王子は、研究室を出て行くときは、まるで仇敵との血戦に出立するような顔をして、人外の美貌をもつ少女を率いて行った。
それなのに、帰って来た時には、楽園での休日を満喫しているような顔で、甘いお菓子の香りと白い箱と可愛い下級生を連れて来た。
「ただいま帰りました!」
「おか、えり、なさい?」
「お……? 元気、だね?」
出迎えた同級生や大学院生らは、王子やその周辺の様子が一変していたので、面食らった。
「あれっ? どうして?」
「なんでフロラが?」
皆は、フロラを見て首を傾げる。たしか、王子は得体の知れない令嬢と一緒だったはずなのに。どうしてフロラがいるのだろうか? 二年生の彼女は休日のはずなのに。
「えーと? 一体、何があったんだい?」
もう、そう尋ねるしかない。王子の同級生が代表して訊いた。
だが、ファウナ王子は、喜びの結晶のように笑って、
「令嬢に帰ってもらった後で、フロラに会ったんだ」
としか答えなかった。王子は委細を教えなかった。
大学院生は、首を傾げた。
「それだけなの?」
「それだけです」
皆、それで納得できるはずはない。
行きと帰りで、こうも様子が違うからには、絶対に、何か面白そうなことがあったはずなのだ。
しかし。
細かく問い詰めたいが、相手は王族なので、色々と差し障りがある。
みんな、消化不良の表情で、うなずくしかなかった。
「……へえ?」
「そう……。それだけなんだ?」
ずっと後に、晴れの席で王子自身が明かすまで、空白の時間は謎のままとなった。
フロラは、研究室の先輩たちにタルトをふるまった。その後、四年生からカールラシェル教授の覚え書きのことについて質問を受けた。
そうしているうちに、時計が正午をさした。
「あ、昼だ」
「昼食どうする?」
「今お菓子食べたばっかりだからなあ。もう少し後にするか?」
「あ、私は、今を逃したら夜まで空き時間がないから、昼食とってくるわ」
三年生から大学院生まで、各々の研究を進めつつ、相談する。
「フロラはどうする?」
四年生の男子学生がたずねた。彼はフロラと、カールラシェル教授の覚え書きを読んでいたところだった。
「私は」
「待って。帰った方がいいわよ?」
これから昼食に向かう大学院生が、白衣を脱いで意味ある笑いを浮かべながら言った。
「お昼を食べたが最後、夜まで付き合う羽目になるわ。彼ね、卒論が行き詰まっているから」
黄色いツンツン頭の四年生は、眉を下げて情けない声を出した。
「ああー。先輩、言わなくていいことを」
黒髪の大学院生は、涼しい顔で笑っている。
「知ってた方がいいかなと思って。誤報ではないでしょ?」
「ええ。悲しいことに」
四年生は、後輩の表情で泣き笑いを浮かべて、分厚い覚え書きを閉じた。そして、先輩の顔に戻って、フロラに言う。
「ありがたい言葉もあったことだし。フロラ、ありがとう。おつかれさま」
椅子から立ち上がって背伸びをする。
フロラも、軽く微笑んで立ち上がった。
「おつかれさまです。先輩」
「さ、途中まで一緒に行きましょう?」
大学院生が、フロラを連れて行く。
フロラは、扉の際で少し振り返って、部屋の奥で同級生と実験をしている王子を見た。
王子も、出て行くフロラを見ていた。
二人は微笑みあって、扉が閉まる。
|