恩は、不承不承律儀にお返ししておかなくては、と、思っているのよ」
つまり、
「お礼か?」
確認すると、魔法使いは不機嫌になった。
「簡単にまとめたわね」
「そんなに怒らなくても。お礼なんて気にしなくていいよ。というより、そもそもこうなったのは、君が私の父を助けてくれたがゆえなのだから。お礼を言うのはこちらの方なんだよ」
私よりも年下の魔法使いは、「呆れて頭が痛いわ」とつぶやいて、自分の額に手をやった。
「そこは私の仕事なの。だから、気にしないでちょうだい。仕事だからこそ、この後、きっちりと報酬をいただくつもりなのよ? これは仕事であって、善意ではないの。わかる? 本当に、坊ちゃんなんだから」
「それなら、それこそ、君は何も気にせずに帰っていいと思うのだが」
「お優しくて嫌になっちゃう」
私が言葉を重ねるほど、魔法使いは、どんどん不機嫌になる。
「もう話し合うのは止しましょう。殺意が湧くわ」
「そうか、それならしかたない。もう話すのは止そう。じゃあ、達者でな」
「勘違いされたら、困るの」
魔法使いは、私の襟首をつかんだ。
「何をする気だ?」
抵抗しようとするが、できない。
そのまま、ぐいと掴み上げられた。
「うわッ!?」
腕力が人間離れしている。
床から脚が浮きかけた私のことを一睨みして、魔法使いは言った。
「いらっしゃい」
いらっしゃいも何も、私は、首根っこを彼女に捕らえられているのだ。なすすべなく、寝室に引きずられていくしかなかった。
「まさか、クリスティーナ。また魔女に乗っ取られているのか!?」
侍従長が魔女をしょっ引いていったのと同じことを、私はされている。猫扱いだ。
「残念なことに正気よ。嬉しい?」
わずらわしそうに答える少女の細腕一本で、易々と。
「君を敵に回したくないな。心からそう思うよ」
恐怖のために冷や汗をかきながら言うと、魔法使いは嗤った。
「あら、ありがとう。ご希望通り、私は、あなたの一生の味方になるつもりよ」
言葉とは裏腹に、氷のように殺気立っている。
「だが、怒ってないか!?」
「そうよ。おぼっちゃまが、あまりにもわからないことを言うからだわ」
「わからないことだなんて、」
応対しながら、私は、どうやって逃げようかと算段した。
そもそも、彼女の意図が、何のつもりでこんなことをしているのかがわからない。
彼女が怒っているのだけは判明している。
「礼は要らないというのが、そんなに怒ることなのか?」
「礼は要らないという理由が、全くお坊ちゃんだから怒ってるのよ」
「礼ぐらいさせろということか?」
クリスティーナは、私の言葉に、非常に気分を害されたらしく、長大なため息をついて、金銀の髪をかきやった。
「……話し合うのは止めましょう、と、さっき言ったのだったわ。あなたは、いつまでもお坊ちゃんなことを言っていればいいのよ」
言い終わるや否や、彼女は私をベッドの上に投げた。
まさか、
泡を食った私は、何とか身を起こして叫んだ。
「私を篭絡して隷属させる気じゃないだろうな?」
「全く、この坊ちゃんはどこまでも! 私を誰だと思ってるの!?」
そんなことを言うが、私をまるで犬か猫を仕置くように、首をつかんでベッドに押さえつけた。
今すぐ命を奪いそうな冷酷な笑顔で、クリスティーナは私を見下ろした。
「悪いようにはしないわ。でも、おとなしくしていないと、くびり殺すわよ?」
「この状態の何処に、『悪いようにはしない』という表現が当てはまるのだ!?」
あの、呪い解消の時と、同じ体勢になっているではないか。
魔法使いは片頬で嗤ってみせた。
「もう一つ追加しようかしら。くだらない口答えをしたら、絞め殺すわよ? 貴方に拒否権はないわ」
横暴という言葉こそが当てはまる。
私は、肩をすくめ、諦めた。
「わかったよ。降参だ。好きにすればいい」
というか、抵抗や遠慮などしようものなら、この魔法使いは、ためらうこと無く有言を実行する。
「私は、君が元気になれば、それでよかったのだが」
どうせわかってもらえないので、私は、ほとんど独り言のように、彼女に小さく言った。
「本当にお優しいこと」
「君はそんなふうに言うけれど、私にとって、これは当たり前のことだ」
「喋っていては、やりにくいわ。黙って頂戴。ついでに目を閉じて」
……なにを、する気だろうか?
