シンデレラ2 後日談3
axia 〜 天女降臨/魔女墜落 〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

7 はめられた

 それで、この一件は、落着したかに思われた。
 ところが。
「それこそ、大きな誤解です! どうか、魔法使いクリスティーナに、なんとしても仕事をさせてください!」
 ひどく疲労した、若い男の声が、一生懸命に響いた。
 謁見の間の入り口、部屋の南の壁中央にある、金縁の大きな扉が、勢い良く開け放たれた。
「クリスティーナーッ!」
 若い男は、声も枯れよとばかりに叫ぶと、大股でずかずかと歩いてきた。
 王宮一の魔法使いが、チッ、と、残念そうに舌打ちする。
 彼女の正面に、彼は、疲労困ぱいのていで、しかし眼光だけは怒りのために鋭く、気合だけで立ちはだかった。
「お前の思い通りにはさせない! 悪巧みも、ここまでだ!」
 まるで魔王を討たんと立つ勇者のようだった。
「まあ、こんにちは。ファウナ王子。意外にも、それなりにお元気そうねえ。残念ですこと」
 魔法使いは、しらりと返した。
「今更、一体、何の御用かしら。あんなに楽しそうにしていたお仕事を放り出して、こんな所に、どうしてのこのこといらっしゃったの?」
 理解に苦しむわ、と、聞きたくもない言葉が、魔法使いから、滑らかに淀みもせず溢れてくる。
 それが、王子の神経を、いちいち見事に逆なでる。
「仕事を放り出そうとしてるのは、お前だろうが。ぎりぎりだが、間に合ってよかった。今しがた、侍従長からこのことを聞いて、飛んできてみたら……」
 王子は、怒りと疲労に満ちたかすれ声を、魔法使いにぶつける。
「最初に王から命じられたとおりに、河の調査をするんだ。『王宮付き魔法使い』の、クリスティーナ!」
 魔法使いはフフンとせせら笑った。
「嫌です。王ご自身から、今、たしかに、『調査しなくて良い』と、伺いましたわ?」
 くるりと玉座を見ると、クリスティーナは、王妃の腰の影から、そっとこちらを伺っている王に、思い切り嗤いかけた。
「確かに、そうおっしゃいましたわよね? 王?」
 大剣を振り下ろすかのような迫力ある確認に、王は縮み上がった。
「ひいーっ!」
 一国の主が、かん高い悲鳴を上げて、王妃の後ろに隠れた。
 王妃は、苦笑して振り返り、「あら、落ち着いてくださいませ。こわくないこわくない。大丈夫ですよ」と、幼児にするようになだめる。
 おびえるばかりの王に代わって、王妃が我が子に語りかけた。
「ねえ、ファウナ。聞く所によると、泣くほど楽しい仕事だそうじゃないの? それを取るわけにはいかないでしょう? それこそ無神経というものですよ」
 王子は、薄笑いを浮かべるクリスティーナを睨みつけてから、猛然と、首を振った。
「そんなことは、決してありません! 泣くほど苦しい仕事の間違いです。母上!」
「まあ」
「河に設置いたしております、王宮の取水口。その設計図を3度洗いなおしました! が、構造上の欠陥は、見受けられません!」
「そんなはずはないわ? 証拠に、事故が起こるのですもの。それから、大きな声を出さなくてもいいのよ。よく聞こえていますよ?」
 母は、暖かく、にこやかに、首を振った。
「船は、必ず、取水口側に引き寄せられてしまう。と、いうことは、設計に、何か問題があるのではなくって? さあさ、帰って、もう一度洗いなおしなさいな?」
 もう一度洗いなおしなさいな。
 母の優しい調子の言葉は、息子に、冷酷な槍のように、ザクリグサリと突き刺さり、とどめとなった。
「そんな。勘弁、してください」
 脱力し、しゃがみこんで、大人の王子が泣き出した。
「うっ……くっ、」
「まあ! 嬉し泣きなさってるのね!?」
 クリスティーナが、王子の様子を歪曲して表現し、事実を偽装してのけ、仕上げに高らかに笑う。
「ホホホホ! やっぱり、お仕事がお好きなのねーえ?」
 それを聞いた王妃が、「まああ」と感心して、うなずいた。
「やっぱりなのね。ファウナは、楽しんでいるのだわ」
「もう嫌だ。フロラに、会いたいよぉ……」
 王子の泣き濡れた小さな言葉が、金髪の魔法使いの耳に、さめざめと入った。
 今まで、無言で、やりとりを聞いていたプリムラは、表情の出にくい瞳を、ふと伏せた。
 王子の嘆き。それは、プリムラに、深い同情の念を抱かせるに、充分だった。同じ相手を想う者として、ついに泣き出した彼の辛さは、いかばかりだろうか?
 そう思ったクリスティーナの弟子は、三歩、前に出た。
「王妃様、」
 それで、師匠と弟子は、同じ位置に立つことができる。
 プリムラは、嗚咽する王子を、つくづくと見下ろし、顔を、王妃に向けなおすと、静かに言った。
「このように、技師たちも、疲れているようです」
 その言葉が終わらないうちに、クリスティーナは、ニヤリと嗤って、巧妙に言葉を挟む。
「心地よい疲労とは、労働の何よりの楽しみ、ですわ?」
「いい加減にしろ、クリスティーナ。私達技師は、めちゃくちゃに疲れているんだ」
 茶々を入れようとする魔法使いを、涙と眼精疲労で充血した瞳の王子が、殺気だった声で止めた。
 プリムラは、もう一度言った。
「王子ご自身が、こうおっしゃっています。……いかがでしょう?」
 王妃は、ええ、とうなずいて、微笑んだ。
「そうですね。では、やはり、魔法使いに調査させることにしましょうね。あなたに任せましょうか? プリムラ」
「はい。お受けします」
 王子はそのやりとりを聞くと、今度は、安堵のために、涙を落とした。
「よかったぁ……」
「よかった!」
 王子と同じ台詞を、同じ時に、しかも、元気にはつらつと言う者がいた。
 クリスティーナだった。
「?」
 王子は、不審に思って、彼女を見た。
 そして、考えた。
 どうしてこいつが喜ぶ。何を企んでいるんだ? 一体、何が、よかったというんだ? こいつにとって。一体、何が。
 当のクリスティーナは、というと、プリムラを見て、嗤っていた。
 とても愉快そうに。
 愉快そうに。
 それを見て、王子は、クリスティーナの企みを、理解した。
 ……ああ、何て奴だ。私への嫌がらせ、ばかりではなく、プリムラに、仕事を押し付けるつもりでもあったんだな、と。
 プリムラも、王子と同じことを、思わざろうえなかった。
 はめられた、と。
 そして、被害者二人の目が合う。青年の方は痛ましい顔で、魔法使いの弟子の方は剣呑な顔で。
 今度は、王子が、プリムラに同情する番だった。
 可哀想になぁ……、と。



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