シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

46 退院の日

 一週間後。
「本当に、ありがとうございました」
 一人の女性が病院を出る。プリシラの母だった。
 今日が退院の日だ。
「何かあったら、また来てくださいね」
「お元気で」
 見送るのは、瀕死の彼女を発見したベネディクト医師と、彼女担当となった看護スタッフだった。
 プリシラは、居なかった。
「では、ご案内しますね。生活費につきましては公費から支給されますから、安心してくださいね」
 行政の女性職員が、彼女を公営住居へと連れて行く。そこで、これから暮らしていくのだ。
「よろしくおねがいします」
 彼女は、プリシラのことは一言も口にしなかった。
 もう、わかっているからだった。娘がこれからどこで暮らしていくかを。

 入院して三日目、どうして娘と会えないのだろうと心配する彼女に、恩人の医師が告げたのだ。
 彼女の状態が良くなる頃合いを見計らっての言葉だった。
「あなたのお嬢さんプリシラは、王宮付きの魔法使いとなるようですよ。史上最年少の王宮魔法使いだそうです」
「おうきゅうづき……?」
 どういう意味なのかわからず、首を傾げる彼女に、ベネディクト医師は「やはり、あなたにとっては、いい知らせではなかったようですね」と、弱く笑った。
「プリシラの才能が、王宮一の魔法使いクリスティーナの目に止まったのです。プリシラはこれから王宮で暮らして行くことになります。きっと素晴らしい魔法使いになります。彼女の衣食住や身の安全について心配することは、もうありませんよ」
 境遇が良くなったのだということはわかる。娘を安心して預けられる場所なのだろうということもわかる。何せ王宮なのだから。
 でも、
「わたしは、……プリシラと、会いたいのですけれど。それは、できませんか?」
 医師は、目を伏せた。
「今しばらくは無理です。王宮魔法使いになるために、何かしているようで。普通の人間とは関わることができなくなるらしく。私の力でどうにかできないかと、色々働きかけたのですが。魔法使いの世界は特殊なもので、私には、どうにもできませんでした」
 そこで言葉を切り、医師は、「早めに知っていた方が、いいでしょうから。これもお話しておきましょう」と、前置きをした。
「なんでしょうか? 先生」
「魔法使いは、家族との縁を切るのです」
「……えっ?」
 顔色を無くした彼女に、医師はあわてて言い加える。
「いえ、違うんです、話はまだ続きます。私の言い方が悪かったですね。『戸籍上の縁』が、切れるという話です。あなたとプリシラとの実際の繋がりは、変わらず続きますよ。ただ、戸籍は無くなるということだけ、わかってください」
「先生、では、私は、また独りになってしまった、ということですか?」
 目に涙を浮かべた患者に、医師は一生懸命弁明する。
「いいえ、違いますよ、これは単に戸籍上の話で、」
「でも。今は、いいえ、しばらくは会えないのでしょう? あの子には」
「それは、そうです」
「プリシラ……」
 母は、両手で顔を覆って泣いた。
「私にはプリシラしかいないのです。あの子がいないのなら、もう生きていても、」
「気を落とさないで。大丈夫です。また会えますよ、」
 希望の言葉に、彼女はすがるように聞いた。
「それは……いつですか? 一月のうちには会えますか? それとももっと掛かりそうですか?」
「いつ、とは、お約束できないのですが。必ず会えます」
「そうしたら、また、二人で暮らせますか?」
「それは……わかりません……」
 申し訳無さそうに口ごもった医師の姿を見て、プリシラの母は、彼にこれ以上たずねてみても仕方のないこと、彼に要らぬ気を遣わせて気の毒なことをするだけだ、これはどうしようもないことなのだ、と、理解した。けれど、辛く悲しい気持ちに変わりはなかった。

 今、彼女は、晴れた空の下を歩いて行く。新しい生活に向かって。
 心の中では、愛しい小さな我が子が笑っていた。
 プリシラ、私のために生まれてきて、育ってくれた。
 王宮の魔法使いなるって、……どんな風かしら。
 辛くないかしら。泣いてないかしら。
 まだ小さいのに。
 もっともっと長く、ずっと、一緒にいたかったのに。
 ようやく元気になったのだから、抱っこしてあげたかったのに。髪をさわいてあげたかったのに。
「う……」
 こらえきれず涙が溢れ、プリシラの母は、小さな住宅の入り口前で、口元を抑えて立ち止まった。
 玄関の鍵を開けた女性職員が振り返り、「大丈夫ですか? 娘さんのことが、ご心配ですね」と気の毒そうに眉を下げた。
「ええ……。あの、あなたはご存知ですか? 王宮の魔法使いのこと」
 職員は一層眉を下げた。
「申し訳ございません。あいにく何も、」
「そうですか。そうですよね……」
「私も、できる限り調べてみますね」
「ありがとう」
 職員が扉を開き、促した。
「どうぞ中にお入りください」
「ええ、」
 プリシラの母は踏み出す。
 これから、ここが、私の家だ。
 石敷きの床、木の壁、古びた白漆喰の天井、小さな台所。
 今までより、ずっと、ずっと、いい暮らし。
 あの子が居れば、どこだって生きていけたけど。 
 ……いつか、また、一緒に暮らせるかしら。
 また、二人で、暮らせるかしら。
「ママ」
「え?」
 プリシラの母は、耳を疑った。
 まさか、そんな。
 声は、目の前にある、これから入るつもりだった居間から聞こえてきた。
 そんな、まさか。
 後ろから付いてきていた女性職員が、わっと喜んで「よかったですね!」と声を掛けた。
 誰に?
 ……私に。
 とん、と、脚に、抱きついてきた。
 見下ろす。
 ああ、
 私の、大切な、大切な、
 砂漠みたいな私の人生で見つけた、小さいかけがえのない大切な緑地。私から落ちた涙が、小さいこの子に、雨みたいに降る。
「ママ!」
「プリシラ……」
 新しい二人の家で、母と娘は再会した。
 母は、まだ自分の腰の高さほどもない小さな幼児を抱き上げた。
「どうして? どうして、ここにいるの!? ああ、でも、良かった! よかった! 会えたわあなたに!」
「ママ!」
 抱きしめられた娘は、ふくふく笑って母に頬すりした。
「これからも一緒に暮らせるの!」
「え!?」
 プリシラは、銀の瞳をきらきらと輝かせて、大好きなママに笑いかけた。
「クリスティーナが、それでいいと言ったの! だから、これからも、ずっと、ずーっと、ママと一緒よ!」



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