私は、言われた通りにした。
頭の中は「篭絡されやしないだろうか」とか「食われるんじゃないだろうか」とか、「絞め殺されるのかもしれない」など、物騒なことしか思い浮かばない。それは、ひとえに、彼女の傍若無人さがそうさせるものと確信する。
吐息が顔にかかった。
「動かないでよ?」
低い念押しに、神妙にうなずく。
同時に、「そうだ! 何かあったら侍従長を呼べばいいのだ!」と思いつき、少し気持ちが明るくなる。
「少し痛くなるけれど、我慢するのよ」
痛くなる、だと?
私は背中が寒くなった。
切られるのか、刺されるのか、縛られるのか?
不安のうちに、左手を、持ち上げられた。
中指に、柔らかいものが触れて、硬いものが当たる。
この、コツコツした触感は、
……歯だ。
「痛っ、」
指先を噛まれた。
反射的に動こうとした私を、魔法使いの声が冷たく制した。
「悪いようにはしないわ。目を開けないで。口も利かないで」
捕まれた左手、中指が、クリスティーナの肌に触れた。
最初に触れたのは、額だったようだ。私の指先で模様のようなものを描きながら、下へ降りていくようだ。
魔術的なことをしているのだ。私の血を使って、彼女の身に。
すっかり治った腹のあたりで、動きが止まった。
左手が、ベッドの上に、静かに戻された。噛まれた指先は、もう、痛くもなんとも無い。
私の腹の上に乗っていた魔法使いが、ベッドから降りたようだ。ベッドが小さく軋み、私は少し身軽になり、足音が聞こえた。
「まだ、動いたり目を開けたり話したりしては駄目よ」
足元から、魔法使いの声が聞こえた。
足に手が触れた。両手で包まれる。
両方の足の甲に、……口付けられた。
「はい、おしまい。いいわよ動いても」
「……」
足に口付け、というのは、魔術うんぬんでなくても、意図する所はわかる。
つまり、
「何をした!? クリスティーナ!」
私は飛び起きた。
ようやく理解した。
彼女が何をしたかを。
「何って、」
はだけた服の前を合わせた魔法使いは、額から首まで、私の血文字で彩られていた。おそらくそれは腹まで続く。
「隷属の魔法だろう!?」
こんなことを茶化されてたまるか。だから、相手より先に、言い当てなければならなかった。
昔話に聞いたことがあったが、実際を見たのは初めてだった。
しかも、私の血で。
その文字は、普通の字体ではないので、私には読めないが、きっと、「これは私の所有物だ」というような意味なのだ。
魔法使いは「案外、物知りなのねえ」とふざけた感心をしながら、馬鹿にしたように嗤った。
「大丈夫よ。くっだらない命令には、決して従わないから」
私は、乾いた笑みが漏れるのを禁じえなかった。呆れ果てて、もう、笑うしかない。
「どうだか。私と居た、たった二日のうちに、君は何をしてどんな目に遭ってきた? どの口でそんなことが言える。解くんだ、クリスティーナ」
「お断りよ。ほら、従わないでしょう?」
私は動じなかった。
「当たり前だ。術に矛盾が生じるような命令は、そもそも無効なのだろう? そんなもの、魔法以前に論理の話だ。そのくらい知っている。そして、命令の仕方も知っているよ。私は王族なのだから」
言いたくなかったが、彼女の「はったり」を覆さなければならなかった。
「『クリスティーナ、お前の所有者が命じる。ひざまずいて頭を垂れろ』」
予想通りだった。
私の口が、ため息を押し出した。
「ほら。君が言ったことは嘘だろう? 私が命ずれば、君は何でもしてしまうわけだ」
速やかに命令は実行され、私は不愉快な気持ちになり「もういい」と、解いた。
額を押さえて、私は頭を振った。
「こんな礼なら、要らないんだが」
対する彼女は鼻で笑い、腰に手を当てて、居丈高に胸を反らした。
「じゃあ命令しないで」
ああ言えばこう言う。
しかし、私は彼女の真意もわかった。
「それから。私は、他の効果も知っているよ。隷属させられた君は、無条件で、所有者である私の『負の身代わり』になるのだろう? 私は、君が死ぬまで、怪我も病気も死も知らずに済むというわけだ。違うか?」
クリスティーナはあっけらかんと笑った。
「そういうこと。あなたには死にそうなことでも、私には大したことないもの」
「……」
呆れた。力が抜けた。どっと疲れた。
床に座り込んでしまった。まだ朝だというのに。
どうして、そこまでするのだろうか。
「私は、君になんと言えばいいんだ?」
目の前に立つ魔法使いの身体から、描かれていた血文字が消えていく。これで術は完了し、消せなくなったのだ。
「……感謝も、遠慮も、君は要らないのだろう? どうすればいいんだろう、私は」
クリスティーナは腰に手を当てたまま、身を屈めて私を見下ろした。少し距離が縮まった。
「相当言い飽きたのだけど、本当にお優しいお坊ちゃまね。このままだと、とてもいいお医者様になりそうで、先が思いやられるわ」
私より年下だというのに、まるで姉のようだ。
「『どういたしまして』と言えば、それで済むのよ。さあ、私は王宮に戻ります」
王族の私よりも偉そうだし。いや、偉いと思っているに違いない。
「お別れだね」
「そうよ?」
清々した顔でうなずき、魔法使いは言い加えた。
「それから。いいこと? 私があなたの家に来たことは、秘密にしておいて。このことを知っているのは、あなたと、私……ああ、そうだわ、ジジイがいたわね」
美しい顔に暗雲が立ち込めた。
銀の瞳が閃いた。
「口封じをすればいいだけの話だわ」
その言葉を、私は雷鳴を聞くような気持ちで聞いた。恐ろしい。
クリスティーナは、私の両肩に手を置いた。
「さようなら、お坊ちゃん」
「では、次に会うときが、『初めまして』になるのか」
「そういうこと」
「わかったよ」
立ち上がろうとしたら、魔法使いが制した。
「そのままでいて下さらない?」
「……どうしてだ?」
クリスティーナは笑った。
「今、ここで消えようと思うから」
「そうか」
だから立つなというのは、どうも話が繋がらないのだが。疑問はこれ以上差し挟まないでおこう。たった二日間の経験で嫌というほど身にしみた。ろくなことにならない。
しみじみと、この二日間のことを思い返しかけた。
すると、突然、柔らかい光に包まれた。
一体何が起こったのだ!? と思ったら、金銀の髪の魔法使いが抱きついていた。
「……クリスティーナ!?」
驚き、心配になった。
また具合が悪くなったとか、取り付かれたとかいうのではないだろうな?
しかし、柔らかな身体は健やかな鼓動を打ち、害意ある触れ方ではない。
なんというか、普通の、抱擁、のような、
抱擁だ。
「クリスティーナ……?」
私はとまどった。
どういうことだ?
何か企んでいるのかとも思ってしまったが。彼女はどこまでも優しくしか触れていない。
そして彼女は、顔を上げた。
銀の瞳が、朝露のように潤んで光っていた。
麗しい容貌が、聖性の微笑を浮かべている。
魔法使い達のこんな顔は、一度として見たことがない。
「……どうした?」
だから、やはり心配になり、私は、彼女の金銀の髪をすいた。
まさか、実のところ彼女は力尽きていて、さっそく死ぬのではないか、とも思ったからだ。
ありうる。
「大丈夫か?」
両頬を包んで、顔色を確認する。冷たく、輝くように白い。
……魔法使いだから、身体の状態の、本当のところが、わからない。
すると、クリスティーナが、私の首の後ろに手を掛けた。
「?」
なんだろう。
「お別れです」
笑顔が、輝く。
魔法使いではなく、やはり天女なのではないかと思った。
クリスティーナの額が、私のそれに触れた。
熱は、無いようだ。
星の歌のように、美しい声音が耳に届いた。
「優しい王子様が拾ってくださったお陰で、命を失わずにすみました。このクリスティーナ、ご恩は一生、命を差し上げて報います」
「……」
なんだ。この、彼女の言い方は、
……聞いたことが無い。
唇が触れた。
甘露の吐息が吹き込まれる。
唇が離れた。夢のように。
彼女の頬を包んでいた私の両手が、彼女の手によって丁寧に離される。
「『どういたしまして』と、言ってくださる?」
きれいになった白い指が、私の唇に触れた。
それが、きっと、私が告げるべき、彼女への別れの言葉なのだろう。
「……どういたしまして」
言うと、微笑が返ってきた。
それは、朝日よりもまぶしくて、力が湧き、そして、心を浮き立たせる。
光の中、彼女の姿は消えた。
それが、別れだった。
その日、私は大学に行かなかった。
何も手に付かなかったからだ。
たった二日、面倒を見ただけの魔法使いが、心を占めてしまっていた。
クリスティーナめ、何てことをしてくれたんだ。
最後の最後で、恋に落ちてしまった。
思えば、自己犠牲の塊のような魔法使いだった。身を捨てて私の父を救い、ぼろぼろの身体なのに私を守り、それを当然の仕事と言い、本当に命がけで王族を守り通した。……ただ、態度と口の利き方が横柄に過ぎるが。いや、それだって、無駄に恩を着せないためなのかもしれない。いやいや、真実はどうだかわからないが。
その後、クリスティーナは、自分で言っていたように、例の年増魔女を狩ったらしい。私は王宮にいないので、人づての話でしか聞いていないが。その光景を、立場上、見なければならなかった王は、さらに魔法使い恐怖症が増悪してしまった。
私とクリスティーナとが、その後「初めて」会うのは、私が医師になり、王立病院に勤め始めてからだ。
